また朝のように殴られるのかと、白石は急に痛がるのをやめてその場に立ち上がり、机
のかげに隠れたが、中布利はただその場に座ったまま、視線だけを扉の方へと向けてい
る。両手を組んだままで。
 扉から現れた男は、頭を掻きながら思わず拍子抜けしてしまう(少なくとも、警戒している
白石にはそう思えた)ような声を出した。
「いや〜、悪い悪い。トイレが思ってたより混んじまっててよ〜。」
 男は、中布利と仁科の間に入るような形で席についた。背丈は百七十五・六、中村ほど
ではないが、やや肌が黒い。黒の短髪で、春も過ぎかけているというのに、シャツを三枚も
着込んでいる。妙に爽やかに笑う男に、中布利はただ一言のみを投げかけた。
「……遅かったな。」
「いや、だからトイレが混んでたんだって。もう三分遅かったら死んでたで。」
「お前が遅れた理由は、それだけではあるまい?」
 中布利は、そう言いながら彼にしては珍しく笑みを浮かべてみせた。とはいえ、意地悪げ
を含んでいる笑みだが。
 その笑みの意味を悟ったか、男は「ギクッ」と一言、さもわざとらしげに呟いて、
「いや、ほんと俺が悪かった。許してくれ。だってしょうがないだろが、昼休みになって、いく
ら教室を探しても俺の菜恵ちゃんがおらんのだから……。」
 そうぶつぶつと呟く男に、仁科が横から黙ってつついてくる。男はそれを大げさに右手で
払って、
「ええい、何するんだにっしー! お前がどうあがこうが俺の菜恵は渡さん!!」
 男がそこまで言い放って――不意に仁科はその場を離れた。
 当然といえば当然のことだが……結果として、男にとって仁科の向こう側に座っていた広
瀬の姿が現れる。
「…………………………………………。」
 男は沈黙した。というか、石化したように仁科には見えた。その、永遠に続くと思われた
沈黙は、男自身の(苦し紛れの)咳払いによって終止符を打たれた。が、
「……別に私、あなたの彼女ってわけじゃないんだけど?」
「うああああっ!! 一番言われてはいけないセリフをっ!」
 正確には、広瀬の一言による男の絶叫が、オペレーション・ルームの堅い雰囲気を打ち
壊した。彼は頭を抱えながら、なおも叫び続ける。
「ひどいっ、ひどすぎる! ここにおるんやったらそうって早く言わんか白石〜!」
「そう言ってなぜ僕の首を絞める……!?」
 落ち込んだと思わせたその刹那、男はそばにいた白石の首を絞めにかかった。多分、
単なる憂さ晴らしだろうが、まあ気持ちは分からんでもないと、仁科は二人を横目で見た。
「……それで、本題に入るが……。」
「そう、冗談はこれくらいにしといて、と。」
「ほんっ……ゴホッ、とーに冗談ゲホッ……だったんだろーね?」
 中布利の一言に、男はガラッと態度を変え、静かに襟元を整えた。白石は彼に憎悪の
視線を向けるが、男は何食わない顔でそれを無視する。そしてそれに合わせるかのよう
に、中布利も白石の方は見向きもせずに、淡々と話を続ける。
「中村、広瀬の二人に戦闘員資格の試験を行う……が、私の見る限り、二人とも要点は
クリアーしている。そこで試験を行う前に、なぜ我等“バイツァ・レグルス”の一員となろう
としたのか、その動機を言ってもらいたい。」
「それはもちろん! おもしろそうだからよ。」
「まあ……私もそんなトコかな。」
 即答だった。そして、それはあまりにも単調すぎた。白石はきっと、中布利は――いや、
参謀総長は彼等に「ふざけるな!」と一喝すると思った。ひょっとすると、彼等自身もそう
思ったかもしれない。しかし、その思慮は中布利の一言によって氷解した。
「よかろう……それでは、試験を開始する。情報主任、あれを二つ持ってきてくれ。」
「了解。」
 応じて仁科は、いつの間にか後ろに置いてあった大きめのバッグから、ヘルメットのよう
なものを二つ、取り出した。それを中村と広瀬、それぞれ一つずつ手渡す。
「それは帝国の一員であることの証であり、かつ戦闘員の必需品でもある――我々はそ
れを、“小宇宙”と呼んでいる。」
「“小宇宙”?」
 すっとんきょうな声で、そう聞いたのは広瀬だった。手にしているその、ヘルメットのよう
なもの――“小宇宙”をしげしげと見つめている。
「そう、それを付けていると、身の回りが宇宙のように見えるんだ。だから僕達はその宇
宙を作り出すようなものを“小宇宙”と呼んでいるんだ。」
