旅路

 
 
   俺は疲れた。
   とはいえ、まだ足腰はしっかりしているし、精神的な疲労も多分、ない。まあ、その多
  分ってのが自信のなさを表しているのだろうが――
  「ねぇ……まだ着かないの?」
   原因がこいつだってのは、確かなんだ。
   だが、具体的に“どう”疲れたのか、よく分からない。単に俺のボキャブラリー不足って
  説もあるが。
   かれこれ、もうどのくらい旅を続けてきたのか覚えていない。それくらい長く、歩き続け
  てきた。色々な場所に足を踏み入れ、様々な人間と顔を合わせ、そして多くの事件に出
  くわしてきた。その中で、人生を左右する人達とも、いくらか遭遇してきたに違いない。
  今考えてもそうと分かる人から、これから自分に関わってくる人まで。まだ俺達は若いが、
  同年代の人間と比べるとかなり多くの体験をしてきただろう。
   その中で、当然俺の考え方というのも変わってきた。価値観は修正され、世界観の見
  つめ方も随分広くなった。そして何より、この旅は俺に――自分でもぐうたらな性格と思
  える俺に――人生設計というものを考えさせるようになった。
   そう。いつかこの旅にも終わりがやってくる。そしてそれを、俺は――いや、俺達は
  どう受け止めたらいいのか。
   この旅が俺達に与えてくれたものは、とても大きい。正直、俺達2人にとって大きす
  ぎる“もの”を手に入れたのかもしれない。だが、それも最後は俺達次第なんだ。俺達
  がそれをどう利用するかで、その大きさや価値が全く別のものになってくる。
  「も〜だめ……歩けないわぁ……」
   いずれはこいつと結婚して、俺も1つの世帯の主となる時がくるだろう。でも正直、
  少なくとも今は、胸を張って「俺はそうなれる」と言える自信がない。口ではうまくいえ
  ないけど、多分経験は多くても、それを活かせる知識が足りないのだろう。
  「し、死んじゃう……ダメ、おぶってって……」
   ひょっとしたら……足りないのは度胸なのかもしれない。今までにも少なからずの危
  機があって、その中から俺はこいつを助け出してきた。多少の危険度の大小はあるが、
  だ。だが、これからは違う。子供も何人かできるだろうし、俺の身体も1人だけのもので
  はなくなってしまう。そして最も重要なことは、危険度の大小に関係なく、必ず家族を
  助けなければならない、ということだ。つまり、失敗は1度足りとも許されない――
  「……ねぇ、お願い……助けて……」
  「やかましいっ、少しは自分でどうにかしろっ!」
   ……と、たまにはグチったりもするだろう。まだ体験したことはないが、“家族を守る”
  というプレッシャーは、それこそ俺達の体験とは比べ物にならないほど大きく、そして重
  いものに違いない。
   ただ、俺も万能というわけではない。それは、世界中の父親にもいえることだ。全部
  が全部、やってやれることだというわけではない。そこはどうしても、こいつや子供達自
  身が乗り越えなければならないんだ。そのためにも、過保護にならない程度に家族を
  守ってやらなければならない。
   失敗のなく、かつ計算的に――そう考えると、ますますプレッシャーが大きくなる。
  「み……水……」
  「……分かったよ、少しだけだぞ。予備の水なんだからな?」
   苦しそうな表情を見せる彼女に、リュックの中にある予備の水を与えてやる。
  「慌てて飲むなよ、ゆっくりと……そう、飲みすぎてもダメだ。かえって身体を壊したり
  するからな。」
  「うん……ん、ありがと……」
   口を拭いて、再び立ち上がる。
   最近からだが、ごく稀にこういうシーンを目の当たりにして「ああ、今俺はこいつと二
  人三脚で旅をしているんだなぁ」と感慨にふける時がある。
   そして――これもごく稀に、「この先こいつと旅を続けて大丈夫なのか?」と思うこと
  もまた、ある。時にはムッとしたり、またある時には――殺意すら抱く時もある。
   人生のパートナーを選ぶのに、かける時間を惜しんではならない――というのが、今
  俺が覚えている、唯一の親父の格言だ。親父は俺が16の時にガンで死んでしまった
  が、その死ぬ直前の親父の顔は、まるで昨日のことのように思い出せる――
   この、出来の悪い父親を許してくれ。幼いお前を残して逝く俺を許してくれ――
  「……何? どうしたの、早く行こうよ。それとも……アンタも疲れた?」
   決して悪い父親ではなかった。むしろ、近所にも評判で、俺の誇れる親父だった。だ
  が彼は、そういう顔をしてこの世を去ったんだ。口にはしていないが――
   いや。たった一言だけ。一言の遺言を残して親父は死んだ。
  「…………すまんな。」
   生涯最初で、最後に見せた親父の弱音。
   それが悪いことなのか、今の俺には分からない。だが、あの時の親父の気持ちは痛
  いほどに分かる。
   だからこそ、晩年に言っていた親父の言葉も、今でも俺の胸の奥に突き刺さっている。
  「家族を守るだけなら、必死になれば誰にでも出来る。だが、なおかつ自分にとっても悔
  いのない人生を送るのなら、世界でただ一人の、自分に合ったパートナーを探し出すこ
  とだ。」
  「……どうしたの、目なんてつむったりして。眠たいのなら、横にならなきゃダメよ?」
  「……ああ、そうだな。」
   ――ひょっとしたら。
   俺の旅は、これからなのかもしれない。
 
                                 旅路・完 
 
 
 
 
 
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