「あー、まだ頭がズキズキする……。」
      かぶりを振り、その男は『セルフ』を押し運びながら頭を抱えてそううめいた。
      今リオ達が歩いているのは、アースガルドの内部だった。静かな、長い廊下をただ黙って
     進んでいる。
      あれからしばらく、アルテと女が何やら話していたが、リオにはあまり内容が分からなか
     った。そのうち、彼女をこのまま一人にするのもどうかということで、女が一瞬にして『セル
     フ』──「女に持たせるつもり?」とリーゼがすごんでアルテに運ばせている──と一緒に
     ここまで連れてきてくれたのだ。空間移動の『巫術』を使って。
      それを見てリオは、驚愕を隠せなかった──まさかこの近日に、そんな大それた術を使
     う人間を二人も見ることになろうとは。
     「……しっかし、アンタよくもまぁ、あんなもので外に出たわよねー。」
      その、未だ名も知らない女が、思い出したように口にした。
     「ハングライダーなんて、今時使うヤツいないわよ。あんな原始的かつ、最も効率の悪い移
     動手段なんて。逆方向に風が吹いていたら、どうしてたのよ?」
     「いや〜、あの時は急いでたもんだからさ……ID不要で、かつ俺が簡単に扱えるってった
     ら、あれくらいしかなかったんだよ。」
     「はぁーあ、これだから筋肉バカは……」
      顔に手を当て、うめくように言い捨てる女。
     「その様子じゃ、こっちに戻ってくることまでは考えてなかったみたいね。あんなもので、し
     かも二人となると飛べるはずないもの。」
     「いや、俺も挨拶程度ですまそうと思ったんだけど……うなされたりして具合悪そうだったし、
     第一小さな女の子を一人、夜道に残すわけいかないじゃないの。」
     「小さな女の子、ねぇ……。」
      意味ありげに小さく呟く彼女に、今度はアルテが思い出したように口を開いた。
     「そういやリーゼさん、君はこの子に自己紹介してないんじゃない?」
     「いいわよ、アンタがさっきから名前を連呼してるし。それに初対面じゃないし。」
     「初対面じゃ……ない?」
      そう洩らしたのは、アルテではなかった。
     「あの……私、今までに会ったことありますか?」
      顔を覗き込むようにリオがそう言うと、女は一つため息をついて、
     「……この前は、アタシの顔に傷つけてくれたじゃない?」
      そう言って苦笑し、右目でウィンクしながら、左目の下を指さす。
      そしてしばらく、リオはそれを黙って見ていたが──
     「あ────────────────っ!!」
     「……びっくりした。何もそこまで驚かないでもいいじゃない。」
     「だ、だって、だって……」
     「だっておっかない面構えして、あんなに恐いんだもん。男かと思ってた。」
     「やかましい。」
      それなりに声色を変え、リオの後を続けたアルテの顔面を、女──リーゼは、そちらを振
     り向きもせずに裏拳をたたき込んだ。
     「いってぇ……頭に響くから殴るのはやめてほしいんだけどさ。まだ痛むんだぜ?」
     「うるさいわね、アンタが変なこと言うからでしょ。」
     「そんなこと言われても……考えてること、大体あってるもんなぁ?」
     「……………………。」
      困ったようにうつむくリオを一瞥し、リーゼは半眼であさっての方を向いた。が、どうにか表
     情を取り直し、彼女は隣の少女へと向き合った。
     「じゃ、改めて……じゃないわね、ちゃんと自己紹介するわ。アースガルド六番隊将軍、リー
     ゼよ。よろしくね、『ヴァルキリー』のお嬢さん。」
     「『ヴァルキリー』……っていうと、あのレジスタンスの?」
      すっとんきょうな声をあげるアルテに対し、リーゼは非難の声をあげた。
     「んっとに……アンタも何度も見たことあるでしょ? 気付かなかったの?」
     「いや〜、ひょっとしたら、どっかで見た顔かなってくらいは思ってたんだけど。」
      そう言って脳天気に笑うアルテ。
