「……木星?」
しばらく――いやかなりたって、僕はすっとんきょうな声を出した。
「ちょ、ちょっと待って、だったら何で君は僕と会話できるんだ? それも日本語で。それ
になぜ僕は立っていられるんだ? 木星の重力は地球の約2.5倍のはずだ。あと、気温!
木星の表面温度は零下140度なんだよ! なのにここの気温はとても適正だ。宇宙服の
システム解析によるデータによれば、現気温は22度ほどで、これは地球では……」
「あん、もう! ちょっと落ち着いて言えないの?」
「落ち着いてなんかいられないよ! ここがもし木星だったらとんでもない大発見だ!」
僕は両手を広げて抗議した。それを見て女の子は、すごんで後ずさりをしてしまった。
……多分、彼女は面食らったのだろう。僕が抗議するなんて予想していなかったのだ。
彼女が驚愕の表情を浮かべているのを見て、しかし僕は何とか心を落ち着かせた。
彼女に聞きたいことは山ほどある。地球人は、木星を「死の星」としか見ていなかった
のだから。特ダネを独占した若手の新聞記者のような気分を、かろうじて押し殺しなが
ら、僕は今何をすべきなのかを啓蒙しながら考えた。
……そういえばまだ、僕は彼女の名を知らない。
「ごめん、ちょっと興奮しちゃってて……そういえば君、名前は?」
「私? 私はジュセス。あなたは?」
「僕はケイリ。地球の、日本って国からやってきたんだ。」
そう言うと彼女――ジュセスはパァッと目を輝かせて、
「日本? わぁ、やっぱり日本だったんだ! 言葉が通じるからもしや、と思ったのよ。」
そう言ってはしゃぎだした。そんな彼女を僕は、怪訝の双眸で見つめる。
「さっきも言ったと思うけど、ジュセス……ええと、僕ら地球人から見ると君は、木星人
ってことになるんだけど、なぜ君は日本語をしゃべれるんだ?」
「う〜んと、それはね……ま、いいわ。私も色々聞きたいことあるし、教えてあげる。
ただ、ここで話すのも何でしょうから、場所を変えましょ。私についてきて。」
そう言って、ジュセスは走り出した。
「あ、待ってよ。」
着慣れない宇宙服をはためかせ、僕は息を切らせながらも彼女についていった。
あれから、どのくらい走っただろう。
草原がプツッと途切れたように思えたかと思うと、そこはもう街の中だった。
その街の様子は、地球で例えると「近世ヨーロッパ」的なものであり、レンガ造りの古
風な建物が辺りにそびえ立っていたり、噴水のある広場があったりしている。だがこう
やって見ていると、アパートが多く目にとまるのは、民間人が主にそういう住居法をとっ
ているのだろう。街道には、見たこともない果物や野菜と思しきものを売っている屋台
や、道の端で楽器を演奏している若者の姿などが見える。また、この街道を成している
原料は、驚くことに地球と同じアスファルトだった。
(でも、なんかこう……見ると何から何まで、地球に似てるよな……。)
僕はジュセスの後を走りながらそう、胸中で独白した。
そんなことをしているうちに、ふいにジュセスが立ち止まった。慌てて僕も、ブレーキを
かける。
「ど、どうしたの?」
「ふぅ、いやね。ここまで走ったらもう大丈夫かなって。」
「大丈夫?」
僕は眉をひそめた。すると彼女はパタパタと手を振って、
「ううん、何でもない。詳しいことは、後でまとめて話すわ。それより……ケイリ、あなたそ
の格好、どうにかした方がいいみたいね。」
「この格好って、宇宙服のこと?」
あごの先に軽く握った拳を当てて言う彼女に、僕は服の裾を広げてみせた。
「でも僕、代えの服なんて持ってないし……。」
「大丈夫よ、知り合いに頼んで何とかしてもらうわ。こっちに来て。」
そう言ってジュセスが指を指したのは、すぐそこにある、こぢんまりとしたレンガ造りの
建物だった。
僕は言われる通りに彼女の後についていき、その中へと入っていった――外見が外見
なので、中の明かりはランプか何かだろうと予想していたのだが、器具にコードのような
ものが付いているところを見ると、どうやら電灯らしい。
建物の中は、これまた地球で例えると、クリーニング屋の玄関のようなものだった。会
計場と思しき小さなカウンターの向こうに、何十着という服がハンガーにかかっているの
が見える。どうやらジュセスの話と察するに、ここは服屋なのだろうが……
僕、お金(それも木星通貨)なんて持ってないんだよ、ジュセス?
「ちょっと待っててね、知り合い呼んでくるから。」
僕が胸中で嘆いている時に彼女は、そう言って店の奥へと消えていった。
静かだ。物音1つしない。
外では誰かがしゃべったり走ったりしているはずなのに、異様な静けさが僕の辺りを、
覆う。
木星……か。木星に知的生物がいるなんて、予想もしなかったな。
これを地球に知らせると、やはりニュースに流れたりするのだろうか?
……でもそれより、ここが木星であることの確証がないし。本当にここは木星なのだろう
か?
そういえば、ここで日本語が通じるのはなぜだ? 木星でなかったとしても、ここは確実
に日本ではない。それとも、ジュセスがたまたま日本語を知っているだけなのだろうか。
(う〜……ん。)
腕組みをしながら、考える。宇宙服がごわごわしているので、なかなか腕が組めないが、
別にそんなことはどうでもいい。
「お待たせ、ケイリ。あなたの服、用意してくれるって。」
「服なら別にどうだっていいんだ……」
……………………。
「……あれ?」
独白に怪訝を抱き、僕はふと顔を上げた。
さっきジュセスが消えていった廊下を見やると、彼女の横にセロリアンブルーのロングヘ
アを持つ、大人っぽい長身の女性が佇んでいる。
「……ケイリ、あなたその目立つ格好のままでいいの?」
「へ?」
僕は、間の抜けた声を上げた――と同時に、今何が起こったのかを頭の中で整理してみ
る。
ここについて訝った。腕組みをして考えた。宇宙服が邪魔だった。だが、それは別にどう
でもよかった。服なんて、どうでもよかった……
……どうでもよかった?
「こ、これは失礼をば! ごめんなさい。申し訳ないです。」
ようやく自分の立場を理解して、僕は必至で謝った。
それを見てジュセスは怪訝の表情を見せたが、まあいいかという顔をして僕の方に向き
直り、
「紹介するわ、彼女はエウカ。私の友達でここの店長をやってるの。」
「よろしく。」
長身の女性――エウカはそう言って、軽く会釈をした。背丈の割には、子供っぽい声をし
ている。
続いてジュセスは彼女、エウカの方に向き直った。
「彼がさっき話したケイリよ。たまたまヘヴンズゲートを通ってきて、ここに不時着した運の
いい日本人なの。」
「ケイリです、よろしく。」
エウカに習って、僕も彼女に会釈した。
ジュセスを「かわいい」と表現するなら、エウカは「きれい」な女性だった。髪と同じ色の
双眸と、それによく合った白い素肌が彼女の魅力に磨きをかける。ちなみにジュセスは、
僕達日本人のような、少し黄色い肌をしている。
「それでエウカ。彼にあう服をお願いしたいんだけど……。」
「いいわよ。ただし、」
エウカは人差し指を立て、それを僕に突きつけた。
「え、な……何?」
「私にも日本のこと、色々教えてほしいの。服の代金はそれでいいわ。」
そう言って、彼女はニコッと笑ってみせた。
「うん、いいよ。」
内心僕はホッとして、彼女の笑顔に笑って応えた。