実際のところ、僕達がどういう状況におかれているのか、おそらくここにいる5人全員
が分からないでいるだろう。身体の自由が奪われたかと思うと、いきなり景色が流れ始
めたのだ。車窓から見る景色のように。だが、1つ怪訝に思うのは、足をつけているはず
の地面が、摩擦することなく、景色同様流れているということだった。
つまり、「身体の自由が奪われた」というのは、手足が動かないということではなく、
地面の摩擦に頼ってその場を移動できない、ということだ。
(どういうことだ、これは――!?)
そう言って、僕はその時はじめて気がついた。声が出ないのだ。
『いや――その表現は正しくない。声が聞こえないのだ。』
と、僕の思考を読んで「心の声」で答えたのはレカルクだった。
『お前達は今、時間と同じ次元にあるのだ。時のように流れ、時のように過ぎ去っていく。
誰もこの自然の流れを止めることはできない――』
どこだ、どこにいる――表情と唇の動きからして、サーグーンはそんなことを言っていた。
『ひさしぶりだな、サーグーン……もっとも、お前は時を剥奪された私を常に監視していた
のだろうが。俺は常にお前に対する復讐心を持っていた。その結果、俺は「時の剥奪」を
学習することにとどまらず、「脳」の覚醒に成功した……故にこうやって話をすることがで
きる。』
どこにいると言っているのだ――サーグーンは顔を紅潮させた。
『短気な奴だな……俺はお前の目の前にいる――!』
それと同時に、紅潮していたサーグーンの顔色が、一気に蒼白へと変わった。
確かにそこには何もなかった。ついさっきまで。
だが、レカルクの言葉と同時に、サーグーンの目の前に人の幻影のようなものが現
れた。
(これが……?)
驚愕をよそに、僕はそんなことをつぶやいていた。
幻影なので、はっきりと姿を見ることはできない。せいぜいが「短髪でぼくより背が低
い」ということくらいしか分からない。だが、それ以上にその幻影は、何か悪霊にとりつ
かれたような虎狼の姿を見せている。
『俺は「非」の力により、時間と物体、異なる次元の上に同時に存在している……故に、
この状態で貴様をなぶり殺すことができるのだよ、サーグーン!!』
そう叫び、その幻影は時間と化した空間の中で、動いた。
『……物体の次元を保っているとは、そういうことか。』
(ロゼット教師!?)
サーグーンが――いや、僕達が驚愕の声をあげる中、1番驚いたのはレカルクのよう
だった。
『貴様……なぜ!? 声は空気、つまり物体を通してでないと響かないはず!』
『簡単なことじゃ……「脳」の術者は貴様だけではないということよ。』
『くそっ!』
ロゼットの示唆に、レカルクは完全に冷静さを欠いた――誰かが言っていた。レカルク
は正攻法に弱いと。過信していた自分の力が少しでも通用しないことを知ると、自我を
忘れて攻撃の手を止める――
(今だ!)
間違いなく彼もそう思っただろう。サーグーンはレカルクの「時」を「剥奪」しようと試み
た。イメージだけならば、時の次元を受けた今でも可能だ――
だが、それより早くレカルクが笑みを浮かべた――勝利を確信した笑みを。
(…………?)
怪訝に思ったのか、サーグーンは一瞬、イメージを止めてしまったらしい。が、それでも
レカルクを捕縛すべく「時の剥奪」を試みる――
が――
『おかしいとは思わなかったのか? 「ツァイト・トレーネ」を身につけた姫までが「時」の
術にかかっているのを?』
レカルクの声が、サーグーンの脳裏に突き刺さった!
