夜明け近く、アルファルファとアンジェリウム夫人とその娘は、前日の夕刻に辿り着くはずだった村に着いた。

 結局、昨夜の乱戦で、味方の従者をすべて失ってしまった。アルファルファ自身も、左肩に浅いとはいえない傷を負っており、早急な手当てを必要としていた。

 三人は宿に部屋を取ると、すぐに村の治療師を呼び寄せた。アルファルファの肩の傷は治療されたが、傷がふさがるまではしばらくかかりそうだった。

 治療師は規定の支払を受け取ってから、部屋を出ていく。

 「私一人で、あなたたちを護衛するのは不可能です。ここで、何人か人を雇わなくてはならないでしょう……」

 これは、あまり褒められた方法ではないと、口にしたアルファルファ自身も知っていた。誰が敵で、誰が味方か解からない状態で、いったい誰を信用しろというのだ。敵側の人間を雇ってしまわないとも限らないではないか。

 「私に、もっといい考えがありますわ」

 アルファルファは驚いて、アンジェリウム夫人の顔を見つめた。

 「つまり、私達がクルカの貴族だと解からなければいいのでしょう。狙われているのは、アンジェリウム卿の娘なんですから。身分を偽ればいいのです」

 驚いているアルファルファの顔を見つめながら、アンジェリウム夫人はおかしそうに笑う。

 「例えば、こんなのはどう思います。あなたは、クリムヒルトの貿易商、アルフレッド・ヒルトブラッド。私は、その妻ジュリア。私達親子は、娘を魔術学校に入学させるため、アリアトリムへの旅の途中ということにするのです」

 あっけにとられていたアルファルファは、立ち直ると、すぐに彼女の考えに反対した。

 「だめです。危険ですよ。これは遊びではないのですから」

 「私も、遊んでいるつもりはありません。考えてみて下さい。今までのように、おおげさな貴族らしい方法で旅を続けたら、余計狙われるのではありませんか。ここは、敵の意表をつくのも、ひとつの方法だと思います」

 「確かに、そうかも知れませんが……。私は人間にはなれませんよ」

 「あなたの言葉は、それほどエルフ訛りがきつくありません。ですから、その耳を隠せばなんとかなるのではありませんか。それに髭を生やせば。エルフには、そう言う習慣はないのでしょう」

 アルファルファは溜息を付いた。

 「ええ、確かに。本当に、エルフについてよくご存じですね」

 「衣服や付け髭は、後で私が買ってきます。幸い、お金だけは持ってくることができましたから」

 昨夜の襲撃で、アンジェリウム夫人が持ってきた荷物はほとんど、馬車と一緒に焼けてしまっていた。とっさに財布だけでも持ち出せたというのは、さすがに商人の娘というべきか……。

 アルファルファは突然あることが気になり始め、アンジェリウム夫人に尋ねた。

 「ジェシカ様、あなたの考えた偽名のことですが」

 「あれは、私の父の友人の名前です。ここで彼の名を使っても、迷惑にはならないと思います。それから、私のことはジュリアと呼んでください」

 アルファルファがそれを聞き、戸惑っていると、またアンジェリウム夫人は笑った。

 この人は、この状況を楽しんでいるんじゃないか。

 アルファルファはそう考え、何となく不安を感じていた。

 「あら、メアリー。何を持っているの」

 今まで無言だったメアリーは、鏡台に備え付けられていた小刀を手に持ち、何やら真剣な顔でそれを見つめていた。

 やがて、意を決したように自分の髪に手をやると、右手の小刀でばっさりと髪を切り落としてしまった。

 「メアリー、なんてことするの」

 母親が悲鳴に近い声を出しても、彼女はまったく動じた様子も見せず、二人の大人たちに微笑んでみせた。

 「私は、アルフレッド・ヒルトブラッドの息子、ジョニーよ」

 アンジェリウム夫人は娘に近づくと、切られてしまった髪に触れ、悲しそうな声を出す。

 「どうして……大事な髪を」

 彼女は母親ほど、自分の髪に未練は無いようだ。メアリーは、明るく笑いながらこういった。

 「狙われているのは赤毛の女の子で、赤毛の男の子じゃないんでしょ」

 

 三日後、アルファルファの肩の傷が順調に回復しているのを確かめた後、三人は今までの衣装を捨て、新たな役割に相応しい物に着替えて村を出た。

 アンジェリウム夫人は、今まで着ていたような絹の服ではなく、綿製の、緑色に染め上げられた比較的地味な服を着ている。

 メアリーも、子供用の短衣に乗馬用の洋袴、膝の下までくる丈夫な長靴を身に付けていて、見かけだけは少年に見えるようになった。

 アルファルファ自身は、鎧を外して外套を着込み、風防を頭に被せることでその特長的な尖った耳を隠していた。念を入れて、変装用の口髭まで付けていた。アルファルファは、この格好をあまり気に入っていなかった。口髭をつけた途端、メアリーに大笑いされ、自分がどうしようもない道化者のような気がして仕方がなかったのだ。

