さて、4月に予備校に入学し、さっそく学力別クラス編成テストなるものを受けさせられて勉
     強漬けの毎日が始まった。ちなみにうちの(高校時代の)部活は、同期だけで8割以上が浪
     人という特殊(?)な部で、それは「うちの部は高校4年制」と言われるほどの伝統であった。
     よって予備校では決して寂しい思いはせず、むしろ賑やかすぎるくらいで毎日誰かしらと一
     緒の電車に乗って登下校していた。
      この部活内で、私には同じ地区に住む偉大な(?)先輩がいた。高校時代はよく行動を共
     にし、そして彼もまた同じ予備校に通ってこの年、その努力を見事開花させた1人であった。
     私の半生はこの先輩にずいぶんと感化された節があり、恐らく私を変えた人物の3本指には
     入るであろう人間でもある。予備校入学直前、たまたま会った時に彼は私にこう話してくれた。
     「いいかツボ、よく聞け。最初の1ヶ月は早めに5時くらいで切り上げ、やり残した遊びを早く
     消化させとけ。それから1ヶ月単位で次第に勉強量を増して、夏あたりから1日中頑張るよう
     にしろ。俺の友達にもいたが、今の時期から1日中勉強してたら後半バテて、本番でコケる
     ってパターンが結構多いからな」
      そして、何枚かのカードも渡してくれた。それは予備校の出席カードで、それを友人に託し
     ておくと記録上は勉強したことになり、その時間は遊びに行けるという寸法だ。
     「これは、俺が今まで余分にもらったものの全てだ。つまり俺は1度も使ったことがない。もち
     ろんこれをどう使おうがお前の勝手だが、まあこれを使った時点でお前の来年の結果もたか
     が知れたものになるだろうと思っておいていいぞ――多分な」
      そう言って、彼はその場を後にした――そう言われたからというわけでもないが、もともと負
     けん気だけは強かった私は(いや、私も)、結局それを使う機会は1度もなかった。
      テスト後、私が配属されたのは13組というクラスで、高校時代1度も話をしたことがなかった
     同期を入れると、うちの高校出身は4人いた。が、部員は1人もいなかった。まあいいかと思
     いながら、1ヶ月が過ぎた。私は先輩のアドバイス通り、5月までは5時きっかりに帰り、家で
     のんびりと過ごしていた。
      ところでうちの予備校は(恐らく。というのも、他の予備校に入ったことがないのでどうにも言
     えない)特殊な所で、午前中は授業でそれからは補講、あるいは自習時間となっている。ま
     ず午前の授業だがこれも変わっていて、まず浪人生が当日やる問題を授業前に黒板に書き
     (以下、板書)、それを先生が修正・解説していくという流れである。補講は事前にどの補講
     に入るのかを決めておいて(大学の履修とは若干違うが)、板書はせずに先生が問題集の解
     説をしていくという、まあこれは普通の授業である。1番特殊であり予備校の目玉でもあるの
     が自習時間のシステムであり、まず補講を受けてない者、あるいは補講のない5時以降が自
     習時間となる。そして補講時間同様、先述した出席カードを配られ翌日の授業内容などを自
     習するわけである。この時間には制限があって、5時(7・8時限目:105分間)までは強制自
     習時間である。また9時限目のみは30分間となっており、この時間帯は出欠自由で夕方休み
     扱いとなっている。更には「皆勤・月当たりの自習時間200時間以上・優秀な結果を残す」を
     満たした者には翌春に金一封が出るのがポイントで、私も狙ってはみたが前半の時点で既に
     「自習200時間以上」の条件が満たせていなかった。なお、1日は0時限目(7時半〜)から13
     時限目(9時50分)まであり、前者は自習時間で出欠は自由であり、私が出席しようとすると
     交通弁や距離の問題で、6時前には起床しないとならなかった。後者はこの時間まで残って
     いると私達の乗る電車まで4分しかなかったので、最終的には我々○△高校軍団は12時限
     まで残り、そこから余裕を持って帰路に就いていた。
      ……と、以上がまあ、ざっとした予備校のシステムの説明ではあるのだが、この全てのポイ
     ントが、私に力を与えてくれたのである。
 
