「――ここよ。」
例の如く、縮地(ジュセスはこう呼んでいるらしい)で走らされ、ジュセスに連れてこ
られたのは、街の離れにある1件の木造の小屋だった。
しかし、小屋とはいっても相当大きい――だが、決してそれは家と呼べる代物では
なかった。造りも雑で、崩れはしないだろうがそう頑丈そうには見えない。
そんな小屋の扉を、ジュセスは無造作に押し開いた。
「せんせーい、いますか〜?」
中は暗かった。一瞬、無人かと思ったが、大量の本が辺りに重ねてあったり、水道が
ひかれている様子が、僕の予想を否定する。
先頭のジュセスの後を、ゆっくりと僕とエウカは進んでいった。少しでも彼女の後をそ
れると、本の山が進行を妨げる。
しかし、小屋の中は本だらけだ。明かりがついていなくとも、開けた扉から入ってくる
わずかな光からでもそのことは容易に知ることができた。ジュセスが「先生」と呼んで
いるからに、ここに住んでいる人間は「魔法」に関して博識な人物なのだろうが……
と、ふと目の前でジュセスが足を止めているのが見えた。僕達も彼女の前で立ち止
まる。が、しばらくしても彼女は微動だにしなかった。怪訝に思って僕は、彼女の横か
ら顔を覗かせた。
そこから見えたのは、床に敷かれた布団に横たわっている、1人の男だった。髭面で、
着ている服もみすぼらしい。寝ながら眼鏡をかけていることに疑問を抱いたが、これらは
この部屋に設置されている1つの窓からの光がなければ分からないことであった。
僕は、視線をジュセスに移した。目をつむり、それこそ微動だにしない男を前に彼女
の双眸は虚に染まっていた。ただ呆然と男を眺め、彼女は小さくかぶりを振る。
「先……生……?」
彼女の小さな独白を、かろうじて僕は聞き取ることができた。直後、彼女の双眸から
うっすらと涙がにじむ――
そして、それは唐突にやってきた!
「ばぁ〜。」
「キャ――――――――ッ!!」
よく分からなかった。こうとしか言いようがない。が、とにかくそれは背後から聞こえた。
女の子2人の叫びを浴び、戦慄を覚えながらも僕はかろうじて後ろを振り向いた。
その結果、僕の双眸に映ったものは、驚くことにさっきまで横たわっていた男だった。
「……………………?」
恐怖より、疑問の想いが強かったらしい。驚く前に僕は眉をひそめ、目の前に佇んでい
る中年の男を凝視した。が――
「はっはっ、どうかね。わしの「脳」の魔法の構成力! 驚いたか、ほれ?」
そんなことを呑気な口調で言った。僕はわけが分からず呆気にとられていると、彼に対
して女の子2人が、涙目で訴える。
「先生!! 一体何を考えているんですか!?」
「そうよ! 私てっきり先生が……グスッ。」
「あーあー、悪かった。悪かったから泣かないでくれ、頼む。」
そう言って男は、あんまり困ったというような表情は見せず、2人をなだめた。どうやら、
この人が「先生」らしい。
彼はどうやってか部屋の明かりをつけると、眼鏡のずれをなおした。そして改めて2
人に向かい合い、
「――んで、何だ? わしに何か用か?」
「うん……先生、私達、地球人に会ったの。それも、日本人。」
「何とっ!?」
髭面の男は、大げさなほどに驚愕した。あまつさえ、ジュセスの肩をカックンカックンと
揺らして、
「で、どこだ? どこで会ったんだ? そいつはまだ木星にいるのか?」
「彼なら先生の後ろにいますよ、ロゼット先生。」
「何?」
彼――ロゼットと呼ばれた男は、瞬時にこちらに振り向いた。彼はゴキブリのように、
カサカサとこちらにやってきては僕の体をベタベタと触りだした。
「フムフム、これが地球人か。わしらと同じような格好をしとるのう。頭の大きさも同じ
くらいじゃから、知能も同等とみてよかろう……地球人の魔法がどの程度か、見てみ
たいもんじゃ。」
