肩までかかった、少し長めの黒髪。掛け値なしの美人、とまではいかないが、広瀬や汐
     月とはまた違った、顔の綺麗な女である。慎重は百六十くらい、グレーのポロシャツに白
     のスラックスを履いて、どこか挑発じみた笑みを浮かべてこちらを見つめている。山代はド
     アを閉めて、改めてその女と向かい合った。
     「……何か用?」
      ひょっとしたら、帝国の新入者かな、と思ったのは広瀬だった。しかし、どこかそんな雰
     囲気とは違う。でもなぜだかは分からない、とまで中村は洞察した。
      そして――何となくだが、この女が何者で、何をしにここへ来たか想像がついた山代は、
     ゆっくりと口を開く。
     「……あいにく、まだ対峙する時じゃないと思うんだけどな?」
     「あら? 私は、お礼を言いに来ただけだけど?」
      女は、すっとんきょうな声を出した。
     「あなた達のおかげで、これを取りやすくなったから、ね。」
      言って、彼女は胸の前に一冊の白い冊子を持ち出した。飾りっ気のない表紙。安上がり
     な紙でできている、容易な造りの冊子。そして――「六月模擬試験U」という、大きな活字
     のタイトル。
     「模試の……解答?」
      広瀬は、口から言葉を洩らすように呟いた。
     「な、何でアンタがそんなもの持ってんだ?」
     「なぜって……取ってきたからよ、事務室から。」
     「……何?」
      さすがに軽視できなくなったか、山代が事務室の方へと身を乗り出した。
      瞬間、彼の目に映ったのは何人もの眠りこけている人達だった。事務員の女性からチュ
     ーター、さらにはその近くにいたであろう浪人生までもが、全員が全員その場で眠りにつ
     いている。
      そして――その中でただ一人、平然と佇んでいる男がいる。不敵な笑みを浮かべ、双
     眸にかけたデータ・クリスタルがまばゆい光を放っている――
     「笹原……!」
      気が付くと、山代はその男の名を口に出していた。笹原は、データ・クリスタル――“理
     想郷”を光らせて、浮かべている笑みをさらに深いものにした。
     「やあ、山代……すまんなあ、お前等の通常の戦闘開始は八時ジャストだったと思うが、
     俺達の戦力をもってすると、そんな安全策を立てる必要もなかったもんでな。」
     「必要なかった……って、昼間っからこんなことしたら、チューター達にバレちゃうんじゃな
     いの?」
      広瀬は、笹原に食ってかかるように言い放った――同時に、後ろから誰かに肩をひっぱ
     られた。例の女である。
      彼女――森口は、広瀬が驚愕の表情を見せるが早いか、
     「言ったでしょ、私達の戦力をもってすれば、って。事務室及び、その周辺の人間全員を瞬
     時に眠らせることができれば、わざわざ石橋叩いて渡るようなマネをしなくてもいいでしょ?」
     「ああ? こんな大人数を一気にヤっちまうような攻撃、例え裏主砲といえども無理じゃねー
     のか……」
     「けど、それを私達は実際、こうしてやってのけているじゃない。山代君、だったっけ? あ
     なたなら分かるんじゃない、彼――笹原の裏主砲が何なのか。」
      すごんでくる中村を横目に、森口は視線を山代の方へと向けた。
      山代は、しばらく黙っていた――中村の言う通り、いくら裏主砲といえど、この大人数を
     瞬時(つまり、一撃)で眠らせることができるわけがない。“美しき死神”の攻撃範囲です
     ら、この半分が精一杯だ。なら、一体それをどうやって――
     (…………!?)
      そこまで考えて、彼は思い当たりがあることに気が付いた。
      しかし、それがもし正しければ――森口の創造技術は、原田と同等かそれ以上である
     ことを意味する。無論、それはまずありえない。そうであれば、彼女はとっくに帝国の対抗
     者として参戦しているはずである。だが、そうでなければ――この圧倒的な破壊力の説
     明がつかない。
      自分の想像の有無に戦き、言葉を飲み込みながらも、彼は震える口で喋り出す。