「ワレ白石、俺の目の前で菜恵ちゃんに馴れ馴れしいクチきくたぁ、ええ度胸しとるのう。」
「ああああ、だから何で僕だけ。」
 広瀬に説明する白石に対し、男は再び彼の首を絞めにかかった――と、そこに思い出
したかのように仁科が声をかける。
「そういやお前……まだ、二人に自己紹介していないだろ?」
「へっへ〜ん、にっしー、それは必要ないというものだ。菜恵ちゃんと同じクラスで、俺の
名前を知らんわけないだろ。」
「知らないわよ、私。」
「…………………………………………。」
 冷たい、あまりにも冷たい広瀬の即答は、今度こそ男を石化させた。
「まあ、同じクラスだってのは知ってたけど。いつも騒いでるし。」
 さらに追い打ちが、石化した男を打ち砕いた。そのままパタッとその場に倒れる。
「……素直に自己紹介していれば、こんなことにならずに済んだものを。それに第一、中
村はお前とは初対面なんだろう?」
 仁科は何気なくというか、倒れている男に対してそう興味を持たない感じでそう呟いた。
倒れてから微動だにしなかった男は、しばらくして勢いよく立ち上がる。
「アホ言え! あいつはうちの近所に住んでるんだ! あいつだって俺のことはよく知っとる
わい!」
「……そうなのか?」
 言ったのは中布利だった。中村はハハ、といやに明るい声で笑い、
「相変わらずだな、津波。お前、予備校に来ても女のケツ追っかけてんのか?」
「女のケツって……人聞き悪いな、お前。常に恋を求めている、くらい言ってくれよ。」
 言われて男、津波はこれも笑いながら応えた。とはいっても、苦笑いだが。表情はその
ままで、彼はぐったりと俯いた。
「ハァ。きっと俺の名前は知ってくれてると思って、カッコつけてみたんだけど……やっぱ
しダメだったか。」
「何でもいいが、自己紹介はしておくべきだな。帝国の一員として。」
中布利の一言に、一瞬津波は表情を険しいものにした。が、下を向いていたために、そ
れは他人には見えないようだった――それをすぐに戻して改めてその場に佇む。
「えー、オホン。僕は八組の津波楓と言います。帝国内位置としては、第一艦隊長を務
めさせてもらっております。第三艦隊の白石なんぞよりはずっと頼りになると思いますの
で、どうぞよろしく。」
 言い終えて、津波は再び席についた。それを確認し、中布利は次に視線を白石に向け
て、促す。それにハッと気づき、彼も少々ぎこちなくその場に立つ。
「だ、第三艦隊長の白石善雄です。クラスは七組です、よろしくお願いします。」
「七組? 理系の中位クラスなんだ。」
 広瀬は、白石を意外そうな目で見やった。白石もそれは読んでいたらしく、わざとらしく
照れながら頭を掻く。しかし無論、それを津波が黙って見ているはずがない。
 彼は、つかつかと――それでいて、かつ静かに白石の方へと歩み寄り、がっちりと、し
かし軟らかく頭を包み込むように、その頭にヘッドロックをきめた。津波の表情は、冷淡
だった。だが、はっきりと嫉妬に燃えていた。白石は声にならない悲鳴をあげる。それを
中布利は当然のように相手にしない。そして広瀬も。もうこの二人はどうでもいいと、彼
等はそう思っていた。
 中布利はしかし、それでもしばらくその二人が黙るまで何かを待っていたようだったが、
とうとう待ちきれなくなったか、唐突と思えるほどに閉ざしていた口を開いた。
「……まあ、こんなバカ共もいるが、我等帝国の一員として、これからしっかりやっていっ
てほしい。私は統帥本部総長兼、参謀総長で六組の中布利漁、そして……」
 中布利は、広瀬と中村の横に座っている仁科を視線で指した。
「俺は十一組の仁科澄夜、情報主任参謀だ。よろしく。」
 言って、軽く手を挙げてみせる。とりあえず、この場にいる人間の自己紹介は終わった
かと中布利は辺りを見回し、それから再び、仁科に目で合図を送る。
 仁科は席を立ち、広瀬と中村、二人の前にある席に座り直して広瀬の“小宇宙”を手に
取った。
「では、こいつの説明に入ろうか……中村、これを被って右耳の下にあるボタンを押して
みてくれ。こういうふうにだ。」
「待ってました! ようやく説明か。」
 言いながら、仁科はそのボタンが見えるように“小宇宙”を返しながら、それを押してみ
せる。その通りに中村は、(サングラスの上から)被ってそのボタンに手をやる。
「そうしたら、この一番教室がオペレーション・ルームとして映るはずだ。また、“小宇宙”
