第1章・出会いはふと突然に

      ミッドガルド。
     『人間界』という異名を付けられた現世は、文字通り人間しか住まない世界となっていた。
      とはいえ、他の動植物が死滅してしまったわけではない。その『世界』には人間しか住ん
     でいない、ということだ。文明と機械が支配するその『世界』には、動物はおろか植物です
     ら、一部の地域を除き、全く生えなくなってしまったのである。ここで見られる他の生物とい
     えば、人体を冒す細菌と稀にやってくる渡り鳥、あとは『世界』たるこの大陸の周りを遊泳す
     る魚達くらいか。
      だが、この『世界』から人間以外の生物が姿を消したのは、人間の文明の発展の他にもう
     一つ大きな理由があった。
      今から五十六年前。生ける者全てが一つの『世界』にいた最後の年に、それは起こった。
      原因不明の自然災害。世界規模で起こったその大災害は、あっという間に生物の大半の
     命を奪っていった。残された者達──無論、その中の人間達のことであるが──は、自ら
     の命の確保のため、争った。世界人口はさらに急激に減少し、文明は衰えていった──に
     も拘わらず、戦闘文明だけはその短期間の中で急速に発達していった。その中で生み出さ
     れた恐怖の兵器は、時には大陸を裂き、また時には島を海の底へと沈めていった。そして、
     災害から四年後、この『世界』を滅ぼす残酷な戦争は幕を閉じた。残された数少ない大陸
     のうち、一番大きな大陸に人類は腰を据え、もうこれ以上『世界』を傷つけないことを約束し
     て、そこから出ようとはしなかった。後にラグナロクと呼ばれる大戦争の中、生き残った鳥
     達は後の争いを避けて他の島々に移り、泳げる動物達はその後を追い、植物は風に任せ
     て子孫の繁栄を祈るしかなかった。
      それから五十二年。ラグナロク終戦当時、わずか七千万しかいなかったといわれる世界
     人口は、今や三億人にまで上っていた。経済情勢は世界復帰後からピークを迎え、文明
     は回復の傾向にある。人々は繁栄し、遥か昔の平和を取り戻したかのように思えた。
      が──
     (──何で連中は、ようやく戻りつつある平穏を乱そうとするんだろう?)
      自分の家の塀に腰掛け、青空を眺めながら、その少女は胸中で独白した。
      身長は、『少女』としてみれば、高からずも低すぎない、といったところだろう。ただ、自分
     ではもう少し身長が伸びて欲しい、とは思っている。親友をはじめ、身の回りには背の高い
     人間が多いため、時にそんなコンプレックスを抱くこともあった。気むずかしい人間だとは、
     稀に──特に大人に──言われることがあるが、大抵の人は(自分も含めて)そう思った
     ことはない。考え方や言葉が、年に比べて大人びているせいらしいが、物事をよく考えな
     がら話すため、別に性格に難があるわけではない。むしろ、そんな自分の性格に自己満
     足を感じる方だ。
      そよ風が、彼女の黒髪をなびかせ、頬を撫でていく。髪の色がたまに茶色に透けて見え
     るのは、日に焼けたせいだと彼女の親友が言っていた。ショートカットは自分の好みであ
     り、また他人からも似合っていると言われることがあった。薄いブルーのTシャツに、白っぽ
     いベージュのハーフパンツは、こんな暑い日にとってはうってつけの格好であった。が、ま
     だ真夏ではないにしろ、強く日が射すのにはあまり耐えられない。夏は嫌いではないが、
     暑いのは苦手だと彼女は毒づいた。
      そろそろ景色にも飽きてきて、彼女は自分の背と同じくらいの高さのある塀から、一気に
     飛び降りた。辺り一面に広がる住宅街。海抜が下がっていっているため、辺りを見回しや
     すい。遠くには、海も見える。今や漁業を目的とする船しか停泊していないが、かつては、
     船は異国への移動手段でもあったと昔話で聞いたこともあった。悪くない眺め──むしろ
     いい方なのだが、視界に嫌な物が入り込んできたので彼女は家の中に戻ることにしたの
     だ。同時にうつむき、小さく息をつく。あれを見ているだけで、むしゃくしゃしてくる──そう
     思ってきびすを返したその時、タイミングを見計らったようにして家の窓が開いた。そこか
     ら一人の、やせ気味な黒の短髪の男が顔を出す。
     「……リオ、」
      彼女──リオと呼ばれた少女は、男の声に反応して顔を上げた。男はリオの表情を見
     て──同時に彼女の後ろの景色を見て納得し、後を続けた。
     「エミストがうちに来てるよ。話があるってさ。」
 