     「それはまさか……雷獣の主砲、か……?」
     「ご明察の通り、だ。」
      答えたのは、笹原だった。
     「中布利から取得の許可が得られなかった、帝国最強の裏主砲――“雷獣の息吹”を、
     俺はとうとう手に入れたのだ。新進団体“スーパー・ノヴァ”の空母・『動く壁』の裏主砲と
     してな。」
      笹原の言葉に、山代は完全に戦慄した。データを破壊された笹原の“小宇宙”を見ただ
     けで、森口という女はここまで“理想郷”を仕上げたのだ。オリジナリティーが原田のもの
     であるとはいえ、それ以上の物を、彼女は造り上げた――
     “雷獣の主砲”は、原田はまだ造り上げてはいない。帝国内に「雷獣」はまだ存在してい
     ないのだ――
     「……二人で帝国を潰せるってのは、まんざらはったりでもなさそうだな……。」
     「当然だ。もっとも、もとからはったりのつもりで言ったのではないのだがな。」
      笹原は、不敵な笑みを絶やさず、言い放った。
     「まあ、彼はたった一人であなた達を潰す気でいるんだけど、ね。」
      いつの間にか山代の後ろに回り込んでいた森口が、首を傾げてこちらを見上げるように
     して、言う。
      中村は、笹原と事務室の眠っている人達を交互に見ながら、その場で笹原と対峙する
     ように佇んでいる。広瀬は、まだあまり話の内容が掴めていないのか、おろおろしてばか
     りいた。
      そんな中――ふっ、と山代が唇を緩ませた。頬に冷や汗を伝わせながら。
     「そいつは――いささか、ナメすぎでないかい?」
      彼は、視線を横に――事務室側の、階段の方に向けた。そこには、いつからいたのか
     “小宇宙”を被った一人の人間がいた。後頭部から、長い金髪が覗いて見える。
     「戦闘員じゃ…………ない?」
      彼女――汐月を知っているのか、森口が驚愕の声をあげた。それにつられて、笹原も
     そちらの方へと見やる。
     (今だ!)
      山代は胸中で叫んだ。恐らく、汐月もそうしたに違いない。
      その直後、汐月の背後からもう一人、“小宇宙”を被った男が現れた。そして、教員室
     側の階段の方からさらに一人。
      偵察として“小宇宙”を身に付けた汐月が、万が一の時のために“スーパー・ノヴァ”へ
     の攻撃の機会を伺っていたのである。当然これは作戦会議で決定したことではない。山
     代の独断である。
      山代は、条件反射でその場から飛び退いた。正面から古谷が、少し離れて斜めから津
     波が、同時に裏主砲発射を展開する。逃げられる間合いではない。
      しかし、それに対して森口、笹原の二人は決して慌てるようなことはしない。
     「妖牛斬!」
     「太陽弾ぁっ!」
      一筋の閃光と紅蓮の光球が、二人に向かって突き進む。山代達には見えずとも、汐月
     や笹原の目には、それが鮮明に映っているだろう。
      二つの異なる裏主砲は、巨大な空母を飲み込もうとしていた。少なくとも、汐月の目に
     はそう見えた。そして、その空母をまさに破壊せんと裏主砲が交差して――
      瞬間、空母の全身が光を放った。
     (……何だ?)
      そんな素直な疑問を、津波と古谷は、笹原の空母を見て抱いただろう。対裏主砲の“ス
     ーパー・ノヴァ”側の新対応策か何か、その程度の訝りでしかなかったに違いない。笹原
     の空母『動く壁』は、既に裏主砲を放っているのだから。ノン・チャージで裏主砲を発射で
     きるわけがないのだ。
      そして、古谷の後ろで見守っている汐月もまた、それと同じことを考えていた。
      だが――
      山代には、一瞬笹原が笑ったように見えた。それが何を意味していたか、その時彼には
     分からなかった。その直後、笹原の“理想郷”が妖しく光る――
      そして、彼等は信じられない光景を目の当たりにした。
     「雷獣の息吹!!」
      山代や中村には、笹原がそう叫ぶのがはっきりと聞こえた。そして、“小宇宙”を被って
     いる三人には――全身が光った空母から、とてつもないエネルギー砲が発射される様子