を身につけている俺の姿も、宇宙服となっていると思う。」
「おー、ホントだ、すっげ〜!」
「えー、私も見たい、見せて〜。」
“小宇宙”を被ってはしゃぎ回る中村を目に、広瀬が席を立って仁科の“小宇宙”に手を
伸ばす。が、「一通りの説明の後だ」と、仁科はその手を払った。それにかまわず、再び
広瀬が手を伸ばすが、またそれを仁科がかわす。しばらくその様子が続いたが、根負け
したか、広瀬はふくれっ面で席に戻った。
 彼女の横で、それまで津波のヘッドロックでダウンしていた白石が、その様子を見て突
然起き上がる。
「あ、広瀬さん。僕のでよかったら見せるけど?」
「お前のを身につけたところで、それはあくまで第三艦隊のデータにすぎん。“小宇宙”の
初期化を行うまでは、他人のものを身につけることができないということを忘れたのか、
白石?」
 声は、中布利のものだった。白石の下心を見抜いて言ったかのようなセリフは、まさに
その通りのように白石を射抜く。
「う、そ、そういえば……。」
「それに、今は試験中だ。彼等はまだ、帝国の一員にはなりきっていないということを忘
れてもらっては困る。」
「え、今って試験中なのか?」
 中布利の言葉を聞いていたか、中村がすっとんきょうな声をあげる。中布利は一つ頷き、
「とはいえ、さっきも言った通り、お前達は見た限りでは試験をクリアーしたも同然だ……
さっき押したボタンより少し上の辺りに、小さなカバーがついている。それを開けて、その
中のボタンを押してみろ。」
「え…………と、これか?」
 言って中村は、言われた通りにボタンを探り、押す。すると、キュィィ……という音を立て
ながら、中村の“小宇宙”が小刻みに震え出した。
「な、何だよ一体、こりゃ!?」
「静かにした方がいい……今、お前の脳波を調べている。」
「の……脳波ぁ?」
「そうだ。戦闘員の絶対必要条件……裏主砲を創設するために、だ。裏主砲のことについ
ては、恐らく仁科から聞いたと思うが?」
「あ、ああ……艦隊長の切り札ってヤツだろ? でも、何でそのために脳波なんぞを調べる
必要があるってんだよ?」
「裏主砲は、その戦闘員……つまり、艦隊の長の特徴によって創設される。一艦の津波
は牛肉が苦手だから“妖牛斬”、三艦の白石は色白だから“白竜の吐息”……あと、この
場にはいないが、二艦の古谷は常に情熱を持ち続けることから“太陽弾”――奴だけは例
外だが、別名“情熱の炎”とも呼ばれている。」
「……何か、呼び名がカッコいい割には、その語源がいまいちアホくさいような……。」
“小宇宙”に頭を揺らされながら、中村はそれに覆われている頭を掻いた。
 と――
 ピィーッ、ピィーッ
「うぉっ、な、何だ、急にキンキン鳴りやがって!?」
「創設終了だ。ディスプレイに「ウェポン準備」とでていれば、戦闘員試験は終了――合格
だ。」
 言いながら中布利は、自分のカバンから“小宇宙”を取り出し、それを被る。同時に、仁
科がスティックのようなもの――上下に二つ、そして先端に一つ、赤いボタンのようなもの
がついている――を二本、さっき彼が“小宇宙”を取り出したバッグから取り出して中村に
手渡す。
「試験終了って……んじゃ、これは俺専用の“小宇宙”ってことで使っていいんだな、ヒャッ
ホー!」
 中村は、一番教室――オペレーション・ルームの自動ドアから外に出た。そこはもちろん
廊下なのだが、“小宇宙”を被っている彼から見ると、そこは空母の内部に見える。感嘆の
声をあげて、廊下の通行者にとって迷惑極まりない行動をとる中村は、しばらくして、ディ
スプレイに映る景色は変わっても、「ウェポン準備」の文字が消えてないことに気付いた。
「そういや……これって一体何なんだ? 時間がたつと消えるんだろうか?」
「そうではない。文字通り、裏主砲発射準備完了を意味している。」
 中村は驚愕した。同時に、自分は確かに教室から出たのに、と訝ってしまった。“小宇宙”
から聞こえたかすかな雑音がなければ、それが“小宇宙”を通しての声ということに気付か
なかっただろう。
「創設確認の裏主砲発射を要請しているのだ。空母から出て、裏主砲発射を試行してくれ。
それが帝国の一員としての、最初の仕事だ。」
「す……すっげー、会話もできるのか、これ!」
 中村は、ますますはりきって辺りを走り回った。すれ違いざまに、人にぶつかって彼のカ
