中岡 慎太郎
(1838〜1867)
22才の頃、故郷の安芸群で飢饉となったときのこと、
家老宅の門前に座り続け、備蓄米を放出してもらうなど、
農民を困らせないようにすることを使命とし、
大庄屋の長男として生まれても、そのような貧しい人々を助けるという
誠実で篤実な人柄は、やがて国家の救民思想へ育っていったのである。
幼少時からの抜群の秀才ぶりは、後に、龍馬という馬の手綱を
ほどよくさばき、影の立役者を演じたのである。
・・・・・中岡さん、いつも厳しい姿勢で奔走し続け、あなたの
29才の生涯で一体どれだけの笑顔があったのでしょう。
こんな笑い顔のやさしい写真を残してくれたことは
せめてもの私たちにとっては救いなのです。
一時的にあの時、回復されたのであれば、生きて欲しかった。
あの時一体何が? 謎のままにはしたくなかった・・・。
墓前には、花が手向けられ、線香の香りが絶えません。
でも、でも、そうすることだけしかない口惜しさはわかってくれますか。
あなた方の死が どれだけ残念であったかは、
時がどんなに流れても消えることはないのです。