浪人記(仮)

 
 
 
      1995年2月25日。この日、私の浪人が決定した。
      第1志望にして、最後の入試校。そこの不合格通知がやってきたのだ。

      つまり、私は大学入試というものを完全にナメていたのである。
      高校入試は直前3日間のみ勉強し、巷では受からないであろうと言われていた(らしい)
     高校に無事合格。しかしその高校での3年間、私ははっきりいって部活とそれに必要な休
     息(つまり睡眠だ。それも授業中限定で)しかやった覚えがない。何しろ私は、授業6時限
     ぶっ通しで寝るので有名(あくまでも「らしい」)で、とある英語の授業で「○○、お前のいび
     きはすごいな」と先生に言われたほどだ。
      とまあ、何が言いたいのかというと、とどのつまりが「勉強を全くやっていなかった」という
     ことである。得意の数学でさえ、ひどい時は期末試験で14点とかいうことがあった。授業は
     全く聞いていないので、ある意味当時の学力は中学卒業時から凍結していた。
      高3の7月に部活を引退し、それから普通は入試勉強を始めるものなのだが、私は喜び
     勇んで夢中になって遊んだ。特に当時(そして今も)ハマっていたパソコンに、毎日のように
     触れていた。夏休みは補講に通い、また親に塾に行くよう差し向けられたこともあったが、
     実は真剣に勉強し始めたのが12月に入ってからだった。
      というのが、今だから言えるが(恐らく母親には既にバレていると思うのだが)夏休みは
     近所の図書館に通って確かに勉強はしていたのだが、しばらくすると合流した友人と外に
     出て、他の友人の家に遊びに行ったりしては毎日ダラダラと過ごしていたのだ。また、この
     頃から通い始めた塾というのも、その内容は勉強というよりは、学校の教科書の問題の解
     答を教えてもらう所といった感じで、あまりタメにはならなかった。
      そして12月。さすがに周りの友人がプレッシャーに思えてきて、苦手な物理をまず克服し
     ようと、毎日教科書とにらめっこが始まった。が、そんな短期間で物理をマスターすることが
     できるはずもなく、あっという間に年が明けた。どうやら、やる気だけは周りの人間と同等く
     らいになったはきたが、いかんせん今までの努力量が違う。よってテストに反映する結果も
     違ってくる。そこで今度は、バスで15分という少し離れた、大きめの図書館に通うことにした。
     静かで広い環境を求めた結果であったが、そこには前述した塾とは違う塾の、私のパソコ
     ンの師でもある先生が係員として勤務していたので、より勉強がしやすい所であった。いつ
     に配布されたかは覚えてないが、受験生用にと薄っぺらい数学の問題集を片手に1日数
     時間とノルマを決めて、それが日課と化すまでし続けた。
 
      ――と、そんな付け焼刃な努力も空しく、私の現役時代は散ってしまったわけである。実
     際はこの後にも少し続きがあって、地元よりのとある大学には合格したのだがそこには最
     初から行く気はなく、父親曰く「合格の感触を体験して浪人に望め」とのための入試であっ
     た。
      そして予備校に入るまで、名残を惜しんで親から許可を得、高校時代の友人たちとしば
     らく遊んでいたが、この先1年間みっちりと浪人生活を送ることとなったのである。
 
 
 



 
 
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