その部屋の中は混雑していた。当たり前だ。倉庫の中なのだから。
      だがしかし、自分の研究所といい、ミーティングの場といい……何でこう、この女は倉
     庫を使いたがるのだろうか? 笹原は胸中で愚痴を洩らしながら、そこらへんにある適当
     な椅子に腰掛けて弁当を食っていた。
     (誰も使ってない、静かな場所があるって言うからどんな所と思ったら、倉庫か?)
      確かに静かではあった。もともとここのフロアに人気がないのもあるが、一応倉庫とい
     うだけあって、ここを構成している壁が教室用のそれよりも若干厚い。が、
     (それも、また地下かよ!?)
      彼は胸中で悲鳴をあげた。どうも地下というのは苦手なのだ。だが、そのことに文句を
     言うと「じゃ、あなたが場所を確保してくれば?」と森口にすました顔で反論されそうな気
     がするので言うことができない。この女も苦手だ。彼女は今、目の前の男に“理想郷”の
     使用方法を教えている。長身の、黒い短髪の男。クラスは確か、十四組だったか。ただ、
     まだ名前は知らない。
      男は、少々目つきが悪かった――笹原もそうなのだが、彼とは少し違う。野心的な笹
     原の目つきに対し、男のそれは攻撃的だった。悪く言えば、人を見下すような。見た限り、
     どうも人の言うことを素直に聞いてくれそうにない、そんな男である。
     (まあ、要は下っ端らしく、派手に暴れてくれればいいんだが。)
      そして自分が帝国にとどめを刺す。中布利に勝利する。これを果たすことができるなら、
     あとはどうでもいい。森口が原田の創った“小宇宙”を超えたいというのなら、そうするが
     いい。この男がもっと楽しみたいというのなら、決着をもう少し伸ばしてもいい。
     (もっとも、奴等はそうさせてくれんだろうが……。)
      そう考えているうちに、いつの間にか箸が空中で空振りしていることに気付く。弁当箱
     がきれいに空になっていることをしぶしぶ認め、笹原は蓋をして、それを小さなカバンに
     入れた――帝国にいた時のとは違う、不必要に大きくないカバン。もう、カバンの許容量
     の大半を占める“小宇宙”は手元には、ない。
      笹原は顔を上げた。男が双眸にかけている“理想郷”に、光の文字が映っているのが
     見える。どうやら、本格的な戦闘訓練を始めたらしい。“理想郷”には“小宇宙”のように、
     脳波のサーチシステムはない。よって、裏主砲の創設・試射もない。裏主砲は“理想郷”
     の初期設定として、既に組み込まれている。内容は、造る森口の趣味に任されてしまう
     が。ただ、当然ではあるが笹原の“雷獣”は、彼の希望を事前に彼女に伝えていたから
     こそできたものである。
     (まあ、そうは言っても裏主砲のグラフィックと、α波の波長を調節するだけだけどね。)
      これは、その時森口が言っていたセリフだ。確かにそうだ。所詮“雷獣”といえど、言い
     換えればただの「威力の強い裏主砲」なだけである。神話に出てくるような、特殊な力
     を持った――あるいは、伝説に語り継がれるようなものではない。実際には「データ・ク
     リスタルの許容する最大の力量」をつぎ込まれた――言い換えれば、「スーパー・ノヴァ
     最強の攻撃力を持った」、ただの“理想郷”である。
      だが、それでもよかったのだ。要は自分が頂点であればそれでいい。“雷獣”なんて、
     たまたま自分の知っていた単語から出た方便だったのかもしれない――?
