第3章・ヴァルキリー

      女神に仕える者。
      戦いに敗れ、さまよえる強者達の魂を集め、復活させる者。
      実際、『ヴァルキリー』とはそんな意味であった。が、そんなことはどうでもいい。
      戦いに敗れる必要はない。魂を集めたとしても、復活させられるわけがない。
      第一、仕える女神なんてどこに存在するのだ?
      いや、いるとすれば、それは勝利の女神だろう──と、自分でもつまらないと思える幻想
     にヴァルグは、一人静かにふけっていた。
      アースガルド。天空にそびえる巨大な城。それに立ち向かう小さな戦士。
     (いや……違う。)
      城は所詮、人間の手で作られた偽りの『天界』だ。浮遊しているといっても、せいぜい見
     上げる程度である。自分達こそ、一般に比べて多少力の強かったりする者や、『魔法』を
     かじったことのある者達の寄せ集めでしかない。
     (結局……私達は何がしたいのだ? アースガルドの目的は何なのだ?)
      そんな、分かり切ったことを自問してみる。アースガルドの目的は、武力による『世界』の
     制圧であることは誰もが知っているし、自分達はそれを防ぐために存在している。
      だが所詮は、争いである。人と人との衝突が生む、もう何千年も昔から継がれている、一
     番単純な、そして残酷な、問題を解決させるための手段。
      ラグナロク。『世界』を終焉に導いた世紀の大戦争。
      そして今、そこからまた『世界』はゆっくりと、しかし確実に再生しつつある。
     (終焉……)
      だが、この『世界』は終わってなどいない。今こうして、自分が存在していられるのが、何
     よりもの証ではないか。
      終焉を迎えたのは、あの大戦に生まれた『魔道具士』だけだ。彼等の発展のもととなった
     『魔法』さえも、まだ『世界』に存在し続けている。
     (……『魔法』?)
     『魔法』。感情の『巫術』と存在の『魔術』。
      ラグナロクを終焉に導いた、神々の産物。
     (あんなものが『世界』を滅ぼすような大戦を終わらせたのか? いや、それより……)
      いつ、どのように生まれた?
      それらが世に姿を見せ始めたのはラグナロクからである。が、本当にそれ以前にも『世界』
     に存在してはいなかったのだろうか?
      自分も多少なりの『巫術』が使える。本から得た、パッとしたイメージでそれはすぐに使い
     こなせるようになった。慣れないうちは、何らかの疲労感を感じることもあったが。
     (ラグナロク以前の人間には扱えなかった……いや、それとも、あの大戦が我々にもたらし
     たものなのか?)
     『魔法』の存在意義。そして──自分の存在意義。
      いつしかから、理由もなくそんなことを考えさせられるようになった。が、
     (だが、そんなこと──)
      どうだっていいではないか。
      打倒アースガルドのため、今を生きている。これからも、それを変えるつもりはない。
      自分のため。仲間達のため。
      人数こそ少ないものの、自分より十は若い子供達でさえ、自分と同じ意志を持って戦って
     くれている。昨日だって、その子供がいなければあんな素晴らしい作戦は浮かばなかった
     はずだ。
     (素晴らしい……か。いや──)
      言い直そうとして、彼はかぶりを振った。
      とりあえず、彼女の策に賭けてみよう。自分はそう決めたのだ。だから彼女達は今、ここ
     にはいない。太陽の照る真昼の中、天界へとかかる虹の橋へと行ってしまった。
     (それから後のことは──その時に考えても遅くはないだろう。)
      そして彼はようやくベッドから身を起こし、誰もいない、下の会議室へと歩いていった。
 
