(……なぜだ?)
      彼の方舟は、まだ宇宙の藻屑とはなっていなかった。だが、どうであれ彼が負けたこと
     には変わりなかった。つまり、方舟が滅ぶのも時間の問題なのだ……。
     (こいつには……反射機能がついている……はずだ。確かに、俺はそれを保険のような
     ものと考えていた。だからどんな攻撃もかわした。その方が、現実的で楽しめると思った
     からだ。常に無敵状態では退屈だから。だが……言い訳なんかではない。ないが、なぜ
     ……)
     「……反射されなかったのか? 答えは簡単だ。それが現実だからだ。」
      胸中を覗かれて、松本はギョッとした。わけが分からず、慌てて“理想郷”を外し、そして
     ――「現実」を目の当たりにする。
      そこには、片足をつき自分のように“小宇宙”を外し、手にしている西村の姿があった。
     「そうだ……俺は確かにお前を撃った。なのになぜ、お前は……?」
     「撃って当たったからといって、必ずしもそこで終わるわけじゃない……どんな攻撃も反射
     されるというわけじゃない……それが、ゲームと現実の違いだ。」
     (現実は、単なる3Dゲームとは違う……か。)
     「…………チッ。」
      舌打ちを残して、松本の身体は床に沈んだ。同時に、西村もその場に尻餅をつく。
      ゲームには、根性や執念といった要素はない。いや、仮にあったとしてもそれがプログラ
     ムそのものを変えてしまう程の影響は及ぼさない。
     「……つまり、そいつは人間相手のゲームは経験不足だった、というわけだ。」
     「……誰だ?」
      まぶたが重くなるのを必死にこらえ、西村はかろうじて声を絞り出した。
     「まあ、今のお前になら、わざわざ裏主砲を使うまでもないが。」
      声の主は、しかし西村の質問とは全く関係のないことを言ってくる。
     「聞こえているんだろう、中布利? 唯一、俺達にダメージを与えられる艦はこのザマだ。残
     る『白竜』も、倒されるのは時間の問題だ……そうすると、もう出し惜しみなんぞしている余
     裕なんてないと思うがなぁ? 見せてみろよ、お前の言う雷獣の力ってやつを。」
      西村には、理解しかねない話だった。それに、彼には中布利の声は聞こえない。
      もっとも、実際中布利は何も言ってこなかったが。
     「どうした? まさかこの期に及んでウソだった、なんてこたぁないよな?」
     『……雷獣は、』
      一瞬、笹原の巨体が細かく震えた。低く、鋭い声が彼の耳に返ってくる。
     『雷獣は、神々の召喚がない限り、その力を現しはしない……つまり、今までは出し惜しん
     でいたのではなく、単に“使えなかった”のだよ。召喚する“理由”がなかったのだ。』
     「“理由”、だと?」
     『そうだ。神話によれば、“月”と“女神”と“太陽”に危機が迫った時、雷獣はその槌でもって
     敵を薙ぎ払うのだ。だが、今まで帝国にはその“理由”がなかった――』
     「ふざけるな、そんなモンが雷獣と何の関係があるっていうん――」
      そこで、笹原の言動は終焉を迎えた。
      危機。“月”と“女神”と“太陽”。
     “太陽”とはそれを裏主砲とする『紅炎』のことだろう。“女神”は文字通り、『戦女神』のこと
     を意味している。倒された今、彼等はまさに危機に瀕している。
      そして――“月”とは、目の前に瀕死の状態になっている新入りの「月槍士」。
     『機は……熟した。今こそ召喚の時だ、雷獣よ。』
      言葉は言霊となり、雷獣をいとも簡単に呼び覚ます。
      雷獣は、頭だけを動かして召喚の理由を作った“もの”を探し始めた。そして、上にいる笹
     原――『動く壁』を見据え、咆哮し、構える。全てを打ち砕く槌――雷槌を。
     『とくと、目に焼き付けておけ……これが、お前の欲していた、雷獣の真の力だ。』
     『動く要塞』から、溢れんばかりの光の波動がほとばしる。それは文字通り全てを打ち砕き
     ――壁という障害があるにも拘わらず――目標と呼ぶにはあまりにも小さく、貧弱な一艦
     の空母を、宇宙空間の塵へと化した。
 
