高杉 晋作

(1839〜1867)



動けば雷鳴の如く 発すれば風雨の如く
衆目駭然(しゅもくがいぜん) 敢えて 正視するなし

尊攘の風が吹きすさび、長州過激派が京都政局を
圧しようとしている中、ひとり彼方の日本を見つめている男がいた。
彦島租借要求の拒絶により、日本の植民地化となるを防ぎ、
明治維新後の徴兵制度の嚆矢である奇兵隊を組織、
ここで旧来の藩兵制度は、彼の部隊により大きく民主化するのである。

俊英奇抜、兵を用いること軽快、源九郎義経の風ありとも評され、
その底力と抜群の戦時能力はあえて言うまでもない。

流血の多くの同士を弔う為、今日の靖国神社の始まりとなる、
招魂場を馬関の桜山に作り、


後れても また後れても 君たちに
誓ひしことを 我忘れめや


同士への鎮魂歌として和歌を詠じたものである。
19〜21歳までのたった2年程の師弟関係であったが、
吉田松陰の教えには、人間の節操と義烈、情愛というものが満ち溢れ、
その教えと師の斬刑が晋作を飛躍させていったのである。
ちなみに上記教えは今の教育に一番欠落しているものかもしれない。

自分が死んだら、芸妓を呼び集め、賑やかに飲めや歌えで景気よく
葬ってほしいと本気で言っていたように、秀才ボンボンのやりたい放題だったような
気もするが、粋好みの洒落者、吟を詠じ三味を弾き、それでいて
軍事能力、統率能力、世界情勢を掌握した長州が生んだ華麗なる天才異端児は、
やはり短い人生の中に一生を凝縮し、桜花と共に散っていった。

人ハ人 、吾ハ吾ナリ・・・
面白キ事モナキ世ヲ ヲモシロク・・・
国政ヲ令シテ維新ヲ成サント欲ス

日本国を世界の五大州に押し出すこと、
これが、晋作の一番やりたかった“面白キ事”だったのであろうか。




戻る