彼は乗り気がしなかった。
確かに、ここのボスは自分の恩人だ。あの時のたれ死にしなかったのも、今こうして何不
自由なくして生活できるのも、アースガルドの社長であるスルトゥルいてこそのことである。
しかし、それでも自分の品性までも売った覚えはない。反乱を起こす兵士の鎮圧や、会
社の威厳を上げることはしても、人を殺すようなことはしたくはない。ましてやそれが、未成
年を含む一般人の集団とすればなおさらである。確かに以前、彼等はアースガルドに対し
て損傷を与えたことが何度かあったが、その時はこちらに死人は出なかったし、損傷といっ
てもせいぜい武器や戦車が少々いかれてしまった程度である。会社の経済力をもってすれ
ば、そんなものは損傷のうちには入らないようなものだ。普段ほとんど物事を考えない彼で
さえ、それくらいのことは分かる。
「何てったっけか……あのレジスタンス、確か女の子も何人かいたんだよなぁ……」
それを始末しろと言われても、手を汚すこっちの身にもなってみろと言いたくなってしまう。
同じ様なことを以前、リーゼも言っていたような気がするが、それを聞いた偉大なる我等が
社長は、その時こう答えたらしい。
「私自身がそんなことをするのは、もう飽きた。」
まいった、と言いたげな表情で、アルテはその場で両手を上げた。タイマンでやり合って
もまず勝てそうにないあのおっさんらしい、説得力のある言葉である。
「ったくなー、だったら他の方法を考えてみろっつーんだよ。飽きたことを他人にやらせんな
ら、そのくらいしてくれよな。」
独白をこぼしつつ、彼は長い廊下をスタスタと歩いていく。スルトゥルの部屋もそうだが、
どうもここの建物は殺風景ばかりが続く。社長の部屋までの、片道五分はある長い道の中
で、興味を持てる景色が一つもないというのも、まあそれはそれである意味面白いのかもし
れないが。
「どうする……本はリーゼさんにグシャグシャにされちまったし、昼寝ってのもいまいちつま
んねえし……『ビューア』ってやつを覗いてみるのも、何かそんな気になれないしなぁ……。」
かといって、部屋でサボっていれば相棒にどつかれ、お偉い人に直訴すれば、簡単に言
いあしらわれてしまう。
(この状況を、一体どうしろというのか?)
頭を掻きながら、仕方なく自分の部屋へと入っていく。そこには怒りの表情をあらわにし、
腕を組みながら鋭い視線をこちらに向けるであろう、相棒の姿がいるはずだった。
が──
「──ありゃ?」
部屋は、もぬけのからだった。
「あれー、どこ行ったー。リーゼさーん?」
探してみるが、どこにも彼女の姿はない。ふと思い立って、ドアの裏を見てみるが、やは
りそんな所にもいやしない。
(こんな所に隠れるのって、俺くらいのもんか……)
第一、隠れる必要はないのだ。むしろ、彼女は自分に助けを求めていた。彼女だって、こ
んな指令は受けたくない。避けられるのなら、どんな手を使ってでも避けたいという気持ち
は、彼女だって同じである。
彼以外で唯一、人を殺したことのない将軍。だからこそアルテは、彼女と気が合った。彼
女だって、好きでここにいるわけではない。好きで人を傷つけたりはしていないのだ。だか
らこの指令は受けたくなかった。彼女のためにこの指令から逃れる方法を探したかった──
だが、その彼女が今、どこにもいない。
(するってえと、一体どこに……?)
そこまで考えて、ふと気が付いた。一つ、部屋の中で変化を見つけたのだ。
ないのだ。いつも彼女が、出撃する時に持っていくエモノが。
(……………………。)
彼はしばし、その場に黙って佇んだ。やがて、また頭を掻きながら、絶句する。
「あの人……結局、乗り込んじまったのか!?」
慌てて彼は、舌打ちしながら部屋から飛び出した。
あれから、どれくらい時間がたっただろう?
しばらく彼は、他の『世界』に見入っていた。それからふと思い立って、例の『世界』──
あのレジスタンスの一員が作っているという『世界』へと戻ってきた。そして、そこの掲示板
を覗いてみる。まださすがに変化はないだろうと思っていたが──
だが、予想に反してそこには、新しい書き込みがあった。名前は、この『世界』の管理人
となっている。つまり──彼女だ。
『こんなステキな音楽を作るのって、どんな人なんだろう? よかったら一度、会ってみませ
んか? もし都合とか合う日があったら、おっしゃって下さい。』
それにざっと目を通し、そして彼は気が付けば、拳を握っていた。言うまでもない。またと
ないチャンスがやってきたのだ!
(やった……! 遂にヤツが動いたぞ! こんなに早いとは思っていなかったがな!)
そして、ここぞとばかりに彼は、色々とキーボードをいじり始める。こういう時が、自分の腕
の、見せ所なのだとばかりに。
(『世界樹』には、欠点がある……だが、それに気付いている者がいたとしても、それを利
用できる者はいやしまい……!)
興奮が動悸を急かせ、それが彼の活力となる。キーボードを叩く手は更に早くなり、その
度に唇が徐々につり上がる。
やがて、タンッ、とひときわ大きな音を立て、手の動きはそこで止まった。同時に、画面を
覗き込む。
『分かりました。では明日の夜。フォールクヴァングの発電所の地下にてお待ちしています。
お一人にてお越し下さい。 スリーユ 』
掲示板を見て書き込みを確かめ、そして操作ミスがないかもう一度確認する。ここで間違
えたりしたら、今までの苦労が全て水の泡となってしまう。
(よし……完璧だ。)
一つうなずいて彼は、『ビューア』の電源を切り、閉じた。後は時間が来るのを待つだけだ。
(全てはうまくいく……儂の計算通りに、事は進むのだ……!)
今にも叫びたい衝動を抑え、その力を代わりに両腕に集中させた。体力も、腕力もない老
人であるはずの彼の身体が、ゆっくりと、だが一気に土の中から引き出される。
そして彼は、おぼつかない足取りで部屋の隅まで移動し、久々の深い眠りについた。
遥かなる野望の、実現を夢見て──
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