歴代トップ絵





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■ 11 代目 ■

静かなる衝撃、伝説の青テン――クランキーコンドル。

コメント  自分はいわゆる「コンドル世代」の人間だが、実はほとんどコンドルを打ったことがない。当時は年に数回の実戦、それも軍資金は決まって 2000 円という、ほんの興味本位でしかなかった。リプレイはずしなどという概念は知る由がなく、ホールで7を揃えるなど夢物語でしかなかった。
 しかし時は経ち、遂に実戦で初 BIG を引いたのは、みなし機の晩年前である 2005 年夏のこと。そしてそれが、最初で最後の、ホールでの BIG となってしまった。その後は BIG 間4桁ハマリで終了……自分はいよいよ、コンドルとは縁が遠い存在なのだと悟った。
 コンドルの BIG を、それなりに消化できるようになったのは、奇しくもみなし機撤去の翌月のこと。この写真を撮ったのは、今は亡き静岡の「ゲームセンター予備校」にて。今でこそ流行りの、スロット専門のゲームセンターの先駆的存在だった――。


■ 12 代目 ■

BIG こっきり、オレンジV――ビッグパルサー。

コメント  山佐の 2.2 号機、ビッグパルサー。後のニューパルサーが汲んでいるリーチ目の数々は、この頃から既に数多く存在していた。7のケツテン、ボーナス絵柄のL字型――チェリー対角も、確定ではなけれど連続すればチャンスとなる。
 また、リーチ目の中で忘れてはならないのが「オレンジV」。リーチ目となるには条件(左右中段プラム)が必要だが、これが BIG 成立ゲーム限定で出現することから「こっきり目」と呼ばれることも。他にも左リール「プラム・オレンジ・プラム」からのリーチ目全てが同様となるなど、「BIG 成立ゲーム」の概念が既に存在していた。


■ 13 代目 ■

ツイン BB が奏でる、赤と青の二重奏――ハイパーラッシュ。

コメント  山佐初のツイン BB 機。しかし、そのウリはツイン BB のみに非ず、出目よし、テトラよし、加えて音でも楽しめた。特にチャレンジ BIG は、JAC ゲーム中にリズムを合わせてリールを停止すると、JAC ゲーム直後のみ 15 枚役をナビするという、当時としては画期的なゲーム性も備えていた。
 また、揃えた7の色によって、異なる「ハイパー or チャレンジ抽選演出」を楽しめるのも、後の山佐製ツイン BB 機に受け継がれてゆく魅力の1つであった。


■ 14 代目 ■

フフフと笑えば福来る――ハイアップターボ。

コメント  自分が初めてホールで打った1号機(厳密には 1.5 号機)が、このハイアップターボ。ネットで知った情報だけを頼りに、帰省がてらに小倉へ立ち寄ったのが、事の始まりだった。
 併設されていた APEX301EX と共に、当時はリーチ目など何も知らなかった――が、この台に限り、ボーナス成立ゲームには(店側で用意された)頭上のパトランプがクルリと回る――それだけ。それだけでも、完全告知が嫌いな自分でも、心から興奮できた。頭上を見なくとも、赤い光が筐体に反射して見えるというこのシステムを最初に考えた人は、本当に天才だと思った。
 それから後、最後の設置店――小倉ひまわり――が閉店するまで、APEX と共に愛し抜いた名機。晩年は、パトランプの電源を切った状態でも、存分に楽しむことができるようになった。本当に……楽しかった。


■ 15 代目 ■

選ばれし者に、幸あらんことを――メフィスト。

コメント  発表当時は、「遂にファウストの正当後継機登場」と世間を賑わせた。自分もまた、気の落ち着かなくなった者の1人だった――メーカーの山佐曰く、「スペックが違う(ストック機である)ため、正当後継機ではない」そうだが、それでもファウスターの心を掴むには十分な容姿だ。
 やがて、山佐の総本山・岡山の直営店に先行導入されたことを知ると、金曜に有休を取って現地に乗り込んだ。「必ず REG を引いてくる」――周囲にそう公言し、見事達成して 8000 枚弱を叩き出したことは、未だ記憶に新しい。
 撤去されるまで、約4年。ゲームセンターでの遊戯を加えると、今までに5回ほど REG を引いた。その5回全てが公言達成の結果であり、また REG を引くことを公言したのは、その5回だけ。自分は、悪魔に魅入られたのだろうか。それとも――?