      山代の後を追おうとは、森口は考えていなかった。
      実際、彼女はそうしなかった。それ以前に、そうするメリットがなかったのだ。“小宇宙”を
     身につけない、生身の帝国員と戦ったところで、どうにもならない。
     (私は“小宇宙”を超えたの……? いや、違う。まだ、「オリジナル」には……)
      出会ってもないもの。
      そう思った瞬間、脳裏と視界が、一瞬ダブったような感覚に陥った。
      なぜなら、いるからである。そのオリジナルが。原田と堀田が、“小宇宙”を手にして。
     「……どういう、こと?」
      口ではそう言ったが、その直後には森口は、持っていた“理想郷”を付けていた。オリジ
     ナルと戦える。その実感と期待の方が、怪訝を超えていたからだ。消していた電源を付け、
     援軍を呼ぼうと笹原のいる下へと視線を向け――
     『――笹原を呼ぼうと考えているのなら、期待しない方がいい。』
      堀田がそう言うまでもなく、森口の顔から表情が消えた。理由は分かっている。まさか自
     分以外の二艦が、やられているとは思っていなかっただろう。
     「……なぜ? あの『動く壁』までもが、どうして?」
     『雷獣は君達の専売特許ではなかった、ということさ。』
      何かを言い返そうとして、しかし驚愕の表情を浮かべ、森口の言葉が消える。
     『帝国の空母――『動く要塞』の“小宇宙”のシステムは少々、他のと違ってね。戦闘員全
     てのデータが、常にこいつの中に入るようになっているのさ。そこで、そいつを利用して、特
     定の戦闘員がやられてしまった場合にのみ、強力な裏主砲を使えるようにするっていう仕
     組みを作ってみたのさ。もちろん、裏主砲を強力にするために、チャージ期間はかなり長く
     なってしまうけどな。こんなひねくれた、かつ最も強大な裏主砲を扱える戦闘員……それを
     俺達は、“雷獣”と呼んでいるわけだ。』
      まるで、ため息を交えるような表情で堀田は、肩をすくめてみせた。
     『だが、ただ単に設定したんじゃ面白くない。そこで採用したのが北欧神話だ。月と女神と
     太陽……この三つをイメージする艦がやられた時に、雷獣を呼べるようにしようってね。』
     「そんな……何でわざと、そんな遠回しなことを?」
     『簡単なことだ。そっちの方が、面白いからさ。』
      言い終えて堀田は、手にしていた“小宇宙”をポン、と軽く叩いた。そして、それを合図と
     するかのように、彼と原田は“小宇宙”を被る。
     「……何で、あなた達は今、ここにいるの?」
      今更のような質問を、森口は静かに口にした。
     『空母の“雷獣の衝撃”は通常はロックされている。万が一、チャージしていたエネルギー
     を放出しないためにな。そのロックを解除するのが、皇帝の“小宇宙”ってわけさ。』
      帝国の二大主艦が、その姿を展開していく――
     『ま、そうでなくとも現れたけどな。超えたいんだろ? 俺達――オリジナルを。』
     (ええ、そうよ――)
      胸中でそう答えるが早いか、森口は、後ろに跳んで二人との距離をとった。
     「勝負よ、オリジナル。この、私の艦――『神々の黄昏』と!」
     『面白い!』
      堀田の、藍色の艦が淡く輝き出す。それを見て、森口は軽く首を傾げて、
     「もう裏主砲の準備? クールっぽく見えるのは、外見だけなのかしら?」
     『俺達は艦隊長じゃない。だからオプション機もついていない。俺達――裏の存在にとって
     裏主砲とは、文字通り、唯一の持ちうる武器なのさ。』
      藍の輝きが増していく。それにつられるかのように、隣にいる原田の純白の艦も、次第に
     光を帯びていく。
      オプション機がいないということは、つまりノーマルミサイルが撃てない。戦術を立てるこ
     とができないというわけである。それに対し“神々の黄昏”は、まだ裏主砲を二回も撃つこ
     とができる――
     「……勝った。この勝負、私の勝ちよ!」
      歓喜と同時に『神々の黄昏』は、帝国軍に弾幕を放った。容易くかわされてしまうが、牽
     制がかわされたところで何とも思わない。
     (私の裏主砲は、無差別範囲型……射程距離は短いけど、少なくとも彼等のと同程度の
     威力はあるとみたわ。仮に反射機能があるとしても、最初の牽制に重ねて撃てば――)
      オリジナルに勝てる。
      無数のミサイルを撃ちながら、『神々の黄昏』は二艦の間へと割って入る。
     (仮に裏主砲を撃たれても、それは相殺にしかならない――)
     「“終世炎”!!」
      彼女の艦を爆心として、燃えさかる業火が帝国軍を襲う!
     (もう一発――!)
      炎が敵艦を飲み込む、その直前を見計らって森口は裏主砲の発射ボタンを、押した。
      そして――同時だった。凍り付くような音を立てて、炎が瞬時にかき消えたのは。
      何もできなかった。怪訝の言葉を出すことですら。ただ、純白の艦が帯びていた光が、い
     つの間にか消えていたことくらいしか、彼女が理解できることはなかった。
      それ以外は、全く理解できなかった。自分が、裏主砲で打ち抜かれていることも。
     「どう……して……?」
     『反射プログラムを一人で作り上げたのは大したものだ。』
      こちらも、今や帯びた光が消えている藍色の艦から、堀田の声が響く。
     『だが、それをシステムそのものにつけたのはまずかったな……いかに反射しようが、ショ
     ックそのものは受ける。そして――ダメージは蓄積されるものだ。『黒豹』の裏主砲を受けた
     君のシステムは、その分脆くなっていたのさ。』
      視界が暗転する。力なく森口は、その場に膝をついた。
     『だから、俺の“真闇剣”が君の艦を貫けたのさ。ちなみに原田の裏主砲“神の器”は、攻撃
     こそできないが、広範囲のα波を打ち消すことができる。どんな強力なものでも、な。』
     「そんなことができる……のに、なぜ全員の“小宇宙”にそう……しないの?」
     「……言ったろ?」
     “小宇宙”を脱いできびすを返していた堀田と原田が、こちらを一瞥して、言った。
     「その方が、面白いからさ。」
 