臭い息を吐きながら、彼は眼鏡を光らせた。ゾッとするものを感じて僕は、思わず後
ずさりをする。
「先生、地球では魔法は存在しないそうです。」
「何じゃとぉ!?」
エウカの声に、さっきと劣らぬ大声でロゼットは叫んだ。
「何と……地球に魔法がないとは……考古魔術士たるこのわしの夢が……ああ……。」
「先生、私達、彼に魔法を教えてあげようと思ってここに来たの。」
そう言ったのはジュセスだった。頭をかかえ、しょげているロゼットを横目に彼女は、
視線を僕に向け、
「でも、私達は他人に教えられるだけの知識がないから、ぜひ先生に頼もうと……」
「素晴らしいっ!!」
これで何度目かの、唐突なロゼットの叫び声は、歓声となって辺りに響いた。
「それはいい。地球人初の術者を、このわしの手で創り出すのか……木星きっての
考古魔術士であるこのわしが……フフ……。」
僕は、ブツブツと何やら言いながら怪しく笑うロゼットの姿に、思わず戦慄を覚えて
しまった。頬に一筋の汗を伝わせ、小さな声でジュセスに話す。
「……ねえ、この人、何かおかしくない?」
「平気よ。確かにちょっとアブない時があるけど、魔法の腕は一級品だから。」
(今がそのアブない時じゃないのかよ……。)
そう、胸中で独白し、再びロゼットへと視線を向けた。
と、ロゼットはいきなり僕の肩をつかみ、こちらを覗き込んだ。あまりの驚愕に声にな
らない声をあげるが、それを無視して彼は不敵な(不適かもしれない)笑みを浮かべた。
「よし、そうと決まれば早速実行じゃ! お主、名は?」
「ケ、ケイリです。」
ロゼットの勢いに押され、なかなか声が出ない。
「よし、ではケイリ! まずは目をつむれ!」
「は、はぁ。」
僕は言われた通りに目を閉じた。
「では、『自分とは何か』というものを頭の中で思い浮かべろ。想いを具現化するのだ。」
(自分とは何か……?)
彼のセリフを僕は、無意識のうちに反芻していた。同時に、遠い昔を思い出すような感
覚に襲われる――
(僕は……宇宙飛行士になりたいんだ。無限に広がる宇宙に、闇に散りばむ星に、少し
でも近づきたかった……ずっと小さい頃から、そう想ってたんだ……。)
だんだんと身体が熱くなっていくのを感じながら、僕の回想は続いた。
(今はペセタのおかげでここまで来れたけど……いつかは自分のシャトルを持って、自
由に宇宙を飛び回りたい……)
どんどん熱くなる身体からは、不思議と発汗しない。むしろそれが心地よく感じられて
くる。
(それが……僕の中にある、僕の夢……僕の全てだ……!)
回想からトンネルをくぐり抜け、現在に戻ってきたような感覚で僕は、ハッと目を開けた。
双眸に映ったのは、眼鏡を通してこちらを見ているロゼットだった。その後ろに2人の女
の子。ジュセスと、エウカ。彼女達は懸念そうな目でこちらを見つめている。
ロゼットは、深刻な目つきで僕の肩から手を離した。しばらく無言でこちらを見つめてい
たが、やがて1つため息をつくと、以前の怪しい笑みに戻る。
「『情熱の炎』……お主は今、「炎」を司る「熱」の覚醒に成功した!」
ロゼットのその言葉を聞いて、後ろの2人はホッと胸をなで下ろしたようだった。だが当
の僕はわけが分からず、きょとんとした表情で3人を見つめる。そんな様子に気付いたの
か、ロゼットが人差し指を立てて言ってきた。
「2人に聞いたかもしれんが、「熱」といっても色々ある。例えば、お主と正反対の性格、
残虐無比で冷たい人間に覚醒を試みると、やはり「熱」が覚醒するのじゃ。ただし、「冷」
を司る、な。お主は寒いとき、炎を召喚して暖まることができようが、そやつは逆に空間を
絶対零度で支配することができる。つまり、相対が存在するのじゃよ。属性というものには
な。」
未だ「魔法の覚醒」というものに自覚が持てない僕は、彼の話を聞きながら半信半疑で
僕の手を凝視した。