     「チッ……!」
      ふとそんなことを思いかけて、笹原は舌打ちした。我ながら馬鹿げたことを考えたもの
     だと、胸中で毒づく。彼は手にしているカバンを適当な所へ放り投げると、その場に立ち
     上がった。自分でも悪い方だと思っている目つきで、森口の方を見やる。
     「おい、まだ終わんねえのか。新入者への歓迎の挨拶は?」
     「ちょっと待って、今終わるところだから。」
      大して焦らない――むしろ、呑気に聞こえる口調で、彼女は応えた。それがかえって
     笹原の、気の短さに触ってしまう。
      が、やがて男の“理想郷”から光が消えた。どうやら「挨拶」は済んだらしい。“小宇宙”
     とは違い、手に持つオプションはなく、本体に付与されている小さなボタンを押すことによ
     って、オートで戦闘態勢に入れるのが“理想郷”の特徴である。無論、裏主砲を放つには
     別のボタンを押す必要があるが。
      男は“理想郷”を外すと、小さくため息をついた。そして、それを無造作に宙に放り投げ、
     取る。彼は無表情のままでしばらくそれを繰り返していたが、
     「……しかし、本当にこれで模試の解答をパクれるのか?」
      唐突にそう言ってきた。対して笹原は、眉をつり上げて言い放つ。
     「……質問の前に、名前でも言ったらどうだ?」
     「そんなことはどうでもいい。要はこいつでどれだけ楽しめるかだ。」
      男は笹原へと歩み寄ると、彼の頭上から見下ろすかのように上から視線を刺した。高い。
     こう近くから見ると、改めてそう思う。ひょっとして帝国一の長身である堀田よりも高いの
     ではないかと笹原は訝った。実際、笹原より頭一つ高いわけではないが、それでも百八
     十センチはゆうに超えているだろう。
      しばらくそんな状態が続いた。笹原は何か言いたげな表情はするが、男のプレッシャー
     に圧されてか、なかなか口から声を出すという素振りまでは見せなかった。が、そんな二
     人を見かねてか、森口が彼等の中に割って入る。
     「まあまあ、二人とも。そう邪険にならないで……自己紹介くらい、いいじゃない? なんな
     ら、私が代わりに言うけど?」
      男は黙したままだった。それを肯定と見て取ったのか、彼女は笹原へと視線を移す。
     「彼の名は、松本君――フルネームは、松本雅樹。これは知っていると思うけど、クラスは
     十四組。私のクラスの隣ね。趣味はゲーム……特に、シューティングゲームが好きなんで
     すって。」
     (なるほど、それでか。)
      笹原は納得し、胸中で手を打った。つまり、この男は「リアルなゲーム」を楽しみたいのだ。
     そして、あわよくば模試の解答を奪って一石二鳥――こういう魂胆なのだろう。
      男――松本は、“理想郷”をポケットの中へ入れると森口の方へと向き合った。が、その
     まま何もしない。何も言ってこない。それに対し森口は、少なからず動揺を覚えたが、それ
     をなるべく顔には出さずに平穏を装った。手を後ろに組んで、斜めに小首を傾げてみせる。
     「……何か?」
     「裏主砲とか言ったか……あの、こいつの切り札のことだ。このおっさんヅラのは広範囲に
     攻撃できて、なぜ俺のは、レーザーのような、攻撃範囲が狭いやつなんだ?」
     「あなたの裏主砲“斬神剣”は、笹原の“雷獣の息吹”に比べて、確かに攻撃範囲に関し
     ては劣るかもしれない……でも、広範囲であるとその分、攻撃力も分散されるわ。裏主砲
     そのものの攻撃力は“斬神剣”の方がやや劣っているけど、相手も裏主砲で対抗してきた
     場合、広範囲型の“雷獣の息吹”の威力は相殺されがちなのよ。それに対して、あなたの
     “斬神剣”は相手の裏主砲をすら貫通できる一点集中型ってわけ。まあ、その分狙いを定
     めるのが難しいでしょうけど、それはシューターさんの腕の見せ所ってわけで……ね?」
      肩をすくめながらそう言う森口に、松本はまたも反応を示さなかった。ひょっとして話が
     聞こえていなかったのではないかと森口は訝ったが、しばらくして松本が適当な椅子に
     腰掛け、頬杖をつくのを見ると、そうでもないらしかった。ふと彼女が笹原の方を見やると、
     松本に「おっさんヅラ」呼ばわりされたのが気に入らなかった(まあ、当然だろうが)のか、
     こめかみのあたりをヒクヒクと痙攣させている。その様子に森口は、思わず笑みをこぼし
     てしまう。
      だが、それでも彼女は自分の目的を忘れはしなかった。笹原が帝国を凌駕するために、
     彼女達を「兵士」として利用するように、また彼女も笹原達を「道具」として利用しているの
     だ。自分の目的を果たすために。
     (オリジナルを超えるために……。)
      初めて笹原から“小宇宙”について話を聞かされた時は、原田の発想力を妬んだものだ。
     だが、その中で解せない点もいくつかあった。なぜ、脳波のサーチシステムなんてものを
     装備させているのか。それに使用するメモリを、全て戦闘能力につぎ込めばいいのに、と。
      裏主砲だってそうだ。脳波によって、威力・攻撃範囲がそれぞれ異なるものが創設され
     る。そこまではいいが、各々の威力に差がありすぎる――笹原の話では、山代の“闇色の
     光球”と津波の“妖牛斬”とでは、倍近くの差があるらしい――のは一体どういうことか。な
     ぜ、そう「面白くなくなるような設定」をわざわざしているのか。
     (何か考えがあってやっているのかしら。それとも、ただのミス……?)
