「ちわーす!」
そんな挨拶と共に、彼は一番教室――オペレーション・ルームへと入ってきた。ちょっ
と色黒の、挑発的な笑みを浮かべた男――
その男に、白石は横目で応えた。
「なんだ、来たのか……チッ。」
「いかな小声でも俺の耳は何事も洩らさず聞き取る事ができる。」
呼吸の間をおかずにそう言って、津波は白石の頭を掴み上げた。
「ギャオアァァッ!?」
「ふっ、バカが。この程度でそんな大げさに驚いているうちは、まだまだお前もあまちゃんよの……。」
「その程度のことに、昨日それ以上に驚いたのは、どこの誰だったっけ?」
声は、彼等の後ろから聞こえた。瞬時に、津波は掴んでいた頭を放す。
「こんにちわ、広瀬さん。今日もまた、お美しいですね。」
「こんにちわ、津波君。何か、口調が震えているようだけど?」
「い、いえいえ、気のせいでございますよ。」
そう、震える口調で答え、津波はから笑いをした――と、いきなり自動ドアが開く音が
する。
「参謀総長? もう来たのかな。」
広瀬は呟いて、ドアの方を見やった――が、誰も入ってはこなかった。自動ドアの、感
知ミスで開いたものだろうかと、広瀬はそれ以上そのことに興味は示さなかった。
昨日の戦闘員試験のような、特別な時以外は帝国の人間は昼休み、オペレーション・
ルームに集まってミーティングを開くのが通常である。彼等は、そのため急いで弁当を食
べるとはいえ、早くて昼休み開始から十分後くらいでないと集合することができない。特
別な時は昼食抜きで集合し、弁当は九時間目という、夕方休みみたいな時間に食べる
ようになっている。今は昼休み開始から五分程度しかたっていないが、白石と広瀬は、も
ともと九時間目に食べるつもりで今日は早くに来たのである。津波においては、まあ、彼
の場合は早弁か何かだろうが。
つまり、この時間に人が来るというのは、まず(白石や津波のケースでない限り)ないこ
とだった。
「広瀬さん。別に奴のことをわざわざ“参謀総長”なんて呼ばなくてもいいですぜ。奴なん
て“フリ”でいいんスから。」
「あの人、そう呼ばれるの、嫌がってなかったっけ……?」
「いいじゃねえか、それくらい。何もその場にいない人間に呼称なんぞ気遣ってられるか、
なあ、やーま?」
言って津波は、彼の後ろの席でもくもくと弁当を食っている男に話を振った。
「……ああ、そうだな。」
彼は、ごく当たり前の返事をして、また弁当を食い始めた。しばらく、その彼が弁当を食
べる音のみが、オペレーション・ルームに響く。
そして、彼が弁当を食べ終わった時、はじめて広瀬は口を開いた。
「え、ちょ、ちょっと、この人……いつ、ここに入ってきたの?」
「ああ、こいつ? 気にせんでいいスよ。人に感づかれずに行動するのが趣味ですから。」
「そういう問題じゃなくて! 一体、いつ入ってきたの?」
広瀬は少し、興奮気味に言った。それに対して当の男は、目を丸くして彼女を見つめて
いる。
「え、何? この人、新しく入ってきたの?」
彼は、やや嬉しそうに前に立っている津波に聞いてきた。津波は自慢げに頷いて、
「ああ、昨日から第六艦隊長になったんだ。作戦名は『戦女神』という。」
「へー! そうなんだ。あ、そう。だったら、今日から毎日予備校に来ようかなぁ?」
彼は嬉しそうに独白し、弁当箱を布に包んでカバンの中に入れた。そのカバンから代わ
りにヘルメットのようなもの――“小宇宙”を取り出し、言う。
「ええっと、僕も一応、帝国の戦闘員の一員でして、第四艦隊『隠者』の隊長を務めさせ
てもらっております、十組の山代智之と申します。以後、お見知り置きを。」
「……え、と、ひょっとして私のこと、知ってるの?」
「そりゃもう。十組の中では、“八組の女神”なんて呼ばれるほど有名でして。」
「え、そ、そうなの?」
山代の話を聞いて広瀬は、顔に手をやって顔をほころばせた。そこにそっと津波が、山
代に耳打ちする。
「ちなみに、第六艦隊の裏主砲は“美しき死神(リーサル ヴィーナス)”ってんだ。」
「聞こえてるのよ私。」
呼吸の間をおかず――かつ、顔をほころばせたままで、広瀬は津波のふくらはぎを思
いきり踏み抜いた。結果、彼の下半身が勢いよく倒れ、後頭部を床に打ち据える。
倒れたまま痛みにもがく津波の姿を、なんて痛そうなんだと、顔面を蒼白にして白石が
目を剥いた。横で山代も瞠若している。その、彼等の反応を無視して広瀬は、変わらず顔
をほころばせたまま、それを山代に向けた。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、十組のみんなによろしく言っといてね、山代君。」
「え、ああ、は、ハイ。」
気を動転させながら、山代は応えた――同時に、胸中で独白する。
(想像画とはひと味違った娘だな。)
