「ノトさん、戻ってきたのですか?」
思わず、そんな言葉を口にしていた。客と話すのはともかく、「話しかける」というの
は記憶上、ほとんどしたことがなかったスティンは、自分自身の言葉に驚愕してしま
った。だがそれ以上に彼は、実際に酒場に入ってきた人物の姿に驚いた――
それはノトではなく、1人の女性だった。いや、少女と言った方がいいかもしれない。
見たところ歳は、スティンと同じくらいか、またはやや年下いった感じである。
身長は、女としてはまあ、高くもなく、低くもない。160センチ前後だろう。服装は
青のTシャツに半袖のブラウス、グレーのスラックスといった軽装だが、どこか清楚
な面影が見られる。髪はブロンズのショートカットで、これも青のカチューシャをして
いる。これらを一言で表現するとどういうのか、さすがにスティンもよく分かっていた。
(けど、こんな美人が酒場なんかに何の用があるんだ?)
女性がこんな明るい時から酒場に姿を現すというだけで、随分と異例なことなのだ
が、誰もが目を見張るような美人が来ようなんてことは、先代の時ですらなかったこ
とだ。先に乱闘(なりかけだが)を目の当たりにし、沈鬱していた客の中から感嘆の
声が洩れることも、そう起こった覚えはない。
彼女はまっすぐカウンターへと歩いてくると、スティンの目の前の席に着いた。それ
を追うようにして、テーブルについていた客の何人かが、カウンターへと移ってくる。
が、そんなことよりスティンは、彼女が「カウンターについた」ことに今まで以上に驚
愕した。
基本的に、ここの酒場はカウンターにつく客はほとんどいなかった――まあ、ステ
ィンと面向かって酒を飲むのはあまり楽しくないからだろうとは彼自身感じているこ
となのだが、とにかく大抵の客は3・4人でテーブルを囲んで飲むのが主だった。単
独で来る客はカウンターにつくこともあったが、それ以前に単独で来るような奇特な
客はなかなかいない。つまりが、ここは世間的にも「ならずもののたまり場」として知
られているからである。
あまりの予想外なことにスティンが困惑していると、向こうから話しかけられた。無
論、例の彼女である。
「……情報を提供してもらいたいんだけど、頼めるかしら?」
第一声がそれだった。注文でも、挨拶でもない。スティンは肩すかしを食らった感覚
に陥った。だが、そのおかげで困惑という緊張感が解ける。相手が話しかけてきたの
なら、それに応えてやればいいだけのことだ。
「どういった情報ですか? どのみち、あまりお役に立てる自信はありませんが。」
余計なことを言ってしまった、とはこの時はそう気にしなかったのだが、思ったより自
然に話すことができたと彼は自賛した。例えどんな情報であれ、間違いなく答えられ
ないと思ったからだ。
「ある『もの』を、捜してもらいたいの。」
「その、ある『もの』についての情報が欲しいんですか?」
彼女は「ええ」と言って頭を縦に振った。そして、鼻の頭につけるようにして人差し指
を立てる。
「ただし……これから先は依頼を引き受けてくれないと、言えないわ。あまり他人には
知られたくないことだから……もちろん、報酬は払うわ。どう、引き受けてもらえるかし
ら?」
「いいですよ」――スティンは何も考えずにそう、二つ返事を返そうとした。いや、返し
たつもりだったのだ。喉元まできたその言葉が、彼女の周りに集まりだした、カウンタ
ーに移ってきた数人の男達によってふさぎ込まれてしまったのである。
「よぉ、姉ちゃん。捜し物かい?」
「だったら、俺達が協力してやるぜぇ? ここらじゃ、ちったぁ顔が知れてるからなぁ。
情報収集なら、力になれると思うんだがよ。」
「その上、報酬は払ってもらうこたぁねえ。なに、ちょっと一晩、つき合ってくれりゃいい
んだよ。」
そう言って、どっ、と笑い出した。そんな彼等のひやかしに、動揺はしないものの、彼
女には焦慮の表情が明らかに見られた。
「……お断りするわ。私は、この人に依頼しているの。」
強がって、しかし声をわずかに震わせて彼女。
「そうつれないこと言うなよ。どのみち、こいつに頼んだところで無駄だ。奴にはコネが
なけりゃ、度胸もねえ。死んだ親父がいないと、ここの経営もろくにできねえ腰抜けな
のさ。」
腹が立たなかったわけではない。が、それに対してスティンは何も抗うことができな
かった。男の言葉を認めたくはないが、この時彼は、改めて自分の無力さを呪った。
(何もできないのか……女1人によってたかるような連中相手に――!)
そう思っている間にも、その連中のうちの1人が彼女に向かって手を伸ばそうとして
いる。それを目前にして、スティンは歯ぎしりをした。非力な女にとりまく男達にという
よりは、そんな連中を止めることすらできない無力な自分に対して――
カッ!
「!!?」
「何だ! 何が起こった!?」
一瞬だった。その間に男が伸ばしていた手から血が吹き出し、とりまきの中から動揺
の声があがった。その隙に彼女はその場を離れ、とりあえず出口へと駆け出した。彼
女を助けてくれたであろう男がいる所へ。
「大丈夫ですか、お嬢さん。お怪我は?」
そんなセリフを言いながら、彼は帽子のつばを人差し指で軽く持ち上げた。やせぎす
の長身、手にはさっき男に投げつけた、何枚かのカード――
「ノト!? なぜここに? お前、さっきここを出ていったんじゃ……!」
「そのつもりだったが、ついさっきここに見慣れない美人が入っていくのを見かけてね。
お前らみたいなならず者のいる酒場に1人で行かせちゃまずいだろうと思って戻ってみ
たんだが……案の定だったな。」
痛みのあまり、悲鳴をあげる男を横目に、ノトはそう静かに呟いた。続けて鋭い視線を
向けると、とりまき共は、ひぃ、と情けない声を洩らす。
「小物に用はない……失せろ。」
静寂に響く彼の声に、抗う者はもはや誰1人いなかった。