(1/4) メダルゲームとの出会い


自分がスロットと出会う前に、メダルゲームとの出会いがありました。
幼稚園の年長組、つまり5歳か6歳の頃。ある遊園地の中でのことでした。
当時はとにかく、電気で動く(自動の)おもちゃが大好きだった自分。
電卓が好きだったくらいですから、メダルゲームとの出合いは衝撃的だったと思います。
ベットして、光が動き、停止したマスによって払い出されるメダル。
この「払い出されるメダル」というのが、自分にとってかなりツボにはまったようです。
それからというもの、遊園地に行く目的が「ゲームセンターのメダルゲーム」となりました。
そして、行く度に父親に 100 円をせがみ、それを 10 枚のメダルと交換して遊んでました。
今考えてみると凄いことですが、このメダル 10 枚で 30 分程度は保っていました。
基本は2倍で堅く、たまに4倍、何かの拍子で気が触れると 30 倍にチャレンジ。
その 30 倍が間違って当たってしまうと、その日は終日興奮しっぱなしでした。
しかし早い時は数分でなくなり、もう 100 円せがんだこともありましたが、断られました。
スロットだと、最短で 13 秒弱(4.1 秒×3ゲーム)でなくなるものですが……。
もっとも、スロットではメダル3枚が増えに増えて 1000 倍以上になったりもしますけど(笑)
今ではゲーセンでも可能ですが、当時はそのようなハイスペックなゲームはありませんでした。
メダルはお金で借りて、遊ぶために使うものだと思っていた。やがて、その概念は変わります。
パチンコ屋(と当時は呼んでいた)のメダルは換金できると、父親から初めて聞かされた時。
夢のような話だと、自分は心底憧れたものでした。果たしてこの時、どんな顔をしていたのやら。
 
そんな自分が、ゲーセンの中でスロットの存在に気付いたのは、もうちょっと後になってから?
この辺はよく覚えてませんが、とにかく当時は手を出さなかった
なぜなら、スロットは3枚掛けが一般的だったからです。
1枚1枚が貴重なのに、1度に3枚なんてもったいなくて使えない。
だから当時の自分にとっては、スロットはとても敷居の高いゲームでした。
そのうち、1枚掛けでも遊べることを知った自分の中では、
 
 「1枚掛けは普通の人用。3枚掛けはお金持ちの人用」
 
こう、解釈するようになりました(笑)
何か、ある意味子供らしい考え方だなあ……と。今思い返すと、そんな気がします。
そんな自分がスロットデビューを果たしたのは──いつだったか、記憶にありません。
あ、もちろんゲーセンで、ですけど(笑) ただ、小6よりは前だったはず。
当時の時点で、自分の中で「スロットの打ち方」が既に固まっていました。それは、
 
 「メダルを1枚入れて、『タン、(タ、タ)タン、(タ、タ)、タン』のリズムでボタンを押す」
 
と、いうものでした(笑) ほら、そこ。笑わない!
試しにやってみて、何度かは小役が揃って 10 枚のメダルが払い出された──
このことに自分は、味を占めたのでした。 当時の自分にとって、10 枚はかなりの枚数でした。
スロットの経験を得ていた小6時の修学旅行では、遊園地への到着と同時にゲーセンに一直線(笑)
ゲーセンとはいえ、スロットのシマ1つを、小学生と教頭先生が占有するという事態が。
そう。当時の教頭が角台で打ってたんですよね。不思議と印象に残ってます。
この時、彼がボーナス(当たり)を付けてくれていれば、自分の未来が少し修正されていたのに。
ちなみに、打った機種はよく覚えてませんが、パネルのイメージからして 1.5 号機のアメリカーナ7X?
1988 年のことですから、あながち間違ってはいないかと。クレジットもなかったし。
この時は「タン、(タ、タ)タン」で何度も小役を揃えて、満足したのでありました。




next >>


コラム一覧へ