      ここで、時間を一日ほど遡ることになるが──
 
      連日召集というのは、よく考えてみれば珍しいことであった。
      以前までは、もちろんアースガルドへの抵抗の前日などに全員が集まり、会議を開いた
     りしたわけだが、そうそう毎日行動を起こしていたわけでもなく、当のアースガルドもつい昨
     日までは、この町付近に現れたりはしなかったのである。大きな行動は、近くの町で連中
     が強奪行動を起こしたりとか、そういった『抵抗すべき時』に限らせていた。もちろん、毎日
     があの悪の軍隊に抵抗すべき日なのであるが、こちらの武器にも限りがあるし、何より、行
     動しすぎるとこのセッスルムニールの場所が、バレてしまうかもしれなかったからだ。
     (だが、遂にここがアースガルドに見つかってしまったわけだ……。)
      もともと、こちらからしかけたとはいえ、ああもあっけなく人質を取り返されるとは思ってい
     なかった。今になって後悔しても仕方ないことだが。
     (連中も、我々を消すようなことを考えているだろう。例え、我々による障害がいかに小さくと
     も……な。)
      そう考えて、ふとヴァルグは我に返った。見ると、拳の中にぎっしりと汗を握りしめている。
     彼はうつむき、胸中で自嘲した。
     (フッ……結局、私の勇気も削がれてしまったか。)
      辺りを見回すと、しかしここに集まっている同志達は、会議の再開を待ちかまえているよ
     うだった。エミストは既に黒板の前で待機し、リオはいつものような、落ち着かない様子を
     見せている。彼女には一体、あの時の記憶が残っているのだろうかと、ヴァルグはひそか
     に訝った。が、すぐにそれは杞憂であることに気が付いた。
     (まったく……この子達が彼等の士気を上げているわけか。私も見習わないとな。)
      意を決するように、彼は歯を食いしばる。それが、外からは唇が少し緩むように見える。リ
     ラックスするように一息つき、彼はようやく口を開いた。
     「……それでは、会議を続けよう。エミストの考えたという作戦についてだが、もう一度詳し
     く確認しておこうと思う。それではエミスト、頼む。」
      言って、彼女を促す。エミストは、もう随分前から頭の中を整理していたらしい。スラスラと
     黒板に書き始めた。
     「では、作戦をもう一度説明します。さっきも言いましたように、アースガルドの地上への連
     絡手段は、一日に二度かかる『ビフロスト』と呼ばれる橋です。これは機械仕掛けとなって
     おり、アースガルドの接近と同時に伸縮作業を開始します。文字通り虹のように、緩やか
     な坂となっているわけですが、大体全長が約百五十メートル、十分強ほどで橋が架かり終
     わります。その後アースガルドは約一時間ほど停滞し、その機械の橋で兵士達が下りてく
     るわけですが、今回はこの、機械の特徴を活かします。」
     「機械の特徴って、コンベアみたいな動きのことですか?」
      帽子を被った少年が、大きな声で挙手する。
     「そう。連中がアースガルドから地上側へ下りてくる間、橋の裏──つまり、地上からアー
     スガルドに橋の足場が戻っていくのを、利用するのです。貨物を運搬するため、一つ一つ
     の足場が大きいので、その裏に人一人が隠れるには十分の大きさがあると思われます。
     これを使えばアースガルド前までは難なく行くことはできます。が、」
      そこでエミストは、言葉を切った。改めて辺りを見回して、言い聞かせるような口調になる。
     「ですが、それはあくまでアースガルドの『前』までです。コンベアの動きに頼って、そこま
     で容易に行くことはできますが、その代わりに、その動きを止めないことにはアースガルド
     には入れないのです。」
     「足場の裏を利用することが、徒になってしまうわけね。」
      いつも喫茶店のカウンターについている女性の言葉に、エミストは頷いた。
     「そこで、潜入する際に地上と橋の接続点で、別の人間が橋の運転を止める必要がありま
     す。橋の動力を直接止めるという考えではなく、おとりを使って、アースガルド兵の足を止
     めさえすればいいのです。ここでは、『ヴァルキリー』の最年少の人間を何人か使うことにし
     ます。つまり、子供を相手に油断させるのです。そして橋が止まったところで、潜伏班はア
     ースガルドに潜入、目的の浮遊魔道具のある所まで急ぎます。」
     「でも、潜入といっても、向こうには何千人と兵がいるんだろ? その中をどうやって行くって
     んだ?」
      と、これはまた別の男。
     「橋の向こうには、何人かの係員のような兵がいるでしょう。ただし、せいぜい二、三人程
     度しかいないはずです。まさか、アースガルドにいる自分達の、背後から襲われるなんて
     思ってないでしょうから。そこを『魔術』か何かで身動きを封じ、連中の制服を奪い、潜伏し
     ます。そうすれば、あとは何とかなるでしょう。大勢の兵士の顔を、全て把握できている人
     物など、いるはずがないのですから。それからどうにかして浮遊魔道具のある所まで行き、
     その動きを止めれば、あとは脱出するだけです。あの高さから城ごと落下すれば、全員た
     だですむことはないでしょう。地上にも損害は出るでしょうが、幸いアースガルドの軌道上
     に住宅街はありません。せいぜい、しばらく交通上で差し障りがある程度ですむでしょう。」
     「そのしばらくってのが、かなり長い間になりそうだけどな。」
      ウォードが苦笑して付け足した。あれだけ大きなものが落ちてくるのだから、無理もない
     だろうが、と。