     が見て取れて――
      瞬間、彼等三人はそのエネルギーの渦に飲み込まれていた。二つの裏主砲もろとも。
      山代からは直接それは見えなかったが、笹原が叫んだ直後、三人が昏倒したことでそ
     れを確認することができた。だが――
     (三人…………だと? こんなに離れているのに?)
      汐月と古谷はともかく、津波は二人とは距離があった。笹原は古谷に向かって――つ
     まり、彼にとって正面に裏主砲を放ったのだ。そして、そこから津波の方へと向くには大
     体六十度ほど首を回さなければならない。
     (つまり、奴の“雷獣の息吹”とやらは、最低でも百二十度の攻撃範囲を持つってのか…
     …冗談だろ……?)
      戦慄と共に、しかしこれで事務室全滅の理由を知ることができた山代は、倒れた三人か
     らゆっくりと、視線を笹原へと向ける。
     (しかし……そうなると、こいつらの裏主砲はどうなっているんだ? 機械の構造上、強力な
     α波を撃つにはチャージが不可欠なはずだが……)
     「その通りよ。」
      後ろから聞こえた声に、さすがの冷静な山代も驚愕を余儀なくされた。
     「事務室を襲ったのに裏主砲を使った……それでどうして、また使うことができたのか…
     …大方、そんなことを考えていたんでしょ?」
      模試の解答を抱えたまま、森口が得意げに言う。
      対して山代は、完全に言葉を失っていた。
     「確かに使ったわ……襲撃の際にね。もちろん、“雷獣の息吹”一回きりで一掃したんだ
     けど。でもね――私、彼に初めて“小宇宙”を見せてもらった時、思ったの。一番使って楽
     しい裏主砲が、何で一度きりなんだろうって。そこで、考えたのよ。一回のチャージで、裏
     主砲が二回撃てるようにしようって。」
     「……何だって?」
      声は、中村のものだった。さっきから睨んでいた笹原から、視線を森口へと変えたらしい。
     彼女は、それに対して肩をすくめ、
     「……まあ、そのためにチャージタイムがちょっと長くなっちゃったけどね。それでも、実質
     私達の戦力はそれで二倍になったわけよ。戦闘で、二人で二回しか撃てない裏主砲が
     四回になった。要はその四回で相手を全滅させればいいんだから。」
     「ケ……ケッ! たった四回の裏主砲でくたばるような、やわじゃねえぞ俺達は!」
     「そう? でも、事務室くらいの広さを一撃で一掃できる裏主砲なら、四回もあれば十分じゃ
     ない?」
     「……………………!!」
      森口の言葉に、今度は中村が言葉を失った。山代もまだ、瞳の焦点が合っていない。
      その様子を目にして、森口は階段の方へときびすを返した。そしてその後を、笹原がゆっ
     くりと追っていく。双眸に“理想郷”をかけたままで。
      そして彼女達が階段へ足をかけた時、それまで黙っていた広瀬が急に口を開いた。
     「ま……待ってよ!」
      彼女の言葉に、意外にも森口達は足を止めた。
     「あんた達の目的って、一体何なの? そんな一人でもむちゃくちゃ強いんだったら、私達
     と戦ったっておもしろくないだろうし、それに簡単に模試の解答が手に入るんだったら、そ
     れこそおもしろみがないんじゃ――」
     「そんなことはないわよ。」
      森口は、身体を広瀬に向けて答えた。
     「聞いたと思うけど、笹原はあなた達帝国に復讐するという目的がある。そして、私は自
     分の造った武器が、オリジナルにどこまで通用するか――それが知りたいの。」
      そう言って、森口は再びきびすを返した。同時に、午後の授業の開始のチャイムが鳴る。
     「フッ――」
      階段を上りながら、森口は薄く、挑発的な笑みを浮かべた。
     「次回は全面衝突ね。楽しみにしているわよ、帝国“バイツァ・レグルス”――!」
      チャイムに独白をかき消され、森口は階段の奥へと消えていった。
      一階に、初陣の残骸を残して――
 
 



 

  次の章へ

  小説の目次に戻る
 
 

TOPに戻る