その声に応じて、僕は――ちょうど目の前にいる――ジュセスの首もとを見た。だが、
そこにかかっているはずの、銀の小さな首飾りはどこにも見あたらない。
『お前がこいつに頼ってのこのこやって来ることは読めていた……確かこいつは相手の
「時」の効果を無力化するんだったな? ならここで質問だが、収束できずに目的を失っ
た「時」の力は、この後どうなると思う?』
サーグーンは答えなかった。彼の反応がどうであれ声は聞こえないのだが、それでも
サーグーンが何かしようという気配は感じられない。
レカルクは、手にしている銀の首飾りを見せつけるようにし、会心の笑みを浮かべた。
『もとある場所に反射される……ごく簡単な答だ。そしてお前の「時」は「剥奪」される
……この場合、お前の肉体の次元は「時」と同じ。つまりお前そのものが「時」なのだ
よ。仮に次元が元通りになったとしてもお前の身体は永久に動かない……。』
レカルクがそう言うのを待っていたかのように、サーグーンの身体は停止した――
そして、彼の剥製と化した肉体は、僕達と逆方向へと流れ去っていく――
『その表現もあまり正確とは言えないな。奴は置いていかれたのさ。過去の「時」へ、
な。』
脳裏に響くレカルクの声に、僕は再び驚愕した。奴はこちらの思考が読める――
『だから抵抗するだけ無駄なのさ。おとなしく――』
そう言い終えるが早いか。
僕達は、足で大地を踏みしめていた。同時に、体重の感覚が復活する。
ふと辺りを見回すと、ここはロゼットの小屋の前だった。レカルクの隠れ家から、「時」
の次元であった間、ここまで流されてきたらしい。だが、一体どうやって次元がもとに戻
ったのか……
「き、貴様……!!」
反射的に僕は、声のした方を見やった。
声の主は、未だ幻影の姿をしているレカルクのようだった。そして、そのすぐ前にうず
くまるようにしてジュセスがいる。レカルクは、焦燥の双眸で彼女を見ている。いや、正
確に言えばジュセスが手に握りしめているもの――
(「ツァイト・トレーネ」! どうやって取り返したんだ?)
ジュセスは疲労していた。いや、衰弱といった方がいいか。息を乱し、膝をついて、だ
が彼女はそれでもレカルクをにらみ据える。
「なぜ……貴様が使える!? 「時の逆行」を!? あれだけ強力な魔法は、「言霊」を利
用しないと到底不可能のはずだ!」
「使ったわよ……「言霊」は。ただ、「時」の次元じゃ、声は聞こえないんでしょ? その
首飾りは私のものよ……時を逆行させれば私の所へ返ってくるのは当然よ。まあ、術
者に「時」は通用しなくでも、それ自体には通用するかどうか、賭だったんだけどね……」
サーグーンの時のお返しにと、彼女はそう笑って見せた。彼はここにはいない。「ツァイ
ト・トレーネ」を取り戻した時、彼はもう離れてしまっていたから――
「く――」
かつてサーグーンがそうしたように、レカルクは怒りにまかせ、顔を紅潮させた。
「――っそおぉぉっ!!」
絶叫と共に、奴の両手がこちらに向かって突き出される――
瞬間、僕の背後――ロゼットの小屋がある方――で、爆発に似た轟音が鳴り響いた。
「先生ぇっ!?」
そう叫んだのは、エウカだった――見ると、ロゼットの頭が崩れた小屋からのぞいてい
る。どうやら、レカルクが何らかの力で彼を吹き飛ばしたらしいが――
僕の背筋が、この時完全に凍てついた。あれをくらったら死ぬ。
しかしそんな恐怖をよそに、エウカはロゼットの方へと走りよった。何とか彼をがれきの
中から出そうと試みるが、ついさっきまで小屋を成していた木材はビクともしない。
「先生、しっかりして、先生!」
しかし、彼女の呼びかけも虚しく、ロゼットは微動だにしなかった。
「殺す……貴様ら全員……」
レカルクの脅威に、僕の肩は意志もなく震え上がる。
「殺ぉぉす!!」
その一喝で、僕の生気は潰えてしまった。
僕はここで死ぬのか……わざわざ死ぬために、僕は木星まで来たのか……。
僕はなぜ木星に来たんだ?……ペセタだ。あいつに連れてってもらったんだ。
……なぜあいつはここにいないんだ? 不公平じゃないか。僕だけ死ぬなんて。
……そもそもなぜ連れてってもらったんだ? 自分で来ればいいじゃないか。
そうだ。僕はまだ宇宙飛行士にはなってないんだ。昔からの僕の夢を。
まだ実現していないんだ……。
(宇宙飛行士?)
気が付くと、僕は胸中でそう、自分に訊いていた。
(そうだ。僕はまだ夢を実現させてないんだ。それなのに……死んでたまるか――)
ジュセスは、アルカディアで僕を助けてくれた。今度は僕が彼女を護る番だ。
僕は、ありったけの精神力を1つのイメージにまとめた。それを、右手のひらに集中さ
せる。
「だ……め……。」
ジュセスのかすれ声が、かろうじて僕の耳に届いてきた。
「慣れないうちは……力を……放出しちゃ……制御できずに……自滅しちゃう……。」
「勝負するというのか? 地球人が。」
既に勝ち誇ったような口調で、レカルクはジュセスの声をかき消した。
奴は油断している。僕が奴を倒せるなんて、思っていないはずだ。
僕は右手を突き出した。てのひらを、レカルクに向けて。
瞬間、奴から何かが飛び出してくるのを感じる。
同時に、僕の手が、それを焼き払うかのような業火に包まれた!
