ミーティングはその後、徐々にテンションが上がってきた。
      とはいえ、内容は帝国に対する疑問・質問のような、普段会えない原田・堀田の二人へ
      の会話がほとんどだった。が、それでも最初ここへ来た時のような思い雰囲気は、もう室
      内には欠片も感じられなくなっていた。
       そんな中、汐月がふと何か思いだしたかのような表情をして、そのまま固まってしまっ
      た。何か言いたげで、それをなかなか口に出せないように、視線をその場に落とす。
      「……どうしたんです、エリカ姐さん? 何か困ったことでも?」
       彼女の異変に気付いた津波が、顔を覗き込んでくる。
      「何っ! エリカさんが悩み事だとっ!? それぁもちろん、俺に任せてくれ。どんな悩みでも
      すぐに解消してやるぜ。」
      「……俺の悩みは、お前の存在自体なんだが……。」
       半眼な山代の呟きに耳も貸さず、古谷も負けじと汐月に寄り添ってくる。
      「……………………。」
       だが、当の汐月はそんな彼等の言葉が聞こえてないようだった。ただひたすらに床の
      一点を見つめるように俯き、表情を変えようとしない。
       そんな彼女の態度に一人、また一人と気を取られ、やがてにぎやかになってきていた
      室内は完全に静まり返ってしまった。そんな中で、さすがに心配になってきたか、仁科が
      汐月の方へと歩み寄っていく。
      「……一体どうしたんだ、エリカ?」
       従兄弟の声に反応して、汐月はふと顔を上げた。同時に、その従兄弟の顔と共に周り
      の人間全員の視線が視界の中に飛び込んでくる。
      「えっ…………?」
       肩を震わせて彼女は、その時はじめて自分が注目されていることに気が付いた。が、
      ただそれだけでなぜそうなっているのかが分からない。自分が何かやらかしてしまったの
      か、記憶を辿ろうとしても慌てふためいてしまってなかなかそうもいかない。
      「エリカ姐さん、何かあったんですか? さっきからただぼけーっとしてるだけっスけど。」
      「ぼけーっ、と……?」
       改めて津波の言葉を聞き、汐月はようやく自分が何を考えていたのかを思い出せた。
      そして、それを言おうかどうか迷っていたということも。だが、思い出しただけで、その問
      題が解決したというわけではない。結果、それは再び彼女を困惑させるものとなる――
      「……何か、迷ってるんだな?」
       仁科に図星をつかれ、汐月は再び肩を震わせた。今度はハッと、表情を変えて言って
      くる。
      「な、何でそれを……?」
      「お前が迷ったり悩んだりしてる時はいつも、世界中の不幸をしょったような顔をしてるか
      らな。俺にはすぐに分かる。」
       優しく笑って、仁科は汐月の肩をそっと抱いてやる。
      「世界中の不幸をしょった顔、ってにっしーそのものやんか。」
      「さすが従兄弟、よく似てるなあ。」
       という、津波と白石の呟きを耳にしながらも、仁科はその表情を変えはしなかった。
       ――頬に一筋の汗を伝わせてはいたが。
      「んで、情報処理班殿。一体何を迷っておられたので?」
       山代は興味津々とした表情で訊いた。
       が、その言葉に汐月は応えようとはしなかった。仁科に肩を抱かれたまま、ただ沈黙を
      守り続けるだけ。
      「言ってみろよ、みんなに。その方が気が楽になるさ。」
       仁科の言葉にも、彼女は反応は示さない。
       いや、確かに彼女は言った。近くにいても聞き取れないような、かすかな声で。
       「…………怖いの。」
       「……え?」
        しかし、山代には聞こえなかった。
       「……何が怖いんだ?」
        かろうじて聞き取れた仁科が、眉をひそめて、訊く。
       「……みんなが壊れていくのが……怖いの。」
       「壊れて……いく?」
        今度は山代も聞き取れたらしい。
       「え、と。そう申しますとつまるところ、俺達が“スーパー・ノヴァ”にやられてしまう、簡
       単に言うとこんなところなんですかね?」
        汐月は静かに頷いた。
        だが、その反応に古谷が体を震わせた。あまつさえ仁科を払いのけ、
       「ちょ、ちょっと待ってくれよ、エリカさん。そんなのやってみなきゃ分かんねえじゃねえ
       かよ。そりゃ、確かにこの前は不覚をとっちまったけど、だからっつってもまたやられる
       とは決まったわけじゃないだろ?」
        しかし汐月は、力なくかぶりを振る。
       「……俺達の力じゃ、到底やっこさん達にはかなわないと?」
        再び、今度は振りを小さくして彼女は応える。
       「じゃ、一体何だと――」
       「現時点では奴等には勝てない、そう言いたいんだろう?」