 三人は二頭の馬に分れて乗り、街道沿いを進んでいた。馬車を含めた大所帯に比べれば、こちらの方がずっと身軽で、旅の速さも問題にならないくらいに速かった。

 ここでもまた、メアリーがわがままを言い、彼女はアルファルファの馬に同乗していた。彼女の口数が少ないのが気になって、アルファルファが尋ねる。

 「どうなさいました。気分でも悪いのですか」

 彼女は上半身をひねって、アルファルファの方を見た。

 「私はあなたの息子よ。普通、父親は息子に対して、そんな丁寧な言葉は使わないと思うけど」

 「揚げ足を取るようですが、あなたの言葉だって、男の子の話す言葉とは思えませんよ」

 メアリーは顔をしかめる。

 「そうね。口調を変えるのって、とても難しいわ。だから、なるべく喋らないようにしているの。でも、口の聞けない魔術師候補生なんて、いるのかしらね……」

 「それほど、神経質になることもないと思いますが。アリアトリムまで、今日を含めてあと三日だけ、敵を騙せればよいのです。なるべく、人と接しないようにすれば、正体がばれることもないと思いますよ。それに……」

 アルファルファはメアリーの耳もとに口を近付け、小声で言った。

 「あなたのお母様は、見かけによらず芝居が上手です。あの方に任せておけば、心配ありません」

 これを聞いたメアリーは、くすくす笑いだす。

 結局、この一見馬鹿げた素人芝居は、うまく相手の目をくらませたようだ。これから二日の間、彼らがオークに襲われることはなかったのだから。

 

 アルファルファたちがクルカを出てから八日目、何事も起こらなければ、その日の日没前にはアリアトリムに到着できるはずだった。

 三人は旅の終わりを間近に迎え、足取りも軽く、アリアトリム目指して馬を進めていた。その日の夕刻までは。

 広い草原を夕陽が赤く染め、アリアトリムの外壁が小さく見え始めた頃、彼らの行く手を阻むように、馬に乗った男が一人、待ち構えていた。

 アルファルファは相手の様子に、何か尋常でないものを感じ、馬を止めるとメアリーを降ろしてアンジェリウム夫人に任せ、自分は剣を鞘から引き抜くと、男の方へゆっくりと馬を進めていった。

 男の顔は見覚えのあるものだったが、アルファルファは別に驚きはしなかった。この男は、クルカのアンジェリウム家の屋敷に忍び込んできた男だった。

 「下手な変装だな、エルフ。そいつはもう無駄だぜ。外しちまえよ」

 アルファルファは肩をすくめると、外套を脱ぎ、付け髭を外して地面に落とした。そして、人間離れしている相手の顔を睨み付ける。

 「今日は、オークの襲撃は無しか、グリグス」

 男は大声で笑った。

 「まあな。奴らは、日の光に弱いんだ。それに、お前のことが嫌いなんだとさ。お前は、ずいぶん大物らしいな、メリアセリアスのアルファルファ。ちょいと調べさせてもらったぜ。雇い主は、お前の名を聞いて、酷く驚いていた。あの男に言わせると、お前は墓の中にいなくちゃならん存在なんだとよ」

 アルファルファは眉を上げてみせる。

 「なるほど。今ほど、自分が場違いな存在だと思ったことはないな。大体想像はつくが、お前の雇い主とやらは、いったい何者だ」

 「てめえで考えろよ、エルフ。その頭が飾り物だってんなら、教えてやらんこともないが」

 アルファルファが死んだと誤解しているような人物は、一人しかいなかった。

 「……ソルカム・ダカ・イーグラか。居場所も教えてくれないのだろ」

 「墓にはいる奴に、必要のある情報とは思えんな。さあ、お喋りはこのくらいにしようぜ、エルフ。俺は、借りを返しにきたんだ」

 男はゆっくりと剣を引き抜いた。どうやら、戦うより他はないらしい。

 男は馬に拍車をかけ、アルファルファ目掛けて突進してきた。擦れ違いざまに打ちかかってくる相手の剣を、アルファルファは自分の剣で押し留めた。

 高い金属音を残して弾かれる剣。グリグスは、馬の速度を落とすことなく、アルファルファの脇を通り過ぎる。アルファルファは巧みに馬を反転させ、グリグスの馬に追いすがる。

 グリグスはアルファルファが追ってきたのを知り、速度を落としてアルファルファの馬の横につけた。しばらく並走しながら、二人は剣で打ち合いを続ける。

 互いに有効打を得られぬまま、走り続ける。これではらちが開かぬと思ったアルファルファは、唐突に自分の馬の足を止めた。グリグスは距離を置いた所で馬を反転させ、アルファルファと向かい合う。

