──その日の夜。
      リオ達三人は、二階にある仮眠室に横になっていた。例の兵士への質問責めが終わった
     のは、もうすっかり日も暮れてしまった頃で、子供がこんな遅くに外に出るのは危険だろうと、
     『ヴァルキリー』の未成年者はここに泊まることにした。『ヴァルキリー』の構成員は主に十代
     後半から二十代前半なので、リオ達の他にも似たような者は少なからずいるのである。
      このことは、エミストは実家の、リオ達は父親の勤務先の送信機に、電報で伝えてある。
     送信機はどこの家にもあるわけではなく、ある一定の地域内の、いくつかの家に設置されて
     いる。そのためリオ達への召集の知らせは、いつもエミストから知らされることになっていた。
     ちなみに、クランは子供達が『ヴァルキリー』に参加していることを未だ知らない。だからリオ
     達はこんな場合はいつも、友達の家に泊まっていくとか、適当な理由を作っていた。
      また未成年者の他にも、保護者として何人かの大人達もここに泊まっている。二人の兵士
     の見張り役として、さらに三人残ることになった。その中にはヴァルグも含まれており、それ
     を聞いた子供達は安心して床につくことができた。
      だが、まだ眠りについてない者もいた。リオとウォードである。
      彼等のいる所だけ明かりをつけたままにし、リオは一台の機械を取り出した。地下の武器
     倉庫に置いてあったのを、借用してきたものである。それは折り畳み式になっており、開くと
     上に画面が、下には文字を打ち込むキーボードが現れた。普通の機械の機動力は魔力で
     なく、ただの電力なので、リオはそれを得るためのコンセントを探し、機械と接続した。電源
     を入れると、画面に変化が現れる。
     「……そういやリオ、前から思ってたんだけどさ。」
     「何?」
     「それって、前に来てた時にも使ってたよな……一体、何なんだ?」
      言われてリオは、その機械に視線を落とした。兄にもよく見えるように、少し機械をずらし
     ながら、
     「これはね……『ビューア』っていって、『世界樹』っていう回線を通して、世界中のどんな遠
     くに離れている所にも覗きに行けるものなの。もっとも、本当に景色を見たりすることはでき
     ないけどね。まあ、それはいわゆる方便ってやつなんだけど。」
     「……つまり?」
      ウォードが、リオのベッドに乗りかかってくる。
     「つまり……例えば隣町の人がまた『ビューア』を使っていたとするね。そこで私がその人
     の所へ『ビューア』を使って辿り着ければ、その人と話したりすることができるの。」
     「フーン……すると、偶然出くわさないことには、そういうことはできないんだ?」
     「そうでもないわよ。もう一つの機能……これが今、私が夢中になってるものなんだけど…
     …容量に限りはあるけど、一人一人が小さな『世界』を創り、持つことができるの。パスワ
     ードとIDを使って、いつでも色々と変えたりすることもできるのよ。接続料を払うのにも同じ
     パスワードが使われるけど……つまり、この場合は『ヴァルキリー』の費用から落ちるって
     ことになるんだけど……あまり人には言わないでね? 一応、ヴァルグさんには許可はも
     らってるんだけど。」
      苦笑し、小さく舌を出してリオは呟いた。
     「あと、一度電源を切っても、行きたい『世界』の場所さえ覚えておけば、例え世界の端と
     端の人でも、いつでもどこでも情報のやりとりができるってわけ。」
      自慢げにリオはそう言って、キーボードを叩き始めた。ウォードには何が何だかよくわから
     ないが、彼女の言う『世界』を映し出そうとしているらしい。
     「あと他には、検索機能ってのもあって、こういった趣味の人を探したいという場合は、その
     分野に沿って相手を検索することができるの。自分で検索したい言葉も入力できるし。これ
     を使うと、全く知らない『世界』にも行けるのよ。」
     「なるほど。しかし機械のことは、まあよく知っているつもりではいるけど……こればっかり
     はさっぱりだなあ。ところでリオ、お前、そんな情報のやりとりをするような相手がいるのか?
     それがどんな人間かも知っているのか?」
     「特にいるわけじゃないわ。まあ、常連の人は何人かいるけど……ただ、別に意図的に出
     会うんじゃなくて、自分の『世界』を創って、それを人に見てもらうの。例えば、私の場合は
     ……趣味の作曲だとか。それを載せて、感想を聞くの。別にその人とはち合わせしなくても、
     『世界』にある掲示板に書いてもらうの。どんな人なのかは……よく分からないけど、でも少
     なくとも、音楽に興味を持つ人に、悪い人なんていないと思うわ。」
     「ま、そりゃそうかもな……。」
      そう言いながらウォードは、画面へと目を向けた。色々と映し出すものを変えながら、次第
     にそれは、一つの映像に収まる。
     「『エミリオの世界へようこそ』……何だ、このエミリオって?」
     「私とエッちゃんの名前を合体させただけよ。普通『世界』では本名を名乗らないの。」
     「へぇ。」
      リオは、キーボードの中心にある球のようなものをなぞり始めた。その動きに合わせて、
     画面のカーソルが移動していく。それを『自作の音楽』という所に持っていって、ボタンを押
     すとオルゴールのような音が流れてきた。
     「すごいな、音楽まで聴けるのか……ちょっと俺にもやらせてくれよ。」
     「うん、いいよ。」
      妹の作った音楽に耳を傾けながら、ウォードはリオがしたのを真似ながら、カーソルを動
     かした。下の方を見ると、確かに『掲示板です。書き込んでいって下さい』とある。
