勝間田 多三郎


ようやく見つけた私の先祖。
萩藩士の勝間田多三郎。
少しだけど、その多三郎の紹介をします。


勝間田多三郎 (かつまた たさぶろう)
天保8年(1837)〜元治元年(1864)7月14日。


(称)多三郎
(生)長門国萩平安古
(身)萩藩無給通士・遊撃軍郷勇隊司令
(系)父は福井五郎兵衛、次男。勝間田作兵衛の養子となる。
(禄)十五石
(墓)京都市東山区[霊山]
(参)「忠節事蹟」(毛利文庫)、「維新功労者履歴」(同)、「殉」


幼少の頃、勝間田作兵衛の養子となった。
文久2年11月遊撃軍の郷勇隊に入って司令となり、
元治元年6月に上京して嵯峨天竜寺に屯し、
7月禁門の変に中立売門通りで戦死した。年28。



私の祖母に言わせると、その母(つまり私からすると祖祖母となる人)が、
しょっちゅう多三郎の話しをしてくれたそうです。
でも、祖母は小さかったので話しの内容は難しくてよく分からなかったそうです。


多三郎のお墓は霊山護国神社にあります。
龍馬の墓の左手をあがっていくと高杉や久坂の墓があります。
丁度久坂の後ろあたりに半分倒れかかっているのが多三郎の墓です。
もし霊山に行った際にはちょっと覗いてみて下さい。





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