吉村 虎太郎

(1837〜1863)




龍馬とは、土佐勤王党同志以上の直接的交流は
なかったと言われるが、龍馬の一歩前を指の間をすり抜ける
砂のように、また一陣の風のように過ぎ去ってゆく男だった。
せめて、龍馬と少しでも時間を共有出来ていれば・・・と
思わずにはいられない。

如才ない人柄で礼儀正しく、真面目で心優しい青年を
大和義挙という倒幕の過激行動に走らせたものは一体
何だったのであろうか。・・・しかし、虎太郎が死を迎える時、
彼を助け、担いで歩を進めたのは、まぎれもなく大和の農民たち
だったという。少年の頃から苦労を知り尽くした農民たちと
向かい合って育ってきたことが、その答えであったと思う。

一途に突き進んだ燃える魂は、大和路の露となって
消えたが、この血潮はまさに新時代への起爆剤となり、
若き多くの志士への力の源泉となったのである。


虎太郎・・・、あなたの行動はあまりに烈しく、そして
はかないものではあったけれど、そのはかなさ故の
美しさを、他の志士たちの心に残されたのです。

空の彼方を見つめて建っている故郷(土佐国高岡郡津野山郷)のあなたの姿(銅像)
は今、何を思っているのでしょうか?
写真を見るたび、あどけなさの残る純粋無垢な
顔立ちに涙がこぼれるのです。


吉野山 風に乱るる もみぢ葉は 我が打つ太刀の 血けむりと見よ・・・・・虎太郎




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