敵の――森口の艦体を見て、中村は思わず感嘆の声を洩らしそうになった。宇宙空間
とはいえ、壁越しでよく見えないのだが、笹原や松本のそれとは全くといっていいほど雰
囲気が違う。彼等の、おどろおどろとしたグラフィックに対し、彼女のは颯爽として迫力の
ある――一言で言えば、格好いい――艦である。
『せっかく裏主砲の、万全の用意をしてたっていうのに……。』
「……そりゃあ、残念だったな……。」
中村は――いや、『黒豹』は二、三歩ほど下がって、相手との距離をとった。
「せっかくの切り札を出す前に、やられちまっちゃあよぉ!」
叫びながら横に飛び、敵を目掛けて弾幕を放つ。
だが、それらは目標に達したかと思うと、まるでビデオの巻き戻しをするかのように、こ
ちらに戻ってきた。そのうちの何発かを、『黒豹』は避けきれずに被弾する。
「な……何だと!?」
『この艦体は、裏主砲ですら反射するのよ。そんなものが通用するわけないわ。』
「反射、だと? どういうことだ、それは!」
「見ていなかったの? 下で『動く壁』が裏主砲を反射したのを。』
あっけらかんとした声が、耳の中に響きわたった。その言葉の意味が、中村には最初、
理解できなかった。その代わりか、山代が彼の代返を返す。
「やっぱりそうか。つまり、笹原に俺の裏主砲のことを聞いたんだな?」
『ええ、そうよ……もっとも、あなた同様反射するにも限度があるけど、ね。』
まだ話が見えないのか、中村は黙ったまま佇んでいる。
「俺の裏主砲“闇色の光球”は、ミサイルの類を反射する性質がある。例えそれが裏主砲
であろうがな。だが、それにも限界がある。威力の強いものは、反射しきれず光球と相殺
する形になる。そしてもし、さらに強い威力であると――光球は、潰える。」
『それはこちらも同じこと。許容範囲外の裏主砲を受けると、確かにダメージは受けるわ。
でもね……『動く壁』は、帝国最強の裏主砲を反射したのよ。このことはあなた達帝国の
敗北を意味していると言っても過言ではない――』
そう言って、森口は目を細くした。無論、艦内にいる彼女の表情など、山代達にとって
分かるはずもないが。
『ねえ……もう、やめにしない? 私はただ、オリジナルを超えることができればいいの。
私の造った“理想郷”が“小宇宙”を超えることができれば。模試の解答はあなた達に譲
るわ。だから――』
「投降しろってのか、俺達に?」
それまで沈黙を保ち続けていた中村が、唐突に口を開く。
「ナメた口ききやがって。勝負をハナから捨てる奴が、どこにいるってんだ?」
先に広げた間合いを、今度は少しずつ狭め始める。そして、適当な所で彼は再び弾幕
を浴びせようとオプションを握りしめ――
(…………え?)
気が付けば、敵は――いや、森口は目の前に立っていた。それこそ、実際に手を伸ば
せば届いてしまうほどの距離しか、二人の間にはないくらいに。
『……その言葉の裏で、あなたは何を怯えているの?』
まるで、耳元で囁かれたような感覚に陥るような声。
『弾幕でダメージを蓄積させようなんて、考えない方がいいわ……』
『何をそんなに焦燥しているの? 私が……恐い?』
焦燥。聞き慣れない言葉だと一瞬、中村は訝った。さらに眉をひそめてみる。
(焦燥……? つまり、焦っているってのか……この俺が?)
ふと、いつぞやの仁科の姿を思い浮かべ、彼は舌打ちをした。自己嫌悪。同時に、我
ながら性に合わないことをしたものだと、また別の意味で舌打ちする。
中村は再度、オプションを握りしめた。だが、森口の言葉がどうにも頭から離れない。
“小宇宙”を通した音声と、肉声との不協和音が、中村の脳裏を激しくかき混ぜる。何か
フライパンのような物で、頭を殴られたかのように。頭の中が、重く、激しく揺れる。
(うるせえ……うるせえ……)
焦燥というよりは苛立ちを覚えたように、中村は胸中で何度もそう繰り返した。眉をつ
り上げ、歯ぎしりし――そして次第に、それは反芻へと変わっていく。
(……うるせえ……うるせえ?)
うるせえ? 彼は自問する。
何が? 一体何がうるさいんだ?
前を見た。戦艦だ。ただ、自分達の戦艦のグラフィックとは、かけ離れて違うが。
(……違う?)