      とりあえず、ひととおり作戦を説明し終えたということで、エミストが席に戻ろうとした。が、
     それを遮るようにヴァルグが言ってくる。静かな、そして重い口調で。
     「……浮遊魔道具の動力を奪うまでは分かった。だが、それからどうする? 口調からして、
     君が潜伏班の一人になるようだが、どうやって脱出するのだ? まさか、連中と心中するよ
     うなことは考えていないだろうな?」
     「浮遊魔道具は、半永久機関です。最初の、起動させるためのわずかな魔力を使うだけで、
     少なくとも私達の寿命が尽きるまでは動力を失うことはないでしょう。それは『魔道具』自体
     が、魔力を増幅させる増幅器の役目を果たしているからです。その動きを止めるには、増
     幅させる魔力の量以上を、別の『魔道具』で奪ってやればいいのです。つまり、浮遊魔道
     具に魔力を吸収する『魔道具』を取り付けさえすればいいわけですが、徐々に魔力を失って
     いくので、急に城が落ちることはないでしょう。それまで、軍事用のパラシュートでも盗んで
     やる時間は十分にありますから、その心配はいりません。」
      エミストの口調は、最後まで淡々としたものだった。彼女の言葉に黙っているヴァルグの
     様子を、話を理解したとみてとったか、彼女はゆっくりとした足つきで席に戻る。
      そこで、何か思い出したかのようにリオが口を開いた。まるで、世間話をするような表情で、
     隣のエミストに話しかける。
     「潜入するってことはさ、その橋まで行くんでしょ? それって、ここからどのくらい時間がか
     かるんだろう。確か、ここから近い方だと昼間にかかって動きが目立つから、よした方がい
     いってエッちゃんも言ってたよね? だから、遠い方の橋まで行くには、どうしたらいいのか
     なって思ったんだけど。」
     「……そのことなんだけど、」
      エミストは、リオに言われてしかし、視線は室内の人間全てに向けて、
     「確かにさっき言ったように、昼間に堂々と乗り込むってのはまずいかもしれない。でも、考
     えて見れば逆にチャンスかもしれないわ。まさか向こうも、真っ昼間から敵が正面からやっ
     てくるなんて、そうそう考えてはいないでしょうから。」
     「それに、夜だと橋の足場が見えなくて乗り込めないかもしれないしな。」
      ウォードの言葉に、そうね、と彼女は軽くうなずいた。
     「場所は、ちょうどここから南に行った、海岸に近い所よ。距離は、『セルフ』で一時間もかか
     らない程度。朝にここを出て、ゆっくり行って向こうで色々準備したりしても、昼には十分間
     に合うはずよ。準備が整って橋がかかりきったら、年少組がまず兵士達の注意をそらす。彼
     等の指揮はリオ、あなたがとって。」
     「分かったわ。」
      リオはそう言われ、力強く頷いた。
     「そして大人達は、万が一のため、あるいはそこから逃げ出す時に年少組をサポート。そし
     て、その間に橋の裏からは、私とウォードが鉤爪を使って乗り込む。いいかしら?」
     「もちろん。」
      手に拳を打ち、ウォードが頭を振って応える。
      彼の返事を確認して──最後にエミストは、ヴァルグの方を見た。
     「そしてヴァルグさん。あなたは──その間、ここで待機していて下さい。そんなことはない
     とは思いますが、もし仮に私達が全滅したとして──今の『ヴァルキリー』がなくなってしま
     っても、あなたがいればまた、人は集まってくるはずですから。あなたは最初にして──そ
     して最後の、希望の光ですから。」
      彼女の言葉に、しかしヴァルグは最初は反応を示さなかった。
      ただ、沈黙していたというわけではない。反応がなかったのだ。眉をぴくりとも動かしもし
     なければ、こちらを見返しすらしない。ただひたすら、自分の前にある空間を見つめ続ける
     ──
      呆然としているのではないか。思わず、そう訝ってしまうほど彼は、微動だにしなかった。
     気遣って、肩でも叩いて気付かせてやろうとリオが立ち上がろうとしたその時、ようやくヴァ
     ルグが口を開く。
     「──希望、だと?」
      かすれているようなその声は、まるで彼自身にも聞こえないように小さかった。
     「希望……その希望が、こんな大それた作戦に参加しないのか? こんな小さな子供達ま
     でも危険に巻き込んで、自分は悠々とここで待てというのか?」
     「巻き込むわけではありません。ここにいる者達全員は、みんなあなたに惹かれて集まっ
     てきたのです。」
     「同じことだ。作戦に参加するのは君達子供で、私は何もしないわけだろう?」
     「何もしないわけではありません。あなたには信じていてもらいたいのです。私達の成功を。
     私達の、進む道を。」
      静かな、そして颯爽とした双眸。何かを乞うわけでもなく、願うわけでもない。ただじっと、
     こちらを見つめる二つの瞳にヴァルグはしばし、沈黙し──
      そして、意を決した。
     「……分かった。だが、行動を起こすのは明日からにしろ。作戦に備え、全員今日はゆっく
     り休んで疲れをとるんだ。そしてエミスト、アースガルドに乗り込むのは、もし増やすにして
     もなるべく少人数に抑えるんだ。いいな?」
      その言葉に長身の少女は、満身の笑みを浮かべてみせた。
 
      そしてその翌日、ヴァルグは館でただ一人、自分の仲間達の生還を祈ることとなる。
      傷つくのは自分の方だということを知る由もなく──
 
 
 


 
 
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