      だが、リオは沈鬱な表情を見せていた。その場に足を止め、うつむいてしまう。
     「やっぱり……アースガルドの人なんですね?」
     「そうよ。そこの間抜け面も、一応二十一番隊を束ねる将軍職に就いているわ。」
      リーゼの言葉に、リオは驚きを隠せなかった。
     「……ショックか?」
      こちらの意図が分かったのだろう、アルテが顔を覗き込んでくる。
      リオは、どう応えていいのか分からなかった。
     「確かに俺は、いや俺達はアースガルドの人間だ。どういう経緯であろうとな。アースガル
     ドが何をやっているか、また世間がそれをどう見ているのか、それも十分承知しているつも
     りさ。けど、だからってその中にいる人間全てが悪者だと考えるのは、ちょっと軽率だと思
     うぜ。」
      腰に手を当て、肩をすくめる。小さく息をついて、相棒の方へと目を向ける。
     「どうですかね? アースガルド生まれのリーゼさん。」
     「そうね、行き倒れのところをこんな所に拾われた人と同意見よ。」
      つんとした表情で、あさっての方を向く彼女の姿に、アルテはニヤリとした。未だ沈黙して
     いるリオの頭にポン、と手を乗せ、笑いかける。
     「な? 少なくとも、こんな所にもまともな人間は二人もいるんだ。」
     「あら、一人の間違いじゃない?」
      わざとらしい笑みを浮かべるリーゼに、アルテはふくれっ面をしてみせた。が、それはすぐ
     にかき消された。怪訝の表情によって。
      ふとアルテは首を回し、今更のように辺りを見回した。自分達、将軍職の仕事場でもあり、
     住まいでもある棟の中を、可能な限り、隅々まで検索する。
     「そういや……ここって、こんなに静かだったっけか?」
     「……やっぱり、アンタもそう思う?」
      真剣な面差しでこちらを見つめ返す相棒に、アルテは頷いてみせた。
     「ここだけじゃないわ。兵士棟も全部、もぬけの殻よ。さっきここを出る前、セキュリティルー
     ムに行って確認してみたの。それだけじゃない。昼に地上とアクセスしたっきり、全く移動す
     らしてないわ。ついさっきまではビフロストの係員くらいならいたのに、今ここにいる人間は
     たったの四人よ。」
     「四人?」
      アルテは眉をひそめて聞き返した。
     「私達三人と、あの仏頂面。」
     「いや、もう二人いるよ。さっき、君を捜しに走っている間に会った。女の子も連れていたか
     ら、ここの兵士じゃないだろうと思ってたんだけど。」
     「女の子?」
      それを聞いてリオは、パッと表情を輝かせた。アルテは彼女へと視線を向け、
     「……何だ、君の友達だったのか?」
     「すいません、それ、どこで見かけたんですか?」
     「下の噴水のあたりだったけど……もうさすがにいないだろうよ? かれこれ、二時間は前
     のことだから。」
     「……そうですか。」
      そう言って、リオは残念そうな顔をした。
     「……探してあげようか?」
      と、ふいにそんな声が聞こえた。振り向くと、リーゼは自分の後ろを指さしていた。その先
     に一枚のドアが見える。
     「ここが、私達の部屋よ。といっても勘違いしないでね、あくまでここは仕事場で、別に同棲
     してるってわけじゃないから。」
     「だったらこの部屋で、俺等にどうせーっちゅーねん。」
     「……信じらんない。」
      冷たく吐き捨てた彼女の言葉に、アルテはそれこそ冷たく、固く凍り付いた。まあ、それは
     どうだっていいのだが。
      中に入ると、そこは想像以上に綺麗にまとめられていた。まあ、女性のいる部屋なんてこ
     んなものかとリオは思ったが、仕事場というともう少し荒れていそうな気がしていた。
     「こっちよ。」
      リーゼに誘導されて、リオは左手の奥へと入っていく。そこには机と、簡易ベッドが二つず
     つ、規則正しく並べられていた。そしてそのうち、片づけられていない方の机の上に、それ