それでもまあ、自分のクラスの噂の娘には変わりはない。満足げに頷いて山代は、クラ
スの他の奴等に差をつけたと、優越感に浸った――と、その場を立とうとしたとたん、何か
につまずき、危うく倒れそうになる。
「うわっと! な、何だ……?」
山代は怪訝に思って、足下を見てみた――と、そこに、“小宇宙”を被って、体育座りの
格好で眠りこけている(表情は“小宇宙”で分からないが、雰囲気でそう感じた)男がいる。
しかし、それを山代は特に何もおかしなことはなかったかのように肩をすくめて、
「何だ、こいつか……今日は思ったよか、人目のつく所で寝てるんだな。」
「いつもはもっと、部屋のすみっこで寝てるのにね。」
彼の言葉を続けるように、白石が割って入ってくる。その彼らの会話に、広瀬はどことな
く違和感を感じて、首を傾げる。
「ちょ、ちょっと待って……いつもはって、私まだ、この人見たことないわよ?」
「見てないって、昨日もいたよ。この部屋のすみっこで、ずーっと寝てたじゃないか。」
「まあ確かに、いくら俺が人目のつかない行動を得意とするっつっても、こいつの影の薄さ
にはちょっと負けるかな。最初は気が付かなくっても、そう不思議じゃないやな。」
頷いて、白石の後を山代も続ける。
「第一、こいつがここにいないと、一番教室が“オペレーション・ルーム”として成り立たね
えもんな。気が付かなくっても、ここにきて隅から隅まで探せば、絶対こいつはいるはず
だ。絶対な。」
「……どういうこと? 成り立たないって。」
「それは私がご説明しましょう。」
怪訝に思う広瀬の足下から、声は聞こえた。
驚いて彼女が下を見ると、未だ痛む頭をさすりながら、倒れている津波の姿があった。
彼女は、それを見るなり――珍しく顔をこわばらせて――反射的にかかとを振り下ろし
た。
「下品な人はキライッ!」
ごりっ
そこはかとなく妙な音を立てて、津波は悶絶した。肩で息をしながら、何とか表情を整え
て広瀬は、何事もなかったように、言う。
「……で? 何で成り立たないの?」
「え、あ、ああ、それは……」
さすがに彼女に戦慄を覚えたか、山代の口調がおぼつかなくなってきた。見てはならな
いものを見てしまったのかも、と思いながら彼は一つ咳を払って、
「えっと、こいつ――多分、本人が起きているところはそうそう見れたものじゃないだろうか
ら、代わりに俺が紹介するけど――坪内極。確か十三組だったと思う。んで、坪内の“小
宇宙”のデータってのが『動く要塞』――空母なんだけどな。このデータが発するという…
…何て言ったらいいか……まあ、空母領域ってとこかな? その中に入って、はじめて“小
宇宙”を被った奴が空母の中に入っているような状態になる。そして、空母領域として使わ
れているのがこの、予備校では使われていない一番教室であり、つまり坪内がいて、はじ
めてここが“オペレーション・ルーム”となる――こんなもんでいいか?」
「……うん、何となくわかった。」
一つ頷く広瀬に、山代はさらに続ける。
「んで、空母領域内で艦隊発進ボタン――ライトオプション・Bを押すと、宇宙画面に転移す
るわけだ。逆に、宇宙画面中に空母領域内で押すと、空母内に転移することができる。そ
の時は、まあ、実際にもうやっただろうからわかると思うが、自然に艦内から脱出してるわ
けだ。」
「はーい、一つ質問。」
「はい、どうぞ。」
「何で転移でなきゃいけないんだろ? 艦ごと空母に入って、またそこから出るってのもあっ
た方がカッコイイんじゃない?」
「あのさ、広瀬さん。」
山代の隣で、話を切り出すタイミングを待っていた白石が、ここぞとばかりに二人に割って
入ってきた。
「念のため言っとくけど……架空なのはあくまで画面、視界だけなんだ。だから、もし艦ごと
空母に入って云々ってのをするとなると、その足場まで考えなきゃいけないでしょ?視界と
足場を一致させるには、“小宇宙”には限界なんだ。そういう意味もあって、空母からの出入
りは空間転移という設定になっているんだ。」
「フーン……。」
腕を組んで、広瀬は首を傾げて何やら考え事を始めた。が、すぐに向き直る。
「でも、そうすると、そこまで考えた、その皇帝って人はよほど暇だったんだろうね。考えるだ
けでなく、それを実際に作っちゃうんだから。」
「まあ……あいつは、遊びに関しては天才的だからな。暇ってほどでもなかったんだろうよ、
あいつにとっては。何つっても、『交通事故防止のための自動車及び歩行においての危険
物スキャナー装置を付けた、安全第一を養う会結成』と称して、予備校の隙をついて解答を
パクるっていう案を昼寝をしながら考えついた奴だからな。もちろん、チューター達は未だに
そう信じているんだけど。それこそ、何かの拍子での思いつきか、ただの趣味で作ったよう
なもんさ。」