       「情報主任殿?」
        山代は声のする方へと、反射的に振り向いた。いつの間にか仁科が、山代の真後ろ
       まできている。彼は軽く肩をすくめてみせて、
       「現時点では勝てない。だから次に戦っても返り討ちは目に見えている。だから――言
       いたくない。そんなところさ。」
       「……どういうことだ?」
        訊いてきたのは安野である。仁科は彼の方真後ろに顔を向けて、
       「つまり、近いうちに奴等と相見える機会があるってことだ。そうなんだろう、エリカ?」
        彼女は――静かだった。静かに、しかし今は力なくしての状態ではなかった。少なく
       とも彼女の双眸は。何かを見据えたような彼女の双眸だけは。
        原田は、相変わらず人をコケにするような顔をしてこちら――汐月の方を見ている。
       だが、表情までではない。何かを受け止めたような、そう、もう何かを受け止めたような、
       大きく構えた表情。そんな表情で彼は汐月達を見つめている。堀田と共に。
       「……んで? 有り体に言うと、どういうことなんだ? 俺の「黒豹」が野郎をぶっ飛ばせる
       チャンスはいつやってくるんだ?」
        両手をうずうずさせながら、笹原の顔でも思い浮かべているのだろう、こめかみに血管
       さえ浮かべながら中村は、汐月の顔を覗き込んだ。
        彼女は、目を閉じた。いや、もう開けていた。唇を緩ませて上を見上げる。木造の天井
       であるはずのそれは、彼女の双眸には宇宙船の一部分として映った。
       「…………土曜日、よ。」
        金髪の少女の“独白”は、それに始まり、そして終わった。
       「必須でない、選択模試の最高峰……T大プレテスト。それが……今週の土曜にあるわ。」

        車のエンジン音が聞こえた。
        地上を走り抜ける音が、タイヤがアスファルトを刻む音がこの地下室の中を駆け抜ける。
        いや、響きわたるという方が妥当かと、笹原は音のする方――天井を見上げた。同時
       にチッ、と舌打ちをする。どうも、こういった響く音は嫌になる。幸い、鳴り止むことを知らな
       い轟音をたてていた大雨は昼過ぎに止み、いくらかましにはなったが。
        それでも騒音に耳を押さえながら、彼は視線を彼女へと移した。パソコンに向かって、
       キーボードをカチャカチャ鳴らしている女へと。かれこれ二時間にもなるが、彼女は一向に
       その手を止めようとはしない。
        プリンターのそばにある椅子に腰を下ろしすぎて、いい加減尻が痛くなってきたのか、
       笹原はその場に立ち上がった。そして時計を見る――三時半。自分の家を出てから三時
       間はゆうに経っている。
       (せっかくの日曜だってのに、三時間も何もせずに過ごしているとは一体どういうことだ?)
        彼は自問した。同時に、自分はなぜここにいるのだろうと思い始めた。そもそもここは
       彼にとっては意味のない場所である。国内有数のハードウェア開発所、『クリスタル』。
       彼がいるのは、そこの地下室である。何でも、ここの社長が倉庫にと作ったものが、今
       ではもっぱら娘である彼女の研究室となっているらしい。
        再び彼は、その彼女に視線を移した。と同時に、どうでもいいことを思い出す。
       (……そういや、この会社の名前って最近変わったんだったな。)
        つまり、昨年彼女の父親がデータ・クリスタルを発明した時にである。
       (何ていうんだったっけか。どこにでもありそうな名前だったと思ったが……)
       「――森口工業。」
        ぎょっとして笹原は声のした方を見やった。椅子の背に体を預けた森口が静かに笑う。
       「多分、そんなこと考えてるんだろうと思ってたの。」
       「……仕事は終わったのか? 女社長さんよ。」
       「あら、私が会社を継ぐなんてまだ決まったわけじゃないのよ。父さんが弟を選ぶかもし
       れないし。」
       「そんなことはどうでもいい。仕事は終わったのか?」
        多少の苛立ちを覚えて、笹原は森口を睨んだ。彼女は嘆息まじりに肩をすくめて、
       「ハイハイ、終わりましたよ御隠居。」
       「……何だ、その御隠居ってのは?」
       「だって、あなたそれっぽい顔してるじゃない。」
        言われて、笹原は一瞬きょとんとした。眉を寄せ、自分の顔を思い浮かべる――
       「……ようするに、てめえ俺が老け顔だって言いてえのかっ!?」
       「ちょっ、やめて、ジョークよ、ジョーク。」
        森口は突っかかってきた笹原を何とかかわして両手を上げた。それを見て笹原も何とか
       踏みとどまる。
       「だって、社長の上ってったら御隠居くらいしかないじゃない……それにしても、あなた結
