辺りには、静寂が訪れた。
『チャージ』は、粉々に砕け散った。威力の制御をしきれず、自らも崩れ果てた。
光熱波は、全てを貫いた。空気も、鎧も、魔剣も。
鎧をかすめ、むき出しになったスルトゥルの胸部からは、小さなキーボードがのぞいて
いる。鎧だった鉄板は、今やその役目も終えて、静かに床に沈んでいる。
アースガルドの防壁をも貫いた光熱波は、もう少なくとも彼等の見える範囲内にはない。
そうでなくとも、威力はもうないだろう。二度と帰らぬ切り札を一瞥し、リオはその場に崩
れ落ちた。
「……ゴメンなさい……あいつを倒せるだけの力はあったのに……。」
「いや……上等だ。無理ないさ、自分の兄貴がやられたってのに、平常心を保てる方が
おかしい。」
肩をひきつらせ、しゃくりあげはじめる少女を、彼は優しくなだめてやる。
だが、スルトゥルは別だった。戦慄により、全ての感情が消え去った双眸に、再び光を
灯らせる。動悸はまだ治まらないかもしれない。だが彼は、人間ではない。
「──万策尽きたな。千載一遇のチャンスを逃すとは──」
彼は視線を横に薙いだ。その先には、槍にもたれた、満身創痍のリーゼの姿がある。
「戦うつもりか……その身体で?」
核心をついたその言葉は、しかし彼女には届かなかった。スルトゥルを無視し、彼女は
足を引きずりながら、青く輝く塔へと対峙する。
「フッ──ハハハ、頭でもいかれたか。その槍であの塔を破壊するとでも?」
彼女は歩き続ける。身を頼らせているその槍は、あまりにも重そうに見えた。
スルトゥルはかぶりを振った。砕け落ちた深紅の魔剣を足で払い、深く息をつく。
彼は両腕を広げた。話をする時に見せた、芝居がかったような仕草で。
「ここまで私を追いつめたのだ。貴様達に敢闘賞を与えよう……このキーボードは『世界
樹』たる私を唯一止めるための装置なのだよ。ネットワークに支障を来した場合、これで
システムを一時的に停止させる──」
そして再び、かぶりを振る。
「だが、それに必要なパスワードを知っていた唯一の男は、もうこの世にいない。天命を
果たし、彼は天に召された──」
最後に彼は薄く笑い──あるいは苦笑だったかもしれない──、腕を下ろした。そして
ふと、気付く。そこには気配すら感じなかった。
双眸に涙をためた少女が、目の前に立っていた。例の装置を目の当たりにしているらし
い。スルトゥルは哀れみの視線を彼女に向けた。
「悔しいかね、お嬢ちゃん?」
「──『伏線引き』」
皮肉いっぱいのつもりで言ったスルトゥルの表情は、虚ろな表情をした少女の一言によ
り凍り付いた。
彼女はこちらを見上げてきた。涙をこぼし、力なくうめく。これ以上ない、か細い声で。
「『世界』へ向けた伏線。軍隊を指揮し、『世界』を治めようとした伏線。あなたの友人に
かけた伏線。友人の会社を、軍隊へと変えた伏線。」
辺りには、静寂が訪れていた。沈黙というかもしれないが。
「私は、アースガルドについての『世界』を見つけた──そこには、ここの見取り図や、軍
隊組織のことが挙げられていた。でも、それだけじゃなかった。そこから、もう一つの別の
『世界』に行けた。たった一つの言葉しかない、ほんの小さな世界。」
リオは涙で濡れた手で、キーボードを操作しはじめた。
ゆっくりと。赤子の頭をなでるような、柔らかく優しい手つきで。
「あなたの友人は、あなたにすら分からないネットワークを持っていた──いや、違う。あ
なた自身にすら分からない、ネットワークの使い方を知っていた。結局、伏線を張られて
いたのはあなただった。その人はあなたのことを全部理解できていても、あなたからはそ
の人の見えない部分があったから。」
風が吹いていた。空を斬る音すらたてない、静かな風が。
「──さようなら。」
彼女は、最後のボタンを押した。
彼の瞳から、光が消えた。一時的ではなく、永遠の終焉を迎えたものの姿が、そこに静
かに佇んでいた。
空が暗転しはじめた。
スルトゥルが停止して、彼の『巫術』の効力が薄まってきたのだろう。
だが、彼等はそんなことには構わなかった。ただ、黙って夜明けが来るのを待っている。