山代は、そう言いながら床に倒れている津波をつま先で小突いて起こしにかかる。それを
広瀬は横目で見ながら、ふと思い出したように手を叩いた。
「そういえば……ね、白石君。」
「え、は、はい? 何か?」
「昨日、参謀総長に『帝国の一員になろうとした動機』ってのをを訊かれた時さ、ホントにた
だ『楽しそうだから』ってだけでよかったのかな?」
「それは……僕もちょっと誰かに訊いてみたいと思ってたんだ。あの時、てっきり怒られるん
じゃないかって思ったんだけど……。」
「ねー? 私も、今考えてみるとそう思うんだが。」
「……と、取り込み中、悪いんだが。」
二人の会話に、今度は山代が割って入った。津波がいいかげん起きないので、諦めたら
しい。広瀬は声のした彼の方に目を向けるが、しかし彼は白石の方に向いて、
「白石、お前が帝国に入る時、同じ様なことを訊かれたと思うんだけど、その時お前は何て
言ったんだ?」
「え……『成績がよくなりたい』だけど?」
「だろ? 俺もそうさ。『楽して点を取りたい』ってな。他の奴等も似たようなもんだろうよ。け
ど、そんなことが動機であろうが、上の連中にとっちゃ、さほど問題じゃねえんだ。つまり、
どんな形であれ帝国に忠誠を誓ってくれさえすりゃ、どうでもいいのさ、動機なんてな。」
最後は肩をすくめて、山代は言った――同時に白石と広瀬、二人が顔を見合わせる。
案の定だな、と彼は胸中で呟いた。
その、山代の思惑通り(?)、広瀬が首を傾げて訊いてくる。
「でも私、そんな“忠誠”なんて堅苦しそうなことしないよ……っていうか、したくないよ、そ
んなの。」
「言ったろ?『どんな形であれ』ってな。実際はどう思ってようが上の連中にとって“忠誠”
であってくれればいいのさ。俺達が模試の解答を奪取するのに一生懸命になれば、それ
はそれで連中にとっては“忠誠”になるんだ。“模試の解答”という一つの目的で、俺達は
団結されるわけだからな。」
「あ……そういうこと。」
納得顔で広瀬は頷いた。山代が目をやると、白石も彼女同様、頷いている。山代はた
め息を一つついて、
「……どうせお前のことだから、今はじめて知ったってんだろ?」
「うん。」
彼は、迷いもなく答えた。山代はさらに深いため息をついて、
「あのな。仮にも第三艦隊長ともあろう奴がそんなことでどうする。お前、俺より早く帝国
に入ったんだろが。しかも、毎日来てるくせに。」
「そういう山代は、よくそんなこと知ってるね。多分、こいつも知らないと思うよ、そんなこ
と。」
言って、未だ床でのびている津波を指さした。さすがにちょっと心配になってきたか、広
瀬が彼の顔を覗き込む。ちらっとだけだが。
「まあ、俺はやることはやってるからな。来ないけど。」
と、ひとしきり笑ってすぐに表情を改める。自動ドアの方を一瞥して、
「それにしても、参謀総長殿はお遅いこったな。今日は別にミーティングは中止ってわけ
じゃないんだろ?」
「う、うん。そう言われてみれば……確かに、仁科君も来ないってのは変だね。」
「ああ、あの二人が来ないってのはまずないからな。とすると……何かあったな、こりゃ。
おい、いいかげん起きろ、津波。参謀二人を探しに行くぞ。」
「う……うん?」
額を叩かれ、ようやく津波は目を覚ました。痛む頭を手で押さえながら、ゆっくりと起き
あがる。
「やーま……俺さ、頭を金槌か何かで殴られたような記憶があるんだけど。」
「気のせいだろ。さ、行くぞ。」
頬に、一筋の汗を伝わせる広瀬の顔を見て見ぬふりをして、彼は自動ドアに向かって
歩き――
そのドアは、彼が近づく前に開いた。
そこから現れた一人の人間――青い目をした、長い金髪をポニーテールにまとめた女
――は、息を切らせていた。彼女は、情報主任参謀の仁科のいとこにあたり、外人を母
親に持つハーフである。彼女の役職は情報処理班(といっても一人だけだが)であり、そ
の美しい容姿を利用して色々なクラス・チューターから模試における様々なデータを聞き
出し、集めるのが役目である。彼女の人気は帝国内でも高く、実質上、広瀬が帝国に入
るまでは帝国内の人気を独占していた。
山代は、久々に来た予備校の醍醐味を目の当たりにし、感嘆の声をあげた。
「おや、これは情報処理班。お久しぶりですな。」
「あなた……『隠者』? よかった、好都合だわ。」
「よかった……って、一体、何が好都合なので?」
理由は分かっていても、つい口に出してしまう。戦力は多いに越したことはない。
せめて、これを目的にでも毎日、予備校に来ようかな、と山代は胸中で独白した。しか
し、彼女の口にした言葉は、彼の予想に大きく(いや、わずかに)反していた。
「彼が生きていたの。」
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