■ 16 代目 ■

4枚目のコインが、もたらすものは虚か実か――コンチネンタル。

コメント  初代コンチ――といえば、ご存じの方は「CS-90」を連想するに違いない。この CS-90 というコインセレクターによって、投入できるはずのない「4枚目のコイン」の投入が可能となる。もし、それが成功したら――何と BIG 成立となる。が、この仕様は当然違法であり、つまりは「裏」たる所以であった。
 後期には違うタイプの裏も存在したようだが、かくして CS-90 と直接関与していたという瑞穂製作所は摘発されて、以降3年間の販売禁止処分を受けることとなった。
 その後も世に残っていたコンチネンタルには、まず CS-90 が付いていなかっただろう。しかし、それでも4枚目のコインを投入することで、連荘に期待する打ち手も少なくなかったのではないだろうか。


■ 17 代目 ■

旧き良き、王道の魅力が蘇る――スペックA。

コメント  自分がスペックAという台と対峙するには、エルレボほどでもないが、これもまた随分の時を要した。その存在は知ってはいたのだが、どこか取っ付き難いように思えた──メーカーであるオーイズミに対して、当時はまだ大した期待を抱いていなかったせいなのかもしれない。
 しかし、それはやがて後悔へと変わった。4時間限定ではあるが設定6を打てる機会を得て、右も左も知らない状態で打った当機──これが、楽しかった。フラッシュしか存在しない演出、主役はとにかく出目。そんな当たり前のことが、既に失われかけていた当時。この出会いは、自分の中ではあまりにも大きかった。
「適当打ちで出目を楽しむ」概念を知るきっかけとなったのも当機だが、残念ながら実際に適当打ちをすることはできずに、みなし機撤去という形で別れを強いられることになった。しかし、後にその遺伝子を継ぐエルレボと出会い、素晴らしい出目の魅力を探求することとなる──


■ 18 代目 ■

末弟から始まった、美しき蒼の伝説――コンチネンタル2。

コメント  コンチシリーズの末弟といえば、コンチ2。3より後に発売された当機には、シングルはあれど集中役は搭載されていない。初代のような(違法な)連荘性もなく、3のような集中役もない。そんな地味な末弟にも、しかし多くの支持があったことは事実である。
 ほぼ全てのリーチ目からシングルの可能性があり、実際にボーナスを揃えるまでは安心ができない。言い換えれば、揃える直前まで緊張感が続く──そんな「ギャンブル性」が人気の理由の1つである、という話を聞いたことがあるが、なるほど。そうなのかもしれない。
 また、忘れてはならないのが「ユニバーサル史上、初の青7搭載機」であること。スベリという条件付きだが、上段青テンの概念もしっかりと存在している。


■ 19 代目 ■

炎の竜を打ち砕け、第4のリールと共に――ビートザドラゴン。

コメント  オリンピア初のテトラリール搭載機。大量獲得機でありながら BIG 中の難易度は低く、また「ドラゴンを倒せばボーナス確定」というファンタジックかつ単純明快なゲーム性により、初心者でも楽しめる仕様だった。
 バトル演出、小役ナビ、その他チャンスアクションを魅せるテトラリールもさながら、主役たるメインリールによる出目、加えてバックフラッシュ演出も奥が深く、中級者以上でも楽しめた。スタート音にも複数あり、中でも BIG 成立ゲームの約 1/30 で発生する「ビーナス7のハープ音」は、ファンの心を魅了してやまなかっただろう。


■ 20 代目 ■

どこまで続く、この期待感――コンチネンタル3。

コメント  コンチシリーズで最も息が長く、また設置範囲が広かったのが、このコンチ3。リーチ目は主に7の一直線型と、極めて単純明快。他には、後のサンダーVを彷彿とさせる「上段 BAR テン」といった2確目も存在した。
 そして何より本機のウリは、一撃必殺の集中役「セブンラッシュ」。パンクフラグと BIG さえ引かなければ、半永久的にシングルと 15 枚役が続く──そのラッシュの継続のサインは、リーチ目の出現。つまり、リーチ目出現からシングルが揃えばラッシュ確定となる。リーチ目を察知すると、REG か、BIG か──期待に胸膨らませ、いずれも否定した時の衝撃と期待感は、2つの7が揃い続けるまで継続する──