     「ここで押すと、掲示板が見れるってわけか……へぇ、すごいな。ちゃんと書いた時間も出
     るようになってるんだ。」
     「そ。今日、何人の人がここに来たかも分かるってわけ。」
     「確かにこれは面白いな……今日は二人来てるぞ。なになに……『気持ちのいい音色です
     ね。私も音楽大好きです。今度、私の『世界』にも遊びに来て下さい』ってさ。」
     「ちょっ、やだ、読まないでよ。」
      少し頬を赤らめて、リオは兄から『ビューア』を取り返した。
     「何だよ。別にいいじゃないか。」
     「人に音読されると、妙に恥ずかしいの!」
      そう言われて、確かに気持ちも分からんでもないとウォードは胸中で独白した。遠慮する
     ように少し後ろに下がりながら、それでもさりげなく画面に視線を向ける。
      リオは、改めて自分で読み直し、もう一人の感想に目をやった。こちらも月並みな感想が
     述べられていたが、前者と違うのは、彼──感想の言葉遣いからして男と思われた──
     の作ったと思しき曲が、掲示板に付与されている。
      リオはカーソルを動かし、それを再生するボタンを押した。するとそれは、彼女のいる空間
     を静かに、しかし颯爽と満たしていく。
     (あ、何か綺麗な音──)
      しばらく彼女は──後ろで兄も耳をすませていることにも気付かずに──その音色に聴
     き入っていた。やがて我に返り、その投稿者の名前を見る。
     「スリーユ、さん……一体、どんな人なんだろう……?」
      そう小さく呟いた時、壁に掛かっている時計が小さく鳴った。もう、消灯の時間だ。
      リオは『ビューア』の電源を切り、ウォードも自分のベッドに戻った。あとは館内の明かり
     が消えるのを待つだけと、彼等は目をつむり──
     「…………!」
      声にならない声をあげ、隣のエミストがガバッと跳ね起きた。リオが驚いて、彼女の方を
     見やる。
     「……どうしたの、エッちゃん? トイレに行きたいの?」
     「……来た。」
     「え?」
     「来たわ、何かが。地下よ、急いで!」
      そう言うなり彼女はベッドから飛び降りて、寝間着のまま扉へと走っていく。
     「え、ま、待ってよ!」
      唐突のことでよく分からなかったが、とりあえずリオはチャージを手に、彼女の後をついて
     いく。
      二人は地下に下り、兵士を監禁している部屋へと急いだ。明かりはまだついている。通
     路を曲がり、彼女達は扉を開けた。同時に、冷たい風がこちらへと突き抜けていく──
     「え……?」
      リオの、その部屋に入った第一声がそれだった。見張りの二人が床に倒れこんでいる。
     もう一人──ヴァルグは、片膝をつき、肩で息をして目の前の黒ずくめと対峙していた。
      そう、黒ずくめである。上から下まで、まるでタイツのようにピッタリと合った黒装束を身に
     つけている。身長は、兄と同じくらいか。やせている、というよりはスリムな体型である。そ
     の細い両腕には大の大人である、二人の兵士が抱えられていたが、もっと驚いたのは双
     眸も黒装束に覆われていることであった。
     (こいつ……『巫術』使いだ。しかも、かなりの。)
      視界を『巫術』で補うのは、かなりの高等技術である。何しろ、常に精神を集中させてい
     なければならないからだ。それも、目に。
      それはどうあれ、リオはチャージを構え、標的を絞った。兵士を撃った時のように、手の辺
     りが、まばゆい光を放ち出す。
      だが、それが早いか黒ずくめは、横を見やるように小さく首を振り──そして、その視線
     の向こうに、外に通じる大きな穴を作り出した。
     「バカなっ! この隣は図書室のはずなのに?」
      エミストが驚愕の声をあげるが、黒ずくめはそれに全く反応を示さなかった。そのまま静
     かに宙に舞い、その穴から出ていこうとする。
     「逃がすかっ!」
      構わずリオは、魔力を撃ち出した──しかしそれは、黒ずくめの目元の辺りを少し薙い
     だだけで、あっけなく霧散する。
     (相殺した? 視界の『巫術』を使いながら?)
      相手の度量に戦慄し、リオはその場に立ちつくしてしまった。その間に黒ずくめは、わず
     かに覗く、不気味なほど透き通った青の双眸を見せ、そのまま穴の中へと消えていく。
      冷たい風が、部屋の中を吹き抜ける。夏の夜の、心地よい風が彼女達には凍えるほど
     冷たく感じられた。
 
      彼は、胸中で歓声をあげていた。
      こうもうまく事が進むと、自分が世界の中心であるという幻想に浸ってしまう。目の前の
      『ビューア』とにらめっこしながら、彼は心を弾ませていた。
      (いいぞ。こうもうまく引っかかってくれるとはな!)
       この調子だと、自分の野望が現実のものになるのも、そう遠い日のことではないような
      気がしてくる。もうほとんど抜けきってしまった白髪と、残っていないに等しい歯が、近い
      うちになくなってしまってもそれを不幸とは思うまいと心に誓った。
      (あとはこやつを……どうするか……クックック……。)
       誰に聞かれるという心配もないのに、彼は声をもらさぬよう、ほくそ笑んだ。この喜びを、
      自分の中でだけ感じていたいとばかりに。
      (さあ、しばらくは様子を見るか。どういう展開を見せるのか……楽しみだ……!)
       外はもう、真夜中になっていた。だが、一日中明かりのついている地下室にしてみれば、
      それはただの他人事でしかなかった。
 
 
 


 
 
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