一番教室。別名オペレーション・ルームと呼ばれるそこに、中布利はいた。
教室にいるのは彼一人だけではない。この教室を「オペレーション・ルーム」と変貌させ
る当事者である坪内が、いつもと変わらず“小宇宙”を被ったまま、教室の隅でうたた寝
をしている。
中布利もまた、いつもと変わらぬ格好をしていた。教壇の席に着き、顎の下で手を組む
形。ただ一つ違うのは、坪内のように彼も“小宇宙”を身につけているということだった。
一番教室は、授業に使われることもなければ、自習室にされることもなかった。ただ、
サボりの浪人生がいないかどうか、たまに見回りのチューターが覗きに来ることもあった
が、九時限目以降はここには姿を現さないということを、中布利は知っていた。
彼は“小宇宙”の映像を通し、黙って虚空を見上げていた。いや、虚空ではない。その何
もない空間の中に、自分の話し相手がいるかのように中布利は、静かに口を開き始めた。
「笹原――聞こえているのだろう。私だ、中布利だ。」
相手の返事を確認するまでもなく、中布利は淡々と話を続ける。
「以前、私はお前の要請を断った――“雷獣の主砲”を任せてほしいという、な。しかし、
それには理由があった。お前には任せることができないという理由が。」
『――今更そんなことは、どうでもいい。今の俺は“雷獣の息吹”を手に入れたのだから
な。』
声は、中布利の“小宇宙”を通して聞こえた――無論、笹原は“小宇宙”を身につけて
いない。だが“小宇宙”を模造した“理想郷”とでも遠隔会話ができるだろうとは、ある程
度前から中布利は予測をつけていた。
「そうだ。うわべだけのな。」
『……何?』
笹原の、独特な響きのある低い声は、疑問符をつけて再び返ってきた。
『何を言っているのだ、貴様は? 『天騎士』と『紅炎』を瞬時にして葬った、俺の“雷獣の
息吹”の威力を見ていないわけではないだろうが?』
「無論、見ていた。そして確信したのだ。所詮、お前の誇る裏主砲というのは雷獣の“息
吹”でしかないのだ。」
『所詮、だと? クックック、そう言ってくれるのはいいが、その“所詮”の前に貴様等は為
す術がないではないのか?』
「真の“雷獣”は既にいるのだよ、笹原。」
中布利が静かに――そしてどこか、勝ち誇ったように――言う言葉に、返ってきたのは
沈黙のみだった。かまわず中布利は、先を続ける。
「彼は我等、帝国“バイツァ・レグルス”における最初の戦闘員資格を持った男だった。そ
れがいきなり“雷獣”となる資格も持っていたとは、皇帝陛下ですら思ってもみなかったそ
うだ。」
『最初の戦闘員……津波が、か? 奴のエモノは“妖牛”を斬ったという“聖剣”じゃねえか!
それのどこが“雷獣”だというのだ!?』
笹原の声音の中のわずかな虚飾が、中布利には明確に見て取れた。疑心暗鬼により
生じる虚栄。それはそのまま彼が抱く不安を意味する。
神話の中に現れる、数々の神と魔物。それらの中から作戦名、裏主砲名を命名するこ
とがあるのは、中布利にも仁科にも見られることだった。その中でも、最も強大にして偉大
な存在、雷獣。そして彼のもつ最強の武器――雷槌(ミョルニル)。
笹原は、このことを知っていた。津波の裏主砲名の由来を知っていることからも、そのこ
とは十分知ることができる。恐らく“スーパー・ノヴァ”側の命名も、同様にしているだろう。
だが、そんなことは別にどうだっていい。神話からの命名は、中布利達の専売特許などで
はないのだ。しかし――
雷獣は、何もなしには動くことはなかった。このことを笹原が知っているかどうかは、定か
ではない。今この場で聞いてみるのもいいが、この状況の中で、彼が素直にこんな質問に
答えるという確信はない。
そう。雷獣は動かない。神々からの召喚がない限り――
「津波ではない。それ以前の者だ。」
中布利はふと、腕時計を一瞥した。六時四十分。十時限目がそろそろ終わろうとしている。
次の十一時限目が終わればその時は、ここに帝国の一員全員が集結することになる。
再び、しばらくの間があいた。いや、実際はものの二、三秒だったのだが、中布利にとっ
てはそれが、もっと長い間であったように思われた。つまり自分の言葉に、笹原がここまで
動揺するとは思っていなかったのである。
『それ以前? クックッ……中布利、まさか貴様がそうだなどと言ったら、洒落にもならんぞ。』
だが、次の笹原のセリフは、本来の口調に戻りつつあった。まあ、それもまた面白いだろ
うと中布利は、適当に相槌を打つような気分で言う。
「私は戦闘員ではない――私の、すぐ側にいる者だ。」
『貴様の――側だと?』
戦闘員型でない“小宇宙”は、相手のそれを通して画像を転送・送信することができる。
それは恐らく“理想郷”に至っても同様のことが言えるだろう。
今度こそ、笹原は絶句したようだった。それにとどめを刺すように、中布利が言い放つ。
「では、改めて紹介しよう。笹原――彼の名は坪内極。帝国“バイツァ・レグルス”第零艦隊
『動く要塞』隊長。裏主砲は――“雷獣の衝撃”だ。」