静かだ。普段よりも遅い昼食をとりながら、山代は胸中で呟いた。
      異様なほどの静けさである。ついさっき――といっても数時間は過ぎているが――昨日
     の無断欠席に続き、今日の遅刻(サボりともいう)について、昼休みに中布利にとことんし
     ぼられたのが嘘のようだ。あの時は、周りにたった十一人しかいなかったというのに、それ
     こそ異様なまでに騒がしかった。安野は普段以上に戦略についてまくし立てていたし、仁
     科は人が変わったように情熱じみた興奮を見せていた。そんな彼を見て、古谷がよいしょ
     をするように演説を唱えるようなこともあった。ただ一人――多分、サボっていた間に入って
     きたのだろうが――眼鏡をかけた真面目そうな男だけは、教室の後ろから黙って傍観して
     いたが。
      だが、今は静かだ。時計は、五時四十五分を指している。通称、九時限目と呼ばれる休
     憩時間は、もうそろそろ終わろうとしている。食べ終えた弁当の空き箱をしまいながら、山
     代は次の自習時間に使うテキストとノートを机の上に並べた。
      今日の「斥候」は、臨時として戦闘本日である今日にも作戦会議を開いたため、それ以
     降の短い休憩時間に済ませた。メンバーは新入者である、あの眼鏡の男――西村とかい
     うのと、前回平井と妙に気があった中村との三人だった。時間が短かいため、いつものよ
     うに思うようにうまくはいかなかったが、それでもなんとかブツの確認はできた。
     (俺がサボった時のための同行者だろう?)
      胸中での独白と同じセリフを中布利に言ってやったのだが、会議の時はそれどころでは
     なく、そんなことはてっきり忘れてしまっていたという、彼らしくない答えが返ってきた。
     (何だかねぇ……まぁ、参謀総長殿がそう言うくらいだから、よほど重要なことなのだろう
     がな。)
      本当は今日もサボろうとしたのだが、今日は確か“スーパー・ノヴァ”と一戦やらかす日だ
     ったということを思い出し、慌てて予備校に来た――そのため、たった今昼食をとることとな
     ってしまったのだ。ここに来たのはつい、三十分ほど前のことだ。それはちょうど九時限目、
     つまり中休みの時間に入った時であり、その時たまたま入り口で会った白石に、今日のこ
     とを色々と聞いたのである。
      戦闘開始は十二時限目開始直後――午後八時ジャスト。これは、いつも通りである。 ま
     た、場所は二階から四階までのフロア――これは、十二時限目に「自習時間」として使用
     可能なのが五階の図書館のみであるためだ――一階を使用しないのは、当然事務室にい
     るチューター達に気付かれないためである。“スーパー・ノヴァ”参戦初の戦闘ということで
     この規定は初めてのものだが、まあこれも常套であろう。
      だが――
     「山代は、森口って人を標的にして行動しろ、だってさ。」
      白石のセリフが、鮮明に脳裏に蘇る。敵は三人。こちらと同様、向こうも戦力が増したらし
     いが、それでも人数では“スーパー・ノヴァ”を圧倒する。
      どうやら、こちらの戦力を三分して臨むらしい――安野の戦略にしては地味なものだなと
     白石に言うと、
     「ああ、今回は参謀総長自らが作戦を提案したんだ。何でも、必ず勝てるからって作戦主
     任を説得したらしいよ。」
     (説得? あの男が?)
      気が付けばそう、彼は自問していた。自分の決めたことは是が非でもやり通すという、
     自己中心的な中布利がわざわざ人を説得するなど、少なくとも自分が帝国に入ってから
     の間、見たことがなければ聞いたこともない。
     (静かな男が熱くなる、か――それも一つの、士気を上げる手段ではあるが。)
      テキストを適当に開いて、山代は自習の準備をした。あと数分で自習時間が始まる。ど
     うせ自分は自習するつもりはない。見回りのチューターの目を欺くために、形だけでも自習
     の用意はしておかなければならない。見回りが過ぎたら、居眠りでもしようと山代は決め
     込んだ。そうしているうちに、奴等と戦り合う時が来るだろうと思いながら。
     (または、それ以上に冷静(クール)になれるか――それが、俺のやり方だ。)
      これから、今以上に静かになる。自習時間になるのだから、それは当然のことであった。
     自習時間においては、いかなる小声を立てることも禁じられている。そういった、反勤勉的
     なことは――居眠りを含めて――見回りのチューター達によって、妨げられる。だが、一旦
     彼等が教室の外に出てしまえば、声を立てない限りは居眠りのような、他人に迷惑をかけ
     ないようなことは大丈夫だった。山代はいびきを立てたりすることはないので、いつもバレ
     ることなく寝ることができた。
      これから、ひとときの静寂が始まる。だが、居眠りをする彼にとって、現世が騒がしかろ
     うが静かであろうが、そんなことは全く問題ではなかった。