      白石に残された時間は、もう僅かなものでしかなかった。
      いや、「与えられた」と言った方がいいのかもしれない。もう何分もしないうちに、自習時間
      が終わってしまう。それまでにブツを奪取しなくてはならないのだ。だが、空母から“スーパ
      ー・ノヴァ”の殲滅を知らされた時点で、もう時間はほとんどなかった。
       しかし、それでも白石は任務を遂行する自信はあった。彼は戦闘中、裏主砲を撃ってい
      ない。この時間では一、二人しか残っていない事務員を眠らせるには十分である。
     「“白竜の吐息”!」
      現に、その一撃で隣り合わせに座っていたチューターと事務員は、頭を垂れて眠ってしまっ
     た。その様子を確かめて、白石は事務室の奥にある冊子の束のうち一冊を取り――
     「……!?」
      事務室を出ようとした時、何かに腕を捕まれた。
     「み……南先生……? な、なぜ眠っていないんですか?」
     「お前達が、その……妙なヘルメットを使って、模試の解答を……盗んでいたのは、分かって
     いた。だから……こうして、お前達が来るのを……待っていた……!」
     「バレて……いたんですか?」
     「当たり前だ……こう、何度もやられてはな。」
      警戒はしていたらしいが、攻撃をかわしきったわけではないらしい。白石はとどめを刺そうと、
     オプション機で彼を撃とうとした。が――
     「しかし……お前等、模試の解答を盗んで成績を上げたところで……肝心の入試ができなけ
     れば……何にもならないんだぞ?」
      その言葉を聞いて――模試の解答を手にしたまま、白石はしばらく動けなかった。
 
      浪人生。大学に入ることのみを目標とする、純粋な存在――
      だが、彼等を待つものは試練という壁の連続である。それに対して彼等は、時にはぶつか
     り、また時には回避するだろう。しかしそれでも、目標だけは決して見失わない。
      そう、どんなことがあっても。
      彼等の受験戦争は、まだ始まったばかりなのだから――
 
                              予備校ウォーズ・完 
 
 
 


 
 
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