久坂 玄瑞

(1840〜1864)




彼を想う時、妙な懐かしさと親しみを感じるのである。
既に白黒画像の断片と、ヘルメット、機動隊とやりあう学生達の声が
ジグザグに脳裏に浮ぶだけとなってしまったが、今から数十年前の
学生運動盛んな頃、女子学生にまで至った血気盛んなパワーは、
今の学生達には考えられないかもしれないが、世の若者達があれだけ
良きにつけ悪しきにつけ、奮い立った時代は無かった。
きっと久坂の生きていた時も同様のものがあったのではないのだろうか。
団塊世代だからこそ、わかる気がしてならない。

高杉と並んで松陰門下の双璧とまで言われた彼は
(高杉は久坂の紹介で入門している)
同じ師にして、その教えを高杉とはいささか違った形で表すことにはなったが、
秀才過ぎたがゆえの柔軟性に欠けていたところもあったように思う。
その頭脳に少しでも隙があったのならば、尊攘派の段階で
死なせてしまうには惜しかった存在である。
真面目で律義な一途さはどこか吉村虎太郎にも似ている。

明治の初め、西郷隆盛は“今生きておったなら私などはこんな大きな顔をして
政府の高官面はしておれない”と長州人に会う度言っていたという。


行かんとすれば東山
峰の秋風身にしみて
朝な夕なに聞き慣れし
妙法院の鐘の音も
などて今宵は哀れなる・・・


七卿を伴い、その先頭を西下する
久坂の涙の後ろ姿を、雨がかき消してゆく。




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