バンを落としてしまうが、全く気にしない。中布利、いや参謀総長に何か命ぜられたような
気もするが、それもあまり気にしないようにした――が、
「……そういや、空母から出るのって、一体どうすりゃいいんだ? このまま外に出ればい
いのか?」
「いや、違う。さっきお前に渡したものがあるだろう。右手と左手、一つずつにだ。」
 仁科からだった。中村は言われたものに目をやって、
「あ、ああ。この、ゲーセンにあるシューティングゲームに付いてるようなあれか?」
 そう言って、両手に持っているものを上にあげて(彼らに見えているかは定かではない。
ひょっとしたら、映像も送れるのかもしれないがと中村は思って)みせた。ちょうど、人差し
指と中指、親指にそれぞれ、あの赤いボタンが触れるようになっている。
「それの、右手に持っている方の中指のボタンを押してみろ。」
「右の……中指っと、これか?」
 ボタンを押すと、急に中村の視界が闇に包まれた――と思うと、ザァッ、と何か草原が
強風にあおられたような音を立てて、瞬間に視界が開けた。四方八方、星と闇とが支配
するだけの空間宇宙である。自分は、戦艦の正面ビジョンの前に立っている状態で呆然
と宇宙を眺めていた。
「す…………げえ…………。」
 感嘆の声をかろうじて絞り出し、彼はその場に佇んだ。ふと自分の手を見ると、それは
艦内のドライバーを握っているように目に映っている。ただ、それはあくまでも架空の現実
である。実際の地形によってこけたりしないように、うっすらと景色が透けて見えた。
「…………ん、おい、五艦、応答しろ。聞こえているか、五艦!」
「え、ええ、あ、はい! 何でしょうか?」
 慌てて敬語で応えてしまった。同時に、「五艦ってことは、俺は第五艦隊長になったの
か」としみじみと感慨にふけ入る。そこに、仁科の声が響いて入る。
「次は、裏主砲の試射だ。右手の親指ボタン――以下は、ライトオプション・Sと呼ぶこと
にする。今持っているものがオプション、そして人差し指、中指、親指に対応しているボタ
ンがそれぞれA、B、Sだ。覚えておくように。」
「りょ、了解。」
 まだ少しぎこちない口調で、中村はライトオプション・Sに手をやった。
「それを押し続けると、ビジョン中央に十字型のターゲットが現れる。今は必要ないが、レ
フトオプション・Bを押しながら左右のオプションを動かすことで、ターゲットの位置を変更、
設定できる。また、ビジョン右端に裏主砲のエネルギーレベルゲージが現れたと思う。」
「五艦、エネルギーレベルゲージ確認。」
 もっともらしい口調で、かつ真剣に中村は応答した。
「今は試射段階だからゲージは初期段階で既に百パーセントだが、本来戦闘中はそれが
溜まるまで押し続けなくてはならない……そして、ゲージが溜まり、ターゲットを確認した
上で裏主砲発射ボタンを離す。」
「目標確認! 発射!!」
 彼は、ボタンから手を離した。
 瞬間、艦内が揺れ、爆音が轟き、響いたような感覚に襲われた。それはもしかすると、
実際にそうなったのかもしれない。艦体の先端から、すさまじいエネルギー砲――黒い
光なんて、その時彼は初めて目にした――が、ターゲットに向かって収束、消滅する。も
し、敵艦がいればどうなっていたのだろうと、中村はこの上ない優越感に浸っていた。
「黒の光か……白石と正反対型のようだな。結果、五艦の裏主砲を“漆黒の牙”と命名す
ると共に、中村弘俊を正式に第五艦隊長に任命する。」
 声は中布利からのものだった。ということは“小宇宙”を通して映像も送信できることが
判明したわけだが、そんなことはもうどうでもいい。これ以上これにどんなすごい機能がつ
いていようが、中村はもう驚かないことにした。
「すげえ……すげえよ、最高だ。そうだよ、俺はこんな快感を求めていたんだ!」
 すっかり現実(廊下には相変わらず歩行者がいる)を忘れ、中村は辺りを飛び回った。
その彼に聞こえているかは定かではないが、最後に仁科が一言、伝える。
「裏主砲と同じで、艦隊長の特徴から作戦名も付けることにしてある……五艦なんて呼ぶ
のも、いまいち実感がわかないだろう? お前の裏主砲、“漆黒の牙”にちなんで、俺が命
名してやろう。第五艦隊の作戦名は『黒豹』だ。覚えておいてくれ。」
 



 

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