「どうでもいいさ、そんなこと。」
「ああ、要はいただく賞金の割り当てだ。俺は――」
「暗い……暗い、どこまでも……誰か、助けてくれ……!」
「なら、あなたがダイヤのエースを引けばいいんじゃない?」
「くそっ、一体どうなってやがる! せっかく追いつめた獲物に逃げられちまう……」
「……俺はいつ死んだんだ? それに――なぜ今、生きている?」
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静かだ。男はそう、胸中でつぶやいた。
つい、そう思ってしまったのだ。比喩的なことである。商売が繁盛してるか否かに拘わ
らず、このお世辞にも立派とはいえない酒場の中が静まるわけがない。
そうだ。この名もない酒場が静かなわけではない。自分の中身が静かなのだ、と男は
これも胸中で訂正した。世間は賑やかでいて騒がしい。だが、その中にいるはずの自分
は、違う。
近い未来、「ゴールドラッシュ」と呼ばれるであろうこの時代は、それこそどこの街も賑
わっていた。どこの誰が発見したかは知らないが、この辺りを走る川から砂金を見つけた
時から十余年、それ以来繁栄の止まることを知らないかのように街は栄え、育っていった。
その時代の中、先見の明か、彼の父親というのが5年前、ここに酒場を開いたのであっ
た。その読みは的中し、瞬く間に繁盛していった――のはよかったのだが、その父親がつ
い先月、急な病で他界してしまったのだ。
そんなわけで彼――スティンは、若くして――とはいえ、歳は20を数えていたと思うが
――父親の跡を継ぎ、こうして毎日客の相手をしているのである。
そう。「相手」だ。自分でも内気であると思っている彼が自分から何かしようという気には
間違ってもなれなかった。結果それは、先代からの客を逃し、ここをならず者のたまり場と
化すこととなってしまったのである。
「――10とキングのフルハウスだ。勝負あったな。」
そんな、低く響きわたる声が、今日もスティンの耳に届いた。あまり飲酒のない昼間
は、ここはもっぱら賭場扱いされている。主に、今日のようにカードを使ったものが行わ
れるが、ひどい時は店内で格闘すら起こされていた。
スティンは、グラスを磨きながら声のしたテーブルの方へと見やった。見るからになり
の悪い男が2人。さらに柄の悪い、体格のいい髭面の男が1人――勝ち誇ったように
腕を広げているところを見ると、フルハウスの男はどうやら彼のようであった。が――
「悪いな、エースのフォーカード……俺の勝ちだ。」
4人目の男――やややせぎすで、つばの長い帽子を被った男が手に持っていたカー
ドを、言葉と共にテーブルの上へと軽く投げた。同時に、他の3人の間でどおっ、とざ
わめきが起こる。
「す、すげぇ……。」
「勝負になんねぇよ、これじゃ……。」
手が悪かったのか、なりの悪い男2人が投げやりにそう言うのが聞こえた。帽子の
男がそのセリフを確かめたかのようにして、カードの周りに置かれたコインを手元にか
き集めた。
「ちょっと待て! イカサマしやがっただろう、テメェ!?」
だが、勝負の結果が気にくわないのか、はたまた現実を拒否しているのか――髭面
の男がそう叫び、帽子の男に食ってかかった。また乱闘か、とスティンは嘆いたが、そ
の沈吟は瞬時にして消えた。安堵によってではない。慣れてしまったのだ。
ただ、帽子の男は見覚えがあった。格好が目立つというのもあるが、この男は毎日こ
こに通っているということをスティンは記憶していた。考えようによっては常連ということ
になるのだが、こういう常連はあまり歓迎したくない。
(いつもカードを持ち歩いている男だ……名前は、確か……)
「なあ、素直に白状したらどうなんだ。ノトさんよぉ?」
(そう、ノトだ。)
髭面の脅迫と、スティンの独白が見事に重なった――のは、スティンにしか分からな
いのだが、こんな客であれ、ちゃんと名前を覚えていたことにスティンは何となく嬉しか
った。だがその反面、髭面は今にも暴逆に走らんとばかりの形相を見せている。あとの
2人は、彼の迫力に圧されて逃げ腰でいる。
そんな雰囲気の中、ノトはただ黙って椅子に腰掛けているだけだった。その態度が気
に触れたのか、とうとう髭面はノトの襟元をつかみにかかった。同時に脇の2人が早足
で酒場から逃げていく。スティンも内心、逃げ出したい気分だったが、さすがに店を捨て
てまでしてこの状況から離れたいとは思わなかった。仕事をなくし、砂塵の絶えない街
の外で路頭に迷うよりもずっとマシだったからだ。だがそれでも、身は隠した方がいい
とその場に身をかがめようとして――
瞬間、髭面の体が細かく震えた。その巨体が、音もなく崩れ去る。
見ると、ノトが髭面の腹に手を当てていた。ただそれだけ。なのに、どうやって髭面を
倒したのか分からず、スティンは怪訝に思った。
「掌底を撃ったのさ……水月(みぞおち)に、な。」
そう言ったのはほかでもない、ノトだった――だが、自分の胸中を見抜かれて、ステ
ィンはゾッとした。その後を追うかのようにノトがこちらに振り向く。肩をすくめて。
「悪かったな、騒がせるつまりはなかったんだが……こいつは俺が外に引っぱり出して
おくから、この場は勘弁してくれ。悪気はなかったんだ、すまない。」
そう言ってノトは、その場に立ち上がった――髭面の体をひきずっていく彼を見て、
スティンは初めてノトを見るような感覚に陥った。髭面は身体全体が大きいので、一目
でそうと分かるのだが、おそらく身長だけを考えると、ノトの方が高い――おそらく、180
センチはあるだろう。スティンも低い方ではないが、それでも170強といった感じだった。
そして、扉を閉める音と共に、ノトは酒場を出た。思っていたより人が良さそうな気が
して、スティンは珍しく安堵感に浸った。ひょっとしたら、この酒場を継いで以来初めてか
もしれない。そう思いながらスティンは、再びグラスを磨き始めた。
と――
ギィッ……
ふいに、扉が開く音がした。ノトが戻ってきたのかと思い、スティンはそちらを見やった。