      リオの家は、三人家族である。が、そのうち血が繋がっているのは、リオとその兄、ウ
     ォードだけだった。とはいえ、それでも実の兄というわけでもないのだが──
      リオとウォードは、幼くして家族に死別を余儀なくされた。それぞれの、家族の死は未
     だに原因が不明である。他殺であるか、病死であるか──あまりにも幼すぎたため、そこ
     のところの、生存者である彼等の記憶が確かでない。四つほど年上のウォードは、近所
     でいとこであるリオを見つけ、生き延びるための放浪の旅に出た。だが、目的はない。彼
     等に残された身寄りは、その時既に全く残されていなかった。
      それから何日が過ぎただろうか。歩き疲れ、空腹で身動きできずにいるところを、ある日、
     一人の男に拾われたのである。それが今の保護者であり、この家の主である、クランとい
     う男だった。
      クランは二人を、実の自分の子供のように可愛がり、のびのびと育ててくれた。リオ達も、
     彼を実の父親のように慕い、今日まで共に生活をしてきた。また、二人も互いを実の兄妹
     のように慕っている。リオにとってウォードは文字通り、兄的存在として敬う、そして頼もし
     い存在である。
      そして、もう一人家族のような存在がいた。彼女には両親はいるが、一人っ子で幼い頃
     は寂しがりやだったらしい。それがいつからかリオ達の近所に越してきて、一緒に遊ぶよ
     うになった。三人は──特にリオと彼女は、すぐに打ち解ける仲となった。年はリオより一
     つ上だが、そんなことは二人共あまり考えたことがない。互いに同じ立場で、苦楽を共に
     していくうちに、彼女達の絆は、より一層深いものとなっていった。
     「おはよう、リオ。元気だった?」
      その彼女──エミストが、手を挙げてリオに軽く挨拶を交わす。
      薄い、青の絨毯が敷き詰められたその部屋の中の、椅子の一つに彼女はいた。リオを
     呼んだ男──ウォードは彼女と対面した、そして部屋の中央にあるテーブルを挟む形で
     位置するソファーに腰掛けている。
      リオは兄の隣に向かいながら、エミストに手を振った。
     「おはよう、エッちゃん。久しぶりだねー。」
     「久しぶりも何も、まだたったの四日しかたってないじゃないの。」
      眉をひそめ苦笑するエミストに、リオはえへへ、と頭を掻いた。
     「ところでエッちゃん。一体何の用なの?」
     「その前に……おじさん、帰ってきたりしてるってこと、ない?」
     「父さん? 今は仕事に出てるけど。」
      そこまで言って、リオは彼女がどんな用でここに来たのかを察知した。どうやら、ウォー
     ドも同じらしい。彼に関しては、先にエミストから話を聞かされたのかもしれないが。
      リオは目を細くした。表情も次第に消えていく。
     「……また連中が、何かやらかしたの?」
     「そういうことよ。遂にこの町にも手を出すようになったの。」
     「な……何だって!?」
      瞠若し、声を荒らげるリオを、ウォードが手で制した。
     「静かにっ……ひょっとしたら、連中がこの辺りに来ているかもしれないだろ?」
     「それならそれで、ブッ飛ばしてやればいいじゃない、お兄ちゃん。むしろ好都合よ。」
     「ダメよ。そんなことをすると、私達の正体がバレてしまうでしょ。」
     「でも……。」
      ちらっと窓の外を見やり、リオは歯ぎしりした。そして、目の前の親友の顔を、見上げる
     ようにして少し口をとがらせる。
      エミストは軽く首を振って、薄く茶色の入った黒の長い髪を、黒いシャツの上になびかせ
     た。そして右足を、膝を曲げて抱き上げる。紺のスラックスの似合う、細く長い彼女の足は、
     実はリオにとって憧れの一つであった。身長が自分より高いというのは、まあ自分もあと
     一年たてばそこそこ伸びるだろうが、足の長さに至ってはそうもいかない。
     「……でも確かに、そうでなくとも、セッスルムニールが見つかるのは時間の問題ね。」
     「どうして?」
      意外なことを聞いた、というように、リオが首を傾げる。
     「考えてもみろよ。連中のしていることは何か────機械文明の管轄下におくとかいっ
     て、結局やっているのは武力による征服、支配じゃないか。それはお前にだって、よく分
     かっていることだよな?」
     「うん。」
      ウォードの言葉に、そのことはもううんざりよ、と言いたげな顔でリオが応える。
     「つまり、だ。連中は、標的とした町の隅々まで自分達の支配下にならないと気が済まな
     い。そして、連中は自分達の敵を見つけ次第、排除するってことさ。」
     「…………?」
      意味が分からないという顔をして、再びリオは首を傾げた。
     「セッスルムニールは、外見はただの喫茶店かもしれない。けど、あんな大きな館だ。連
     中は、奥深く入ってくるに違いない。そして、少なくとも何人かの、俺達の仲間を見つける
     はずだ。そして彼等にこう言うだろう──『この館を我々に引き渡せ。ここを我々の、拠点
     の一つとする』ってな。」
     「いやよ! 誰があんた達に引き渡すもんですか!」
     「いや……だからといって、俺の首を絞めるのはどうかと思うんだが……?」
      顔面を蒼白にして抗議する兄の言葉に、リオはハッと我に返った。そして手を離す。
     「ご、ごめん。つい力んじゃって……。」
     「まっ……まあ、お前の気持ちも分からんでもないがな。」
      咳き込みながら、ウォードがエミストを一瞥した。話の続きを促しているらしい。
     「私達『ヴァルキリー』の、連中に対する抵抗活動は、向こうもよく知っているはずよ。中に
     は、メンバーの顔を覚えている奴もいるかもしれない。そうでなくとも、こっちにも連中の顔
     を見るだけでも虫酸の走るっていう仲間はたくさんいるわ。それが自分達の拠点ではち合
     わせしたらどうなるか……その場での戦闘の勃発だって、考えられなくもない。そうすると
     ──」
     「本格的に戦いが始まるってわけね。」
      そういうこと、と言ってエミストは小さく肩をすくめた。同時に一つ、ため息をつく。
      だが、そんな彼女とは反して、リオは半ば興奮していた。とにかく『連中』が大嫌いなの
     である。そのため、『連中』に対する破壊活動において、兄や親友の注意もよそに、彼女
     が先頭を切って参加していることが多い。
     「ああ、何かこう、腕がなるって感じね。遂に連中とケリをつける時がきたんだ! こうなっ
     たら、存分に暴れてやんなくちゃ……って、待って。ということはエッちゃん、ひょとして召
     集がかかってるってわけ?」
      拳を握り、わくわくする彼女の言葉に、ウォードとエミストの二人は一瞬顔を見合わせ、
     あきらめるようにため息をつき、そしてうなだれるようにして頷いた。
 
 
 


 
 
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