     はあった。リーゼがそこの席に座る。
     「これ──あいつのなんだけどね。ここの最上階にあるセキュリティルームとリンクしてある
     から、今はあそこにあるコンピュータと同じ機能を使えるわ。『ビューア』にこんな使い方が
     あるってのは知らないでしょ?」
      リオは黙って頷いた。リーゼはそれを確かめて、さらに続ける。
     「まあ、普及しだしたのが、つい最近のことだし……こんな使い方するのも、大それたシス
     テムという環境を持つ、ごく一部の企業の人間だけだけどね。大抵は『世界樹』を使った通
     信が主なんだろうけど──っと、話したいのはそのことじゃなかったわね。」
      そう言って、キーボードを叩き始める。それにつれ、画面に大きく変化が現れる。
     「ここの各ブロックに設置されているスキャナから情報を取り込んで、どれくらいの人数なの
     かチェックすることができるのよ。かといっても、至る所に設置してるってわけでもないから、
     チェック洩れもあったりするんだけどね。さっき、アルテの言っていた二人がチェックされな
     かったのは、そのためと思うわ。多分、どこかに隠れていたが、たまたまスキャナのない所
     を通っていたか──」
     「……じゃあ、二人が今どこにいるかってのも──」
     「分かるわよ。チェック洩れしない限りはね。」
      言うと同時に、入力が完了したらしい。リーゼはキーボードから手を離した。
      画面が急速に切り替わる。アースガルド全体を模していたらしい立体画像は、そのまま一
     部を拡大して広がっていく。そしてそれは、次第に建物のフロア単位に映し出され、そのう
     ちの一部が赤く点滅する。
     「ここが現在地、私達がいる所よ。この二つの点がそう。」
     「……じゃ、この一つ離れた点が、アルテさんですね?」
     「……まあ、そういうことね……あいつ、まだ凍り付いてんのかしら?」
      そううめいて、彼女は再びキーボードを叩いた。
     「角度を変えたんですか?」
     「そうよ。これがアルテで、この二つが私達ね。」
      言って、指さす。が、リオからはそれが隠れて見えない。
     「……あの、見えないんですけど?」
     「あら、ゴメンね。ちゃんと指さしたつもりだったんだけど──」
      リーゼは、首を傾げて画面から手を離した。だが、そこには二つの反応はなかった。二
     人が怪訝に思っていると、外から声が聞こえてくる──
     「──あれ、さっきの二人じゃないか。こんな所でまた会えるとはね?」
      それと同時に、謎が氷解する。二つの反応は、消えたわけではなかった。動いていたの
     だ。つまり今は、アルテのと重なって三つの反応がそこにある。
     「お兄ちゃん! エッちゃん!」
      リオは通路にいるであろう二人の名を連呼して、部屋を飛び出した。そこには予想通りの
     顔が二つ──こちらを見て瞠若しながら──確かに並んでいた。
      ──だが、
     『……はぁ?』
      兄妹は同時に、お互いの姿を認めるや否や、相手を指さして呆然とした。まさか兄が自
     分の嫌いな兵士の格好をしているとは思ってもなかったし、地上で別れたと思っていた妹
     が目の前にいるのだから、まあ反応というとそんなところだろう──もっとも、ウォードの隣
     に佇むエミストは、違うことに注視していたが。
      リオの後ろから、見たことのある──正確にいえば、対峙したことのある──女が現れ
     たのだ。彼女はその姿を認めるが早いか、大きく後ろに跳んで身構えた。一方、リーゼが
     こっちにやってきたことを知らないリオは、そんな彼女を見て首を傾げる。
     「……エッちゃん? どうしたの、そんな恐い顔をして。」
     「二人とも、早く離れて! 敵よ!」
      まあ、実際ここは敵の本拠地なのだから、敵が現れても全くおかしくはないわけだが、こ
     こには自分達しかいないと言われたばかりのリオは、ますます怪訝に思った。
      そしてふと、後ろを見やる。そこにはリーゼが、見透かすような笑みでこちらを眺めていた。