「パッション・フレアー!!」
右手から、炎の渦が現れた。異様な早さで突き進み、それはレカルクの魔法を打ち消
し、奴自身をも飲み込んだ。
炎が消えた後には、何もなかった。ただ、地面についたすすだけが、残る。
ジュセスは、双眸に涙を浮かべていた。それが一体何をいみしているのか、僕には分
からない。
僕はふと、自分の右手を見つめた。情熱の炎を放った右手。わずかだが、焼けただれ
たような跡がある。火傷をしたらしい。
制御ができない、というのはこういうわけか……そう思いながら、僕は安堵のため息を
ついた。同時に、身体を支えている足が折れる――
そして――僕の意識は、そこで途切れた。
静かだ。
目が見えているというわけではない。ましてや、これが僕の意識という確証もない。ただ、
気がつけばそこは沈黙と暗闇の支配する空間でしかなかった。宇宙のように煌めく星はな
い。自分の身体がここにあるという感覚も、ない。
(ありがとう……。)
彼女の、ジュセスの悲哀に満ちた声が、僕の脳裏に澄み渡る――
(そして……さようなら、ケイリ……。)
今の僕にあるのは、彼女の声だけだった。
返事をしようにも声が出ない。彼女を捜そうにも目が見えない。
その、彼女の声に見送られるように、僕は暗闇の中へと落ちていった――
「……ろ、おい、起きろ、ケイリ!」
暗闇から僕を出迎えてくれたのは、見送りとは全く逆の、聞き慣れた、男の声だった。
その声の中に、いらだちが含まれていることを容易に知ることができる。
「おい、気付いてんならとっとと起きろ、ケイリ! もう地球に帰るぞ!」
そう、僕は気付いている――
「……え?」
間の抜けた声と共に、僕はその場に起きあがった。と、以前にこれと似たような状況が
あったような気がすると、訝る。
「……あれ、ペセタ。迎えに来てくれたのか?」
「ああ、お前を夢の世界まで迎えにいってやったんだよ、このくそったれ。」
決して美男子とは言えないペセタの顔が、すごんだせいで余計に醜く(見にくく?)なる。
それより、僕は彼の言葉の中にひっかかるものがあることに気付く。
「夢の世界……って、何? ひょっとして僕、ここで寝てたのか?」
そう言うとペセタは、心底から呆れたという表情を見せた。
「何だぁ? じゃお前、今までどっかに行ってたとでも言いたいのか?」
ペセタの声にはじかれたように、僕はふと視線を横にずらした。ビジョン。そこに映し出さ
れているのは、太陽系最大の重力を誇る、木星。固体水素とヘリウムで構成されている、
生物の存在が不可能な「死の星」。
しばらく無言で眺め、僕はそれを指さした。
「……………………?」
ペセタはそれが何を意味するのか、あるいは分からなかったのかもしれない。とにかく彼
は、しばらくの間呆然とした表情でこちらを見ていた。が、
「お前……そりゃきっと、意識が木星までブッ飛んじまってたんだよ。」
半眼でそう言うと、操縦席に座り直してビジョンに向かい合った。
「全く……初の宇宙フライトが気絶で終わったんじゃな……木星のいろんなトコをビデオに
撮っといたから、ありがたく思うんだな。ケッケッ。」
「……ああ、ありがと……。」
僕はあいまいな返事をすると、指さしている手をひっこめた。
(本当にただの夢だったんだろうか……。)
今の格好は宇宙服だ。エウカにもらった普段着のようなものではない。それでも僕は釈然
としないものがあるようでならず、自分の右手を凝視する。
と――
(あれ? これって……)
それは、確かに火傷のあとだった。魔法の制御に失敗し、自らの手も焼いてしまった、情
熱の炎の痕跡。痛みはないが、少なくとも昨日までにできたものではない。
(魔法……僕が使ったのか……?)
あの時の感覚をイメージして、僕は右手を突き出した。だが、炎は現れない。
「……お前、一体何やってんだ?」
帰路へ着くための情報をインプットし終えたペセタが、目を丸くして訊いてきた。
「ああ、何でもない。気にしないで。」
僕は笑ってごまかした。対してペセタは「ま、いいけどな」という表情で頭の後ろで手を組
んだ。
(夢じゃなかった……そうかもしれない……。)
確証はない。が、事実かもしれない。
それは今度――公式な宇宙飛行士となった時に、自分の手で調べてみたい。
木星に文明が、アルカディアが、魔法があるのか。
(その時はまた……会えるかな、ジュセス――)
新たな情熱の炎を胸に秘め、僕達は地球への帰路へと着いた――
― 木星で見た夢・完 ―