       構顔のこと気にしてたのね。そうとは思わなかったんだけど。」
       「ほっとけっ!」
        笹原はそう叫ぶように言って、スキャナーから自分の“理想郷”を掴み取ると、さっさと
       それをズボンのポケットにしまい込んだ。
       「で? こいつはちゃんと奴等の裏主砲を跳ね返すんだろうな?」
       「よほど強い威力なら完全に、とまではいかないけれど。まあ、少なくとも前のあなたの
       裏主砲くらいなら反射は可能よ。」
       「上等だ――それと、奴は何て言ってきてる?」
       「面白そうだからやらせろ、だって。だから彼の“理想郷”も作っちゃったわ、ほら。」
        そう言って、森口はスキャナーからもう一つのデータ・クリスタルを取り出した。
       「くそったれ……だから時間がかかったのか。」
       「どうせ彼のも裏主砲対策をしておかなきゃならないんだから。だったら、まとめてやっ
       た方が早いでしょ?」
       「フン、まあいい。どうせ奴も俺の目的のために利用するんだ。それまではスペース・オ
       ペラごっこをせいぜい楽しませてやるさ。」
        笹原は、きびすを返して階段を上りはじめた。ふと、思い出したように足を止める。
       「おおよそ、二日前……木曜までにはそいつを奴に渡して、使い方を教えとけよ。どうせ
       奴等も模試のことを嗅ぎつけてくるんだろうからな。」
        そして、彼の姿は完全に階段の向こうへと消えた。同時に、森口はため息をつく。
       (利用しているのは、あなただけじゃない……)
        さっきまで笹原が座っていた椅子に、彼女は腰を下ろした。そして、ついさっきまでえ
       んえんと格闘を続けていたパソコンのディスプレイへと視線を移す。
       (今まで私は、何をやっても中途半端だった……)
        つまり、何かパッとしなかったのだ。全てにおいて。
       (夢中になれるものに出会えなかった……けど、)
        今度は手にしている、データ・クリスタル――“理想郷”へと視線を落とす。
       (彼等が会わせてくれた……だから、今度は超えてみたい。オリジナルを……。)
        そしてプリンターのそばに置いてあったプラスチックの留め具を、彼女は器用に組み立
       て始めた。

        仁科は疲れていた。
        どこがどう疲れているのかは自分でもよく分からない。が、理由は何となくは分かって
       いた。こんな風に疲れるのは、あの“スーパー・ノヴァ”が帝国の前に現れてからだ。自
       分でも神経質なのは分かってはいる。が、それでも宣戦布告した敵が現れたからには、
       それに対する打倒策を考えてないとどうも落ち着かない。
        今日は火曜日である。昨日は原田の家に集まった翌日ということで、ミーティングは行
       わなかった。そして今日に至っては、参謀総長である中布利が風邪で休んだために中止
       ということになっている。そのため、彼は今、珍しく「昼休みに一階の自販機でホットコー
       ヒーを買ってゆっくりする」という快挙(?)を成し遂げている。
        だが、ゆっくりしているとはいえ、心底ゆっくりすることは彼にはできなかった。自分の性
       格のこともあるが、それ以前に彼には、中布利から受けた任務がある。
       (特殊戦闘員を、遅くても木曜までに登用すること、か……さすがにちときついかもな。)
        単なる戦闘員ならまだしも、今回は条件つきである。表向きの団体名を偽っているため、
       ただでさえ「こいつとは話が合いそうだ」と思う人間を一発で探し出さなくてはならないし、
       何よりそれには時間がかかる。その上、苦労して探し求めた戦闘員候補が特殊でなかっ
       た場合、「すみません、この話なかったことにして下さい」で事が済むはずがない。
       (あと二日、か。こんな所でのんびりしている場合じゃないな。)
        彼はコーヒーを飲み干して紙コップを潰し(ゴミがかさばるので、基本的に校内の自販
       機は紙コップである)、ゴミ箱に投げ捨てると階段へと歩き始めた。一階には十組の教室
       と事務室、教員室とがあるが、十組には山代以外、面白味がある人間はいないことを仁
       科は熟知していた。事務室、教員室となると言うまでもない。地下か、上か、どのみち彼
       には階段へいくしかなかった。
       (だが、どうする? 他の組を探したところで結果は同じだ。戦力になりそうな人材は全て
       登用したつもりだ……。)
        そしてそれは、人材探索の援助を依頼した情報処理班の汐月も同意見だった。彼女も
       今頃、この上のどこかで血眼になって人材を探しているだろう。木曜までに見つからなか
       ったとしても、特に刑罰とかはないであろうが、それでも任務を遂行できなかったとなると、
