岡田以蔵と刻まれた石の小さな墓が、傾き加減に
今もひっそりと残っている。木漏れ日に時折、一輪の
野菊が咲いているかに見え、あとはただただ侘しく寂しく、
まるで風雨によって その石の存在すら消えてしまいそうである。
その墓の姿こそ、岡田以蔵そのままであり、
以蔵もまた その石と化したにすぎないような気がする。
下士階級の中でも最低に近い身分の家に たまたま
生まれてしまったがゆえに、自分の意志すら一言も言えないままの
身分制度の中で、そのうっ屈した自分の全てを
剣の道へとそそぎ込む以外になかったのである。
その赤貧の暗い生活の中で見た束の間の夢、
それは武市瑞山について江戸へ剣術修行に出、
土佐勤王党の志士たらんと希望に燃えた頃が、
陽の光の中での青年に戻った瞬間ではなかったろうか。
しかし、またそれが 逆に剣の腕に磨きをかけたばかり、
天誅の暗闇の世界へと引きづり込まれてゆくのである。
結局はうまく利用されるだけされ、暗殺剣のみを振るわざるをえなかった
身分の哀れさは、やはり消すことは出来なかった。
この辞世の句が、すべてから解放された以蔵の 如実に表れた気持ちである。
自分を語ることのなかった以蔵だけに、この句が彼の気持ちを表す
唯一のものかと思うと余計に悲しい。
同じ身分程度の出であった岩崎弥太郎の後のことを考えると
龍馬の救いの手があった時、
勝海舟の元で少しでも多く学問に触れていたなら、
頑なな閉ざされた心を開いていたならばと思う。
せめて、龍馬の傍にでも常に付いていたなら、
あの近江屋での事件も
また別のものになったのではないだろうか。
殺人剣のみであった“人斬り以蔵”の生涯で
海舟の命を救った剣だけが、ただ一筋 光をともした活人剣であったこと
それが 彼を地獄から救い出してくれたに違いない。