      6月。そろそろ調子を上げていこうと帰宅時間を7時に延長し、また早めに切り上げていた土
     日のうちの土曜日も、平日と同じ時間帯まで残ることにした。
      そんなある日、私は本館の1階を歩いていると、急に後ろから誰かに襟首をつかまれた。う
     ちの担任だった。
     「○□く〜ん。君、ちょっと帰りが早いよねぇ?」
     「あ、いえ。最近は7時まで延長したので……」
     「7時? まだ早いな。8時までいなさい」
     「い、いやぁ、居残りがイヤというわけではないんですけど、かれこれそういうわけで今はちょっ
     と……」
      とか何とか言いながら、何とかその場を切り抜けた。思えば当時、私は「こういう意味」で担
     任に目を付けられていたわけだ。今からでも、やろうとすれば8時まで頑張れるとは思うが、
     いかんせんまだ「やろうとすれば」の域である。今から飛ばすと、先輩の言ったようなスランプ
     に陥りかねない。私はマイペースで頑張り、翌月の7月から8時まで延長することにした。
      ところで、私は実は、昔はバカではなかった。むしろ出来がよかった。小学に入学した当時
     は学校にあった化石を指差して「あ、アンモナイトだ!」と言って周りの先生方を驚かせ、小2
     時は算数のテスト採点を先生に代わって私がする始末だった。それに加えて性格が自己中
     心的であったため、当時はよくいじめられたがそれはまた別の話である。若い頃は自分が近
     すぎるためによく見えないものだ。まあ今でも十分若いが。
      話を戻すと、つまり私は高校時代は「勉強をしていなかった」だけで、足りないのは努力だっ
     た。そして偶然ではあるが、この予備校のモットーが「努力は実る!」である。私は高校3年
     分を取り返すように勉強しようと覚悟を決めた。そこで目に付いたのが、午前授業の「板書シ
     ステム」である。私は小学時代、授業中に問題の解答を書くのが楽しみだった。高校時代は
     逆にイヤだったのだが、それは勉強してないための解答能力不足からのことであった。最初
     は不安だったが、「あれ、自由に書いていいの?」と訊いて「そうだろ」と答えた友人を信じ、
     私は予備校に入って初の板書を試みた。
      実は、初めての板書の感想・記憶が全く残っていない。ただ、それが私の浪人生活の分岐
     点になったのは間違いなかった。翌日も、その次の日も板書を続けた。私達のクラスは私立
     理系で、午前中の授業は数学と英語のみ(物理は補講)だったので、英語が異常に苦手な
     私は数学に、特に自習時間を注ぎ込んで予習・復習をした。
      それからしばらくした、ある日のこと。私は、もはや日課となった数学の板書をいつものよう
     に済ませ、授業が始まるまで席で待機していた。それから授業が始まり、その時間の担当の
     先生による解説が始まる。この解説というのが「板書の」解説なものだから、板書した人間は
     ある意味その時間の間、先生を1人占めできることになる。その理由もあって私は率先して
     板書をするようになった――のだが。
      その先生は、いつものように板書された解答を眺めていた――が、やがてしばらく彼が硬直
     していることに気が付いた。解答の中で、何かヘマでもしてしまったのだろうか?
      しかし、私の懸念は杞憂に終わった――むしろ、逆だった。
     「……すごいっ! すごいよこの解答は!」
      彼の感嘆の声に、思わず目を丸くする。
     「この問題を解いたのは、誰?」
      はぁ、僕ですが。そんな感じで手を挙げた。
     「君、名前は何ていうの?」
     「あ、○□です」
     「○□君、すごいねこれは。こんな解答は見たことがない。皆さん、まずはこれをノートに写して
     下さい」
      ホンマかい、というのが(多分)第1印象だった。そして、次第に征服感に似たような感情が
     わき上がる。ひどく懐かしい感情。久しぶりに授業を楽しんだ気分だった。
      その問題は、今でも覚えているが三角関数を用いた問題だった。別にどうとした解き方をした
     わけではない。そうでなかったならば、私はそこにいなかったのだから。自習で得た知識をうま
     く使えただけ――そう、幸か不幸か、冬に図書館でやっていた勉強の成果が、今になって現
     れてきたのだ。
     (努力は実る――か)
     胸中で頷き、私は来春の自分の姿を夢見て、数学の自習に没頭した。
 
 
 


 
 
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