      確かに、笹原と松本とでは裏主砲の威力に若干差がある、という点では自分だって同じ
     だ。だが、それは“斬神剣”を一点集中型とするのに、余計にメモリを必要とするという理由
     があってこそのことだ。“闇色の光球”はα波の類を反射させるという特殊性を持つらしい
     が、それは“理想郷”全てについても言えることである。それには森口がしたように、デー
     タ・クリスタルのメモリを増設させてやればわけはない。だが、そのことを“小宇宙”を創れ
     るほどの知識を持つ原田が、知らないはずがないのだ。
      そんな疑問が、しばらくの間森口の脳裏を去来していた。が、いつまでもそんなことを考
     えていても埒があかない。仮に原田の器量がそれまでとしても、それは自分が「オリジナ
     ルを超える」という目的を達成させるのを容易にさせるだけだ。そう決め込んで彼女は、い
     つの間にか下がっていた視線を上げた。そして短く息を吐くと、どことも知れぬ所を見つめ
     ている松本の方へと顔を向けた。
     「ま、そういうわけよ。明後日にはあなたの腕前をとくとご披露してもらうことになるわ。他
     に何か質問は?」
     「……いや、別に。」
      こちらに振り向くまでもなく、松本は素っ気なく応えた。
     「本当にないんだな? 貴様にも帝国の奴等の何人かを仕留めてもらうんだ。裏主砲をむ
     やみに連射して使えなくなったとか言ってわめいてもらっても、困るのは貴様自身なんだ
     ぞ。」
      睨みつける、というよりかは挑発する、といった感じで笹原はそう言った。が、松本はチ
     ラッと笹原の方に双眸を向けるだけで、それ以外の反応は示さない。
     「チッ……。」
      笹原は舌打ちをすると、先程放り投げたカバンを拾い上げた。一瞬、中の“理想郷”が
     傷ついてないかと懸念を抱いたが、それはすぐに杞憂だということに気が付いた。“理想
     郷”ならいつも、ズボンのポケットに入れている。
     「フン、新入者の挨拶も済んだことだ。今日はこれで解散ってことでいいんだな、森口?」
     「ええ、戦闘陣形あたりに関しては、明日にでも話し合うってことでね。」
      まあ、いいだろうという顔をして、笹原はドアノブに手をかけようとした。森口の方を向い
     た時、その後ろにいる松本の姿が見えたのだ。何か言ってやろうかと考えたが、それは
     脳裏の中で消えた。森口の言葉に遮られたのだ。
     「そういえば、ふと思い出したから今のうちに言っておくけど……土曜日、彼等と戦うのは
     相手の時間に合わせていいわよね?」
     「なぜだ?」
      怪訝に思って、笹原が再び振り返る。
     「だって、その方が確実にやり合えるし、それに……昼間からだと、人目につきやすいで
     しょ? 私達だけならまだしも、他にも人がいるんじゃ、ね。今度はとことんやってみたいの
     よ。それはあなただって同じでしょ?」
     「……ああ、そうだ。」
      ゆっくりと、しかし堅実に笹原は応えた。それを見て森口は笑みを浮かべてみせて、
     「そういうことになったわ。しっかりと仲間に伝えてね、汐月さん?」
      そう、ドアの方へと言い放った。それを聞いて、笹原もそちらの方へと視線を向ける。松
     本は興味がないのか、微動だにしないが。
      ドアの向こうから返ってきたのは、沈黙だけだった。笹原が横目で森口を見るが、彼女
     は笑みを浮かべたままだ。確信に満ちた双眸を見ると、どうやらこの向こうに汐月がいる
     のは間違いないだろうと笹原は思ったが、それでも汐月の気配というものが、彼自身には
     感じられない。
     「気にしなくていいのよ。こっちも笹原から色々と情報を聞いているし……この前に会った、
     新しく入ったとかいう二人のことは知らないけど、ね。だからこれでおあいこ。そう考えると、
     別に隠れて聞くようなことしなくてもいいんじゃない?」
      よく澄んだ、それでいて静かな声だと、笹原は胸中で独白した。こんな声で挑発された
     時には、例え相手が女であろうと暴走しかねないだろうと、独白に加えて毒づいた。だが
     それにも拘わらず、汐月は一向に動きを見せようとはしない。
      対して森口もまた、笑みを浮かべたままだった。だがそれは、挑発などという、相手を見
     下すようなものではない。満悦ともいえる、何か楽しんでいるような、そんな表情。
     「それとも――恐いの? 私達が。私達に負けることが?」
     「そんなことない!」
      その唐突な声――というよりはむしろ、汐月がドアを開けてきたことに笹原は驚愕した。
     金髪をポニーテールでまとめた少女。自分がまだ帝国にいた時と比べ、その碧眼の少女
     は少し情を帯びた表情を見せている。
     「あなた達に負けたりなんかしない。みんな……みんな、弱くなんてないから。」
      その「弱くない」という表現が、森口にはあまり理解できないようだった。刹那、首を傾げ
     るような仕草を見せるが、すぐにそれをやめた。彼女は軽く肩をすくめるようにして小さく息
     を吐くと、自分の身体を抱くようにして腕を組んだ。
     「いいわ――どちらが勝つか、明後日には分かることだから。あなた達はいつも、午後八
     時に行動を起こすのだったわよね? 楽しみにしてるわ――」
      静かだった。だがこの静寂とは別に、自分の中にもう一つの「冷静」という静けさが戻っ
     てきていることに、汐月はもう気付いていた。
 
 
 


 
 
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