もう一度、彼は自問した。そうだ、あれは敵だ。
今まで追い続けてきた敵。学力の代償に得るストレスと、単純な快感をぶつけること
のできる相手。敵。
受験に相手はいない。ライバルというものが「相手」と呼べるものだとしても、それに
対して物理的な衝撃を与えることは――ストレスを発散させることは、できない。
中村は、手に持つオプションのボタンを押した。同時に、視界に「裏主砲エネルギー・
チャージ中」という文字が見え始める。
(待ちこがれていたんだろ?)
そんな文字列が、同時に視界に現れた。そんな気がした。
オプションを握る手を動かし、ターゲットを敵艦に定めた。今撃てば、確実に当たる。
彼が初めて裏主砲を見た時を――裏主砲を試射した場面を、中村は脳裏に蘇らせて
いた。「もし、敵艦がいたらどうなっていただろう――」
(その謎が今、解ける――)
中村はボタンを押した。刹那、『黒豹』から“漆黒の刃”が展開される。獲物目がけて
突き進み、やがて豹の牙が目標に深々と突き刺さり――
満悦。今の、彼の感情を一言で表すと、まあこんなものだろう。
かつて、帝国最強と謳われた『天騎士』を二度も凌駕したのだ。まだ帝国は倒してい
ないとはいえ、彼が満悦するには十分な要素である。
艦体全身が大破し、機能が完全に停止した『天騎士』――それと、それに埋もれるよ
うにして傷体を隠している『戦女神』を一瞥して、笹原は階段を上へと上がっていった。
「…………津波?」
それまで硬直していた白石が、“小宇宙”を外して津波へと歩み寄った。
「おい、大丈夫か……津波?」
そう言って彼の“小宇宙”を外し、身体を揺り起こす。裏主砲を受けても、実際は睡魔
に襲われるだけだから、人体そのものに害はないはずである。案の定、津波は重いま
ぶたをかすかではあるが、何とか持ち上げてこちらを見る。
「し……白石……。」
「よかった、大丈夫か。」
害がないと分かっていても、白石は彼の様子を見てホッとした。
それほど、凄かったのだ――“雷獣”の力は。
「後は……任せておけ。だから、ここで眠ってろ。」
自分自身、言葉に説得力が感じられない。だが、今はこう言うしかない。
「……分かっ……た。」
だが、それでも津波は素直な返事を返してくれた。その素直さに応えるように、白石も
一つ頷くと静かに『動く壁』の後を追っていき――その姿が、津波の視界から消える。
そして、それを待っていたかのように、津波の下敷きになっていた広瀬が、ゆっくりと
起き上がった。さらに鈍重な動きで“小宇宙”を外すと、未だ仰向けになっている津波の
肩を抱き起こした。
「…………どうして?」
潤んだ瞳を彼に向け、掠れた声で言葉を紡ぐ。
「どうして、助けてくれたの……?」
津波は目を開けなかった。その代わりに、わずかに唇を緩ませる。
「どうして……って、好きな娘を助ける……のは、当たり前のこと……だから……。」
広瀬は、小さく、ゆっくりとかぶりを振った。
「好きってだけで……ただそれだけで……あんな恐いこと、なぜ……?」
“雷獣の息吹”が展開された直後、瞬時に『天騎士』が『戦女神』をかばった。結果、裏
主砲を撃つことなく『天騎士』は戦線離脱してしまったのだが、広瀬が悲哀に思っている
のはそういう意味ではない。
恐かったのだ。“雷獣の息吹”が展開される時、彼女は心底から戦慄した。
「……男……だからさ。」
しかし津波は、薄く目を開けて――唇を緩ませたまま、そう言った。
それに対して広瀬は一瞬、きょとんとした表情を見せた。しばらくして、次第に顔を綻
ばせ――視界を涙でにじませる。
「だとしたら……みんなバカだよ、男って……。」
止まらない涙を拭こうとして、広瀬ははじめて、津波の半身を自分の脚に乗せている
ことに気が付いた。慌ててその場に立ち上がろうとするが、錯乱しているのか、思うよう
に身体が動かない。その様子を見て津波は、薄く笑ってその場で彼女の手を握った。
「よかったら……しばらく……このままでいてくれる……?」
広瀬の手は、暖かかった。それが焦燥からか、紅潮からかは分からないが。
「……うん、いいよ……。」
静かに頷いて広瀬は、もう片方の手で津波の顔を撫でた。そのまま、これから眠りに
入る彼の頭を、そっと抱いてやる。優しく、柔らかく。ずっと……
あれから、どのくらいたったろうか。
十分以上? ものの数分? いや、それとも、ただ時間が経過したような感覚だけがあ
って、実際は一分もたっていないのかもしれない。
ただ、どちらにしろ二人にはそんなこと、どうでもよかった。問題視する人物がいるとす
れば、それはこの場にいたらと仮定する第三者だろう。いくら待っても進展がないのだか
ら。今の、この様子が退屈極まるものと感じることに違いない。
(……退屈だな。)
だが遂に、松本はそんなことを思ってしまった。相手は無口で、自分と似たような人間
だろうということを直感的に見抜き、とりあえず片割れの方を先に片づけた……のはいい
が、そのお楽しみだと思っていた男はまるで、何もしてこない。この戦闘に、何も興味を
持っていないかのように。ただひたすら、無傷の戦艦を宇宙に漂わせているだけである。
(……まあ、それでもその気にさせるのは簡単なことだがな。)
そのことを、大して重要視しないかのような悠長な手つきで、『滅びの方舟』は『月槍士』
に向かって発砲した。が、それは案の定、いとも簡単に避けられてしまう。
(当然だ。当てるためのものではないんだからな……)
「避ける」とはつまり、こちらの「攻撃」という行動に干渉している、ということである。つま
り今の『月槍士』は少なからず、こちらに対して関心を持っているということになる。
(すなわち、何らかの手を打とうと思い始めるわけだ。身体がな。)
避けるだけでは、敵は倒せない。ゲームクリアすることができない。永遠に。
(もっとも、永遠に避けきることができればの話だがな!)