      一番教室。別名オペレーション・ルームと呼ばれるそこに、中布利はいた。
      教室にいるのは彼一人だけではない。この教室を「オペレーション・ルーム」と変貌させ
     る当事者である坪内が、いつもと変わらず“小宇宙”を被ったまま、教室の隅でうたた寝
     をしている。
      中布利もまた、いつもと変わらぬ格好をしていた。教壇の席に着き、顎の下で手を組む
     形。ただ一つ違うのは、坪内のように彼も“小宇宙”を身につけているということだった。
      一番教室は、授業に使われることもなければ、自習室にされることもなかった。ただ、
     サボりの浪人生がいないかどうか、たまに見回りのチューターが覗きに来ることもあった
     が、九時限目以降はここには姿を現さないということを、中布利は知っていた。
      彼は“小宇宙”の映像を通し、黙って虚空を見上げていた。いや、虚空ではない。その何
     もない空間の中に、自分の話し相手がいるかのように中布利は、静かに口を開き始めた。
     「笹原――聞こえているのだろう。私だ、中布利だ。」
      相手の返事を確認するまでもなく、中布利は淡々と話を続ける。
     「以前、私はお前の要請を断った――“雷獣の主砲”を任せてほしいという、な。しかし、
     それには理由があった。お前には任せることができないという理由が。」
     『――今更そんなことは、どうでもいい。今の俺は“雷獣の息吹”を手に入れたのだから
     な。』
      声は、中布利の“小宇宙”を通して聞こえた――無論、笹原は“小宇宙”を身につけて
     いない。だが“小宇宙”を模造した“理想郷”とでも遠隔会話ができるだろうとは、ある程
     度前から中布利は予測をつけていた。
     「そうだ。うわべだけのな。」
     『……何?』
      笹原の、独特な響きのある低い声は、疑問符をつけて再び返ってきた。
     『何を言っているのだ、貴様は? 『天騎士』と『紅炎』を瞬時にして葬った、俺の“雷獣の
     息吹”の威力を見ていないわけではないだろうが?』
     「無論、見ていた。そして確信したのだ。所詮、お前の誇る裏主砲というのは雷獣の“息
     吹”でしかないのだ。」
     『所詮、だと? クックック、そう言ってくれるのはいいが、その“所詮”の前に貴様等は為
     す術がないではないのか?』
     「真の“雷獣”は既にいるのだよ、笹原。」
      中布利が静かに――そしてどこか、勝ち誇ったように――言う言葉に、返ってきたのは
     沈黙のみだった。かまわず中布利は、先を続ける。
     「彼は我等、帝国“バイツァ・レグルス”における最初の戦闘員資格を持った男だった。そ
     れがいきなり“雷獣”となる資格も持っていたとは、皇帝陛下ですら思ってもみなかったそ
     うだ。」
     『最初の戦闘員……津波が、か? 奴のエモノは“妖牛”を斬ったという“聖剣”じゃねえか!
     それのどこが“雷獣”だというのだ!?』
      笹原の声音の中のわずかな虚飾が、中布利には明確に見て取れた。疑心暗鬼により
     生じる虚栄。それはそのまま彼が抱く不安を意味する。
      神話の中に現れる、数々の神と魔物。それらの中から作戦名、裏主砲名を命名するこ
     とがあるのは、中布利にも仁科にも見られることだった。その中でも、最も強大にして偉大
     な存在、雷獣。そして彼のもつ最強の武器――雷槌(ミョルニル)。
      笹原は、このことを知っていた。津波の裏主砲名の由来を知っていることからも、そのこ
     とは十分知ることができる。恐らく“スーパー・ノヴァ”側の命名も、同様にしているだろう。
     だが、そんなことは別にどうだっていい。神話からの命名は、中布利達の専売特許などで
     はないのだ。しかし――
      雷獣は、何もなしには動くことはなかった。このことを笹原が知っているかどうかは、定か
     ではない。今この場で聞いてみるのもいいが、この状況の中で、彼が素直にこんな質問に
     答えるという確信はない。
      そう。雷獣は動かない。神々からの召喚がない限り――
     「津波ではない。それ以前の者だ。」
      中布利はふと、腕時計を一瞥した。六時四十分。十時限目がそろそろ終わろうとしている。
     次の十一時限目が終わればその時は、ここに帝国の一員全員が集結することになる。
      再び、しばらくの間があいた。いや、実際はものの二、三秒だったのだが、中布利にとっ
     てはそれが、もっと長い間であったように思われた。つまり自分の言葉に、笹原がここまで
     動揺するとは思っていなかったのである。
     『それ以前? クックッ……中布利、まさか貴様がそうだなどと言ったら、洒落にもならんぞ。』
      だが、次の笹原のセリフは、本来の口調に戻りつつあった。まあ、それもまた面白いだろ
     うと中布利は、適当に相槌を打つような気分で言う。
     「私は戦闘員ではない――私の、すぐ側にいる者だ。」
     『貴様の――側だと?』
      戦闘員型でない“小宇宙”は、相手のそれを通して画像を転送・送信することができる。
     それは恐らく“理想郷”に至っても同様のことが言えるだろう。
      今度こそ、笹原は絶句したようだった。それにとどめを刺すように、中布利が言い放つ。
     「では、改めて紹介しよう。笹原――彼の名は坪内極。帝国“バイツァ・レグルス”第零艦隊
     『動く要塞』隊長。裏主砲は――“雷獣の衝撃”だ。」
 
 
 



 
 
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