我が家の犬・チッチは、思いの外人気者であった。同じ散歩コースを利用している人達
からは「あ〜らチッチ、かわいいねぇ」とか言って頭を撫でてもらい、どこぞの自動車から
たまたま顔を出した女の子からは「あ、あの子犬、かわいい!」と黄色い声(この場合、
この表現でいいのだろうか)をあびせられたりもした。家に帰ってからも、やつは家族に引
っ張りだこであった。
そう――最初の数ヶ月の間は。
チッチが我が家に来てからしばらくたち、大分慣れてきた頃、我ら兄姉――もとい、家族
に異変が起きていた。
午後5時。そろそろ散歩の時間である。が、誰も動こうとしない。
「妹2! あんた、体動かしたいんでしょ。あんた散歩に行ったら?」
「うっさいねえ。そういうお姉ちゃんこそ散歩に行けばいいじゃない。」
「もう! 兄貴は兄貴で部活から帰ってこないし……お母さん!」
「私はチッチのご飯の支度。」
「〜〜〜〜!!」
みんな、飽きていた。
……まあ、「飽きちゃったから」の一言で散歩に連れてってもらえない犬の立場からみる
と深刻な問題なのだが、いかんせんうちの家族(特に妹共)には頑固が多い。こういった場
合、母親が根負けするか、たまたま仕事から帰ってきた父親が行くケースが多かった。
稀に、母親が実力行使に出ることもあったが。
まあ、とにかくこういった理由で、散歩の時間がしばしば遅れることがあったのである。結
果それは、とてもゆゆしき問題を引き起こすのであった。散歩は1日に1回。しかも生まれて
間もない子犬――
「あ〜あ、やった!」
やつは、待ちきれんとばかりに、小屋の前(つまり、うちの庭の中だ)にう○こをしてしまう
のであった。最悪な場合、小さい方もセットでついてきた。
このことが家族会議を開かせるに至り、結果、「○曜日は○○が行く」という結論に収まっ
たのであった。ちなみに、普段は中学の部活で帰りが遅くなる私は、半強制的に日曜日の
散歩を任された。
ある日、私は珍しく父親と二人で散歩に行った。うちの周りには田んぼが多いので、秋〜
冬の時期は、チッチをそこに放して自分の好きなようにさせる、というのが父親のやり方で
あった。
「それ、行け!」
父親の言葉に解放されたように、チッチは田んぼの中を所狭しと走り回った。無論、ここで
用を足してしまうのだが、「肥料になるだろ」の父親の一言に、私はただ沈黙を保っていた。
しばらくして、やつが用を足すのを確認すると、私は手を組んで鳩笛を吹いた――この頃
からか、こいつがふとしたことで逃げていっても、これを吹けばしばらくすればどこからともな
く帰ってしることが分かった――。すると、やつは一目散で私の足下に走り寄ってきた。
「まだいいじゃないか。1日に1回の散歩なんだし。もうちょっと放してやったら?」
「ん〜、でも、もうすぐ帰りたいし……ん? こいつ、何かくわえてるぞ?」
それは、一見ただのゴミのようだった。それに手をかけると、チッチは容易にそれを口から
離した。ひょっとしたら、こいつはこれを我々にやる、と言っているのかもしれない。我々親子
は、同時にそんなことを胸中で独白した。
「チッチ……どうせなら、もっといいもの拾ってこいよ。」
「よし! んじゃ、財布を拾ってこい!!」
「ワン!!」と吠えたかまでは覚えてないが、とにかくこのゴミ拾い野郎(オスではないが)は、
父親に言われるがまま、再び田んぼの中を駆けずり回った――やがて、やたらすみっこで
暗くてよく見えない所でやつは1度立ち止まり、そして何かをくわえ、こちらに戻ってきた。
――それは、確かに財布だった。我々親子は、声に出して驚愕した。
「ええっ!!」
「チッチ、お前本当に――!?」
それは、チャックの付いている、黒い小さな財布だった。かなり古びている。父親が試し
に開けてみたが、案の定中身はない。
我々はかぶりを振って――半ば、安堵してため息をつくと、チッチの首輪にひもをつけた。
「チッチ、今度は中身のある財布を拾ってきてくれよ。」
そうは問屋がおろさないね――そう言いたげな双眸を見せて、やつはしっぽを振りながら
我々親子を見上げていた。
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