     エミストではなく、自分の方を――そこでリオはハッとした。
     「あ、大丈夫よ、エッちゃん。確かにこの人は、セッスルムニールに忍び込んできたけど─
     ─そんな悪い人じゃないみたい。」
     「そんな、じゃない。まるっきりいい人さ。彼女と俺は、人を傷つけることなんてしないんだか
     ら。もっとも、悪人は容赦しないけどな。」
      俺は、とわざわざ付け加えるのはどうしたものかとリーゼは思ったが、相棒の性格は今更
     何を言っても変わりはしない。長所も、短所もだ。胸中でため息をつき、話に割り込んだ相
     棒の姿を一瞥して、とりあえず相手を安心させようと、彼女は頭の上に手を上げた。
     「……そういうことよ。少なくともあなた達に、危害は加えないわ。」
      ウォードは、もとから彼女の姿を見たことがなかったため、全く状況がつかめないようであ
     ったが、エミストは少なからず警戒心を残してはいたようだった。それでも、自分の親友の
     言葉を信じ、身体に溜めていた力をゆっくりと吐き出す。
     「……なるほどね。確かに、致命傷を与えるようなことはしてなかったわね。」
     「あの金髪の人には、ちょっとひどいことをしたわ。首領だけあって、昏倒させようとしても無
     理だったから。」
      そこでようやく、ウォードは目の前の女が、以前リオ達が話していた黒ずくめのことだとい
     うのに気が付いた。ああ、と手を打って、思わず口を滑らせる。
     「ああ、この人が……お前達が、この前『禿頭の暗殺者』だとか『地獄の使者』とか言ってた
     黒ずくめか?」
      彼がそう言うなり──
      まず、エミストが動いた。後ろから、ウォードのふくらはぎを思い切り踏み抜く。抗うことな
     く崩れ落ちる彼の身体に、今度はリオの拳がめり込んでいた。
      結果、静かに、瞬時にして気絶した兄であれ、友人である彼を後ろに、少女二人は乾い
     た笑い声を発した。ついでに、あさっての方を向く。
      対してアルテは、そんな様子を目の当たりにし、目をしろくろさせていた。俺の身の回りの
     女って、こんな恐ろしいのばっかりだ、とは口が裂けても言えなかった。言ったら負けだ。相
     棒の方へ振り向いてもそうだ。とりあえずここは、何とかやり過ごさないといけない。失敗す
     れば、自分を待ち受けるのは死だ──
      だが収拾をつけるのは、自分しかいない。彼女の怒りを静めないと、それこそこの子達の
     身は保証できない。そんなことを半ば本気で思い、だが決意して彼は隣を向き──
     (……ありゃ?)
      アルテは思わず、眉をひそめた。
      リーゼは、笑っていた。自分と同じような、あっけに取られた表情のままで。声は出さず、
     だが口を抑え、嬉しそうに笑っていた。久しく見ていない──いや、ひょっとして初めて見る
     かもしれない、彼女の表情。
      アルテは、呆然としていた。思わず、唇が少し緩んでしまっていることに気付かないほど
     に。
     「……そうか、」
      気が付けば彼は、声に出して独白していた。
     「これが……君達の目標なんだな。」
      安らぎを求め、自分達の身の置き場を求めて戦っている──
      彼等は戦ってはいなかった。反駁さえしていなかったかもしれない。
      ただ、自分の道を信じていただけだ。信じていたつもりだけかもしれないが。
     「平和という名の『世界』……か。君達と一緒に、見てみたくなってきたよ。」
     「――ぜひ私にも見せてもらいたいものだな。実に強く興味を持った。」
      耳元で囁かれたその声に──
      彼は怪訝に思った。あるいは戦慄したかもしれない。
      だがどのみち、そんなことを考えられるほど、感情に余裕はなかった。
      そして、気が付けば彼等は、凍てつくような爆音と共に、身体を引き裂かれていた。
 
 
 


 
 
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