ぅぉぉ……ん――
空間に響く、ひどく低い音がかすかに聞こえた。 いや、あれは音ではなく、ひょっとして声ではないのかとセルフィアは、理由もなくそう思った。 「――ドラクロワ枢機卿が逝ったか」 唐突に聞こえてきた声に、彼女は身を震わせた。 ヴォルマルフ。確か神殿騎士団長とかいったか。 凍てつくような雰囲気を纏ったその男は、こちらを見透かすように言ってきた。 「……ふむ、お前も気付いているのだな?」 「あなた達は……人間じゃないのね?」 「その通りだ。お前はルカヴィという存在を知っているか?」 セルフィアは戦慄した。この、目の前に佇む男がそうなのか。 果たして、自分は生きてここから出られるのか――本能が自分に語りかけてくる。 「お前はオヴェリアではない。だが、我々は王女という強力なカードを手に入れた」 「……我々?」 セルフィアが訝るが、ヴォルマルフはそれに構わなかった。 「……来たか」 部屋の入り口を見やる。セルフィアもつられてそちらに目を向けた。 「せふぃ……せふぃ! 無事か?」 「ぽちょむ君!」 その姿に瞠若し、思わず口に手をあて、驚くセルフィア。 そして軽く両手の拳をにぎり、それを肩まで上げるという彼女に似つかわしくない乙女チックな走り方で、彼女はぽちょむ君の胸に飛び込んだ。 「よかった、ぽちょむ君。よかった……あなたがいないと、私……」 「せ、せふぃ……?」 ドギマギするぽちょむ君。何が何だかと、頭が真っ白になる。 しかし、なぜか後ろでのブッシュの「……これでようやく主人公らしくなりましたな」という小さな呟きだけは、しっかりと聞き取っていた(聞き取れていた)。我ながらしょぼいキャラだと、やや鬱になる。 ぽちょむ君に抱きつくセルフィアに、ドス黒い眼差しを向けるアグリアス。周りについていけないオヴェリア。そんな中で、マスターはふと、セルフィアのズボンの後ろにスポーツ新聞のようなものが挟んであることに気がついた。 (はて、こやつは馬は勘弁だとか言っとったから、競馬目当てじゃないしのぅ?) そして、スリの技能でひったくる。よく見ると、それは即席で作られた冊子のようなものだった。 『The 必勝! ヒロインへの道』と書いてある。 (……………………) 眉間に手を当て、しばらく考える。が、どうせ埒があかないだろうと彼は、セルフィアの方へと歩み寄った。ぽちょむ君にくっついている彼女を引き剥がし、その肩を強く抱く。 「ま、マスター?」 更に面食らうぽちょむ君。満面の笑みを浮かべるアグリアス。 しかしマスターは、そんなギャラリーにお構いなくセルフィアへと顔を近づけた。強い眼差しで、しかし柔らかい笑みを浮かべてセルフィアの双眸をじっと見つめる。 セルフィアは、言葉を失っていた。その頬は薄く朱に染まり、ただ相手に身を任せている。 両手で頬を包むように、優しく愛撫する。マスターはそっと耳打ちするように、言葉を発した。 「絶・対・無・理」 そう言って、例の冊子で彼女の頬をぺしぺしと叩く。周りは何のことやらと首を傾げていたが、冊子に書かれている文字を読み取れたブッシュは、声を出さないようにしてゲラゲラと腹を抱えていた。 セルフィアは、沈黙を保っていた。目を白黒させているわけでもなく、あっけに取られている様子でもない。ピントのずれたカメラのように、視点が定まらない、冷たい顔を見せている。 ふと、彼女が右手の人差し指をマスターに向けた。視点を定めないままで、彼の首に這わせるように触れたかと思うと、そのままゆっくりと横に払う。 結果、その指はマスターの首を刎ねた。返り血がセルフィアを襲う。 「……………………!!?」 氷のように青ざめる周囲。その中で、セルフィアだけが思い出したかのように身体を動かしていた。再度、ぽちょむ君の胸に飛び込む。 「いやぁっ、血が飛んできたっ。せふぃ、こわぁいっ」 あんたが怖がってどうするんだとは口が裂けても言えない状況で、ぽちょむ君は震え上がっていた。見たくもないが、どうしても床の方へと目がいってしまう。確かにマスターの首が転がっている。 未だ惨劇を目の当たりにして身動きできないぽちょむ君達。しかしその中でブッシュだけが、何とかいつものような口調で言ってくる。 「――セルフィア、貴女は確か『国士無双を極める旅(仮)に出る』と言っていませんでしたっけ?」 「ちゃんと(仮)ってつけたでしょ?」 「なるほど」 妙に納得して、頷くブッシュ。 「主人公と結ばれるのがヒロイン。だが、裏を返せば主人公と結ばれてしまえば、どんなに女性らしくないほどの太い体力の持ち主で、殺伐極まりないリーサルウェポンでもヒロインになれてしまいますな。なるほど」 「せふぃがヒロインになるってのも、ある意味国士無双を極めるようなものですし」 「ううむ、なるほど。いちいちもっとも」 そう言ってブッシュは、マスターと納得し合い何度も頷く。 ……………………??? 「…………はい?」 「ううむ、なるほど」 「なるほどなるほど」 セルフィアを含む周囲の人間は、いやというほど目を丸くしてブッシュとマスターのやりとりを見ていた。 ――そして、時を同じくして。 『本物』のオヴェリアが、ヴォルマルフによって拉致されてしまったことに、そこにいた全員が気がつかなかったというエピソードがあるが―― それはまた、別のお話。 |