あれから、リーゼやアルテ達の傷を癒し、全員無事ということでリオは安堵の息をついた。
他の四人は今、ついさっきまでの死闘も忘れ、互いの話に盛り上がっている。
アースガルドの浮遊魔道具は、アースガルドそのものに組み込まれているらしく、停止
させることはできないということらしい。必死にウォード達が探したらしいが、そのことをリー
ゼから聞かされた時、彼は仰向けになって抗議の声を洩らした。
主を失ったアースガルドは、本来ならリーゼが受け継ぐはずだが、スルトゥルの娘ではな
かった彼女はそれを放棄した。最後の仕事としてアルフヘイムの支社を本社に任命し、技
術者に『世界樹』の改良をさせるらしい。アースガルドの存在意義そのものを変え、それか
らは、本当の両親を捜す旅に出るのだという。
本当のことを知った彼女からは、ショックという表情は伺えなかった。むしろ、あんな男を
親に持たずによかったと、安堵していた。
「──で、あなたは一体これからどうするの?」
「俺? 俺は──そうだな。とりあえずこの子達のアジトっていうか、もうそんな言い方しな
くていいんだろうけど、まあそれとかだ、町の復旧を手伝うさ。事情はともあれ、俺は悪者
だったんだからな。それくらいの罪滅ぼしはやらないと。」
「いやぁ、頼りにしてますよ、アルテさん。」
と、これはウォードの声。アルテはそれを聞いて深く頷いた。
「おう、任せておけって。」
「ダメよ。コイツ、おだてたらキリがないんだから。適度におだてなさい。」
「何じゃいそりゃ……。」
その様子を見て、エミストがクスクスと笑っている。まあ、みんな笑っているのだが。
外の景色にも飽きて、リオは四人のもとへと駆け出した。それを見てアルテが思い出し
たように手を叩く。
「おお、それに我が弟子にも指南してやらんとな!」
彼の後をウォードが、拍手して盛り上げる。リオは最初、話の内容がつかめなかったが、
やがて表情を輝かせた。
「……ハイ。よろしくお願いします、師匠!」
「師匠? 師匠……いいねぇ、それ。」
「ホント、アンタにゃもったいない呼ばれ方ね。」
照れながら頭を掻くアルテに、リーゼはかぶりを振った。半眼で睨み返されていることに
は、気付いていないようだが。
「でも、寂しいな。リーゼさんは旅に出ちゃうし、師匠だって、いつまでもフォールクヴァング
にはいないだろうし。」
「……ま、そうだけどな。」
視線を上げながら、アルテは独白のように呟いた。
「俺達は、世界樹の葉なのさ……一本の『世界』という樹に、みんながいる。葉には、表も
あるし、裏もある。だがそれは、それぞれ重要な役割を果たしているのさ。一番端の葉は、
逆の端にある葉を一生見ることはできないかもしれないけど、それでも同じ一本の樹で繋
がっている。冬には枯れて舞い散ってしまっても、春にはまた新しい若葉が茂る──それ
と似たようなもんさ、人間ってな。」
そしてまた、笑ってみせる。スルトゥルを撃つ時に見せたような、あの笑みを。
しかしそれは、すぐにかき消された。後ろから頭をチョップされたのだ。
「アンタらしくらいセリフじゃない。小説家にでも転向したら?」
「ふーん、俺は音楽だけで十分なのさ。」
口を尖らせて、彼はあさっての方を向いた。が、ふと思い出すように振り返る。
「しっかし、いつもいつも俺にちょっかい出してくるってことは──」
言いながら、彼女の肩に手を回した。
「──さては、ホレたな?」
目を丸くする。それはリーゼだけでない──早い話が、アルテ以外の全員が。
彼等は互いの顔を見合わせた。それぞれが、似たような表情を見せている。
そして──それらは一斉に頷いた。不適な笑みを浮かべて。
『一生言ってろ〜っ!』
「うわあああぁっ!?」
全員に蹴り倒され、彼は床に突っ伏した。情けない格好をして、ひっくり返る。
それを見て四人は、笑い出した。この上なく楽しそうに、肩を震わせながら。
さざ波が、静かな音を奏でている。その彼方、水平線からは新たな始まりを意味する一
条の光が『世界』に向かって差し込まれていた。
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