宇宙空間とはいえ、実際は「架空の現実」である。弾幕は徐々に『月槍士』を廊下の隅
へと追いやり、逃げ道を潰していく。
だが、それでも『月槍士』は反撃の素振りを見せようとはしない。松本は正直落胆したが、
すぐに考えを改めた。敵は倒せるうちに、倒すべきだ。
そして――『月槍士』は完全に、壁に包囲された。
(期待したほど、楽しめはしなかったが……)
『これで、ゲーム・オーバーだ!』
声が引き金となり、『滅びの方舟』から巨大な剣が展開される。それは裏主砲となり、か
まいたちの如く『月槍士』の上半身を切り裂いて――
同時に、光の槍が『滅びの方舟』を串刺しにし、貫いた。
次に中村が見たものは、薄汚れた床だった。
宇宙空間ではない。暗くはないし、戦艦も見えない。戦闘機能の停止した“小宇宙”のデ
ィスプレイから見える景色が「現実」のものと気付く間もなく、彼は昏睡に陥った。
森口は、その様子をただ茫然と見つめていた。まさか攻撃してくるとは思っていなかった
からだ。反射されることを知っていながら。自滅してしまうと分かっていながら。
(なぜ?)
彼女が、唯一持てる感想。戦闘に敗れた者に対しての、感想。惜敗を称える言葉でもな
く、敗者に送るレクイエムでもない。ただの、一言。
「――面白いからじゃねえのか?」
唐突に聞こえてきた肉声に、森口は思わずハッとした。辺りを見ると、声の主であるはず
の山代が――いや、彼の操る『隠者』の姿がない。
森口は、静かに“理想郷”を外した。理由はない。ただ何となく、だ。
目の前には山代が佇んでいた。今し方まで被っていただろう“小宇宙”を手に持って。
「面白い……から?」
「ああ、こいつは自分の選んだ道を突っ走ったのさ。」
「その結果が……これ?」
視線を落として、森口は呟いた。
「大事なのは結果だけじゃない。時には無駄と思えるようなことをしてみるのも一興かもし
れない。そこから……思わぬ発見があるかもしれないから。」
そんな、山代の言葉の意味が、しかし森口には全く理解できない。
(無駄から……発見? そんなことが……)
「……まあ、いいさ。じきに分かる時が来る。」
そう言って、山代ははびすを返した。そのまま黙って、下りの階段へと足を運ぶ。
「あなたは……どうするつもり?」
単純な疑問だった。そして、それに対して彼は、それこそ単純に応えてきた。
「ああ、どっかで傍観でもさせてもらうよ……そっちの方が、面白そうなんでね。」
空母『動く要塞』の中は静寂一色だった。とはいえ、情報班からの情報は絶えず入ってき
ている。つまり、室内に緊張が走ってばかりではない、ということである。
「……『黒豹』の完全大破を確認。『黒豹』、戦線離脱です。」
汐月の澄んだ声が、そのことを証明する。
「『月槍士』、中破。裏主砲が敵艦の反射許容強度を超過。松本、戦線離脱。」
仁科も落ち着いた声で、情報処理を続ける。
「ようやく、一艦撃破か……それに対して俺達は四艦、いや五艦が戦闘不能。数で言えば
互角……だが、攻撃力では俄然、俺達帝国が不利……か。」
静かに、自分自身に現状を報告するかのように安野が独白する。
(冷静さだけでは、現実を受け止めることしかできない。どうするつもりだ、中布利?)
半ば救いを乞うように、彼は疑問の視線を中布利に向けた。
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