勝 海舟

(1823〜1899)




勝先生のお父上、小吉さんを私は大好きです。
先生のお父様とは思えないユニークで破天荒な方でしたね。
でも、あのお父上あって・・・という気もするのです。
先生は貧しさもよく身をもって分かっていらっしゃった。
あの時代、幕臣というお立場にあっても、平等な開かれた
先見の考え方は、お父上の影響もおありだったのでしょう。

そして、1800年代を最後まで見続けられ、多くの若者が
散っていった、その全てを見届けられました。
それぞれ思想も、その行動も違いはあったにせよ、
若者達の国を想う気持ちは同じだったでしょう。
近代日本の礎を作る多くの優秀な若者達を
育て上げられた先生への感謝は申し上げるまでもないでしょう。


正面 斜め


洗足池(東京 大田区)の畔に眠る勝先生。
(石塔の向かって右側、左は奥方)
我が家からは車で10分程のところにあります。
来年は丁度没後100年にあたります。

明治32年(1899)1月25日、雪の降る寒い中
葬儀が行われ、その時 棺を担いだのは門人だった、
富田 鉄之助、湯地 定基、高木 三郎、奈良 真志の4人だったそうです。

この墓の(左の写真)一対の献灯が建ててあるが、
この4人が建てたものである。

もし龍馬が、この時健在であったのなら
この中に龍馬の名前も入っていたに違いない。


東西はなればなれであったが、龍馬への気持ちはひとしおで、
龍馬亡き後、15年経っても20年経っても
海舟は折りにふれ、龍馬を想い、漢詩を送っている。

生涯その気持ちは深まるばかりであったろうと、
この墓参の折りに龍馬の写真を墓前に掲げて参りました。


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