       二人の性格上、寝覚めが悪い。
        だが仁科は迷った。何か体を動かさないと前へ進めないのは十分理解しているのだが、
       やみくもに動いただけではそれこそ無駄になりそうだと思うと、迷わずにはいられなかっ
       た。そうしているうちに、気持ちだけが先へ先へといってしまい、体がますます動かなくな
       る――
        と、そんな時、事務室の方で騒ぎがあった。同時に仁科が呪縛から解放される。
        彼は騒ぎの方を見やった。すると、視界の下の方に倒れている男の姿が映っている。ど
       うやら、この男が誰かに倒されて騒ぎが起こったらしい。視線を上げると、その“誰か”で
       あろう男が、憤怒の形相で倒れている男を見下ろしていた。
        仁科は、倒れている男を覗き込もうとした――が、そうするが早いか、どこからか女が
       二、三人その男に駆け寄ってきた。
       「西村君、大丈夫?」
       「どうしたの、何かあったの?」
        そんな彼女達に囲まれ、西村と呼ばれた男――前髪を立てた黒の短髪で、眼鏡をかけ
       た真面目そうな男――はゆっくりと起き上がった。身長は百七十強ほど、彼を倒したと思
       しき、キザっぽい男も彼とほぼ同じ高さである。ただし、こちらは茶に染めた長髪をしてい
       るが。
        そのキザな男は、西村が立ち上がるが早いか、怒りにまかせてまくし立てた。
       「この野郎、ちょっと頭が良かったり女にモテたりって調子に乗りやがって! ムカつくんだ
       よ!」
        一方、西村の方は、倒されたり愚痴(だろう)を言われたりするのを気にしないのか、全
       くの無表情で相手を見据えている。が、それが気に入らないのか、キザな男の愚痴はさ
       らに続いた。
       「大体てめぇ、初めて見た時から気に入らなかったんだ! すましてるツラしてるくせに、
       いつも女をはべらせやがって――」
        刹那。
        キザな男の身体が、宙を舞っていた。西村の放った掌底によって。
        男の身体が床につくまでには、西村は既に手を引いていた。痛みよりも驚愕の方が強
       いのか、男の表情は変化ない――というか、目の焦点が合っていないだけだが。とりまき
       の女達をはじめ、事務室のチューター達など周りの人間はそれを見て少なからず狼狽え
       たが、西村はただ冷たく、
       「知るか。」
        と言い放つだけで、階段へときびすを返してしまった。それに続けるかのように、女達
       が男に向かって「バーカ」だの「当然の報いよ」だのと言い残して、彼の後を追っかけて
       いく。事務室の係員の女性やチューター達は、その倒れた男を取り囲み、覗き込んでい
       た。
        仁科は唖然としていた。あの男は確か見覚えがある。女達が彼のことを西村と呼んで
       いたことから、彼はそれを確信へと変えた。十六組、私立理系中位クラス。名前は、西
       村翔。
        クラス一の真面目な男で、クラス中の女に人気があるらしい。と、ここまでは仁科自身
       も調べたし、汐月も知っている。各クラスの中心人物は大抵、彼等の目にも映るからで
       ある。そういったルート(?)で登用したのが、つまり中村や広瀬といった目立つキャラク
       ターを持つ人材である。
        だが、今のを見る限りでは、仁科の知っていた、いや少なくともそうだと思っていた西
       村の人物像とはかけ離れていた。真面目と聞いていたから大人しい性格とばかり思っ
       ていたらアグレッシブな面も持っているし、モテるといっても女に溺れている気配もない。
       少なくとも、さっきの場面では、彼は女達に気を遣うといった素振りは見せなかった。
       「……………………。」
        身体がぞくぞくしている。何かに恐れているというのではない。とびきり面白い物に出
       会えた少年のように、仁科はワクワクしていた。そう、ちょうど、中布利に帝国の話を初
       めて聞かされた時のように。
       (あいつしかいない……特殊性を持つ戦闘員! 軍務尚書が言っていたのは、こういうこ
      とか!)
       帝国にいない人格。即ち、帝国に必要な人材。
       それが今回、どういった形で戦闘に関わっていくのかは正直、仁科自身も分かりかねな
      いことではあったが、今はそんなことなどどうでもいい。
      (あいつしかいないんだ……話が合わないなら、合わせてやるまでだ。あと二日間。じっく
      りかけて説得させてやる。)
       期待と不安を胸中に秘め、仁科は未だ起きあがらない男を横目に、地下へと階段を降り
      ていった。
 
 
 



 
 
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