 二人は申し合わせたように同時に走り始めた。擦れ違う一瞬、両者の剣が相手の身体を求めて振り降ろされる。

 アルファルファの剣の方が、わずかに速かったようだ。剣はグリグスの金属製の胸当てを強打し、その身体を馬の上から叩き落としてしまった。

 アルファルファが振り返ると、グリグスはもう立ち上がっていた。どうやら、落ちた瞬間、受け身をうまく取っていたらしい。落馬による怪我はなさそうだ。

 アルファルファは馬から降りると、慎重な足取りでグリグスに近づいた。

 相手は酷く驚いた様子で、アルファルファを見返している。

 「どうして、馬を降りたんだ、エルフ」

 「お前は卑怯な手段を使わなかった。こちらもフェアなやり方で戦いたい。そう思っただけさ」

 「……おかしな奴だ。後悔するぞ」

 グリグスはそう言い放つと、剣を振り上げ、アルファルファに打ちかかってくる。アルファルファはそれを両手で握った剣で逸らしつつ、左へ身体を運ぶ。

 グリグスはその動きに付いてゆき、鋭い突きを何度か放った。アルファルファは踊るような滑らかな動きで、その突きをやすやすとかわしていった。

 グリグスは襲撃の夜と違って、重い金属製の鎧を身に付けていた。そのせいか、以前より身体の動きに鋭さが足りないように、アルファルファには思えた。

 アルファルファには、相手の苛立ちが手に取るように解かった。相手の荒い息遣いや、けわしい顔つきから、相手の焦りを読み取るのは容易いことだ。

 アルファルファは相手のちょっとした隙を見つけだすと、相手の利き腕に剣を振り下ろした。そこは鎧の小手に守られていたのだが、剣を取り落とさせるには十分な一撃だった。

 アルファルファは睨み返してくるグリグスの咽元に、自分の剣の切っ先を突き付ける。

 「もう、無駄なことはよせ、グリグス。いささか、相手が悪かったようだ」

 「いっそ殺しちまったらどうだ、アルファルファ。後腐れがなくていいぜ」

 アルファルファはその返事を聞き、溜息を付いた。

 「似たような言葉を他の男から聞いたことがある。そいつも確か、傭兵だった。グリグス、お前はソルカムにいくらで雇われた」

 グリグスは不思議そうな顔をして、アルファルファを見つめた。

 「金貨三百枚。だが、それがお前に、どんな関係がある」

 「明日の夜明けまでここで待っていてくれないか。金貨五百枚で君を雇おう。アリアトリムに知人がいるんだ。彼女が用意してくれるだろう。本当はあまり、あの人には借りを作りたくないんだが」

 「いったい何の話しをしているんだ」

 アルファルファはにやりと笑う。

 「言葉通りだよ。僕が君を雇おうというのさ。傭兵は、金で雇えるものだろ」

 アルファルファは相手の落とした剣を拾い上げる。

 「一晩、考えてみてくれ。それで嫌だというなら仕方がない。明日の朝、また相手になるよ」

 グリグスは無表情にアルファルファを見つめていた。

 「悪いけど、これは明日の朝まで預かっておくよ。背中から切られちゃ堪らないから。それに、これは僕の勘だけれど……君は短剣のほうが得意なんじゃないか」

 アルファルファは笑いながら自分の馬に戻っていく。グリグスはその場に動かず立ちすくんでいた。

 アルファルファは心配そうに待っているアンジェリウム夫人のもとに戻ると明るい調子でこういった。

 「さあ、いきましょう。アリアトリムは、すぐそこですよ」

 

 魔術師組合の受け付けで長いこと待たされた後、アルファルファと親子は受付の横にある一室に通された。これは魔術師学校の入学手続きにはないはずで、アンジェリウム夫人を酷く不安にさせていた。

 アルファルファは壁に施されている浮き彫りを目で追いながら、まだしばらく待たされるのだろうかと、うんざりしながら考えていた。

 しかし、その心配もそれほど必要なものではなかったようだ。アルファルファが右側の壁をすべて調べ終わるころに、部屋の扉は開かれた。

 中に入ってきた人物を見て、アルファルファとアンジェリウム夫人は、少し驚いた。やってきたのはなんと、“青”の導師だったのだ。

 「あら、驚いた。アルファルファ、どうしてあなたがここにいるの。まさか、あなたが入学志願者ではないわよね」

 アルファルファは溜息を付いた。顔を合わすなり、いきなりこれだ。こんなことを気にする自分にも問題があるが、いちいち思いださせる彼女のひねくれ方もたいしたものだ。

 「違います。僕は、彼女たちの護衛をしてきたのですよ。色々事情がありまして」

 「それは残念ね。今からでもいいわ。あなたも魔法を学ばない」

 「結構です」

 アルファルファが短くそう言うと、ファラドーラスはそれ以上、アルファルファをからかうのはやめた。

 ファラドーラスはアンジェリウム夫人の方を見ると、にっこりと笑う。

 「久しぶりね、ジェシカ。何年ぶりかしら」

 「九年ぶりです、ファラドーラス師」

 ファラドーラスは笑いながらうなずいた。

 「そうね、九年前よ。あの笑顔の素敵な野蛮人があなたをさらっていったのは。それで、魔法より素晴らしい夢とやらは見つかったの、ジェシカ」

 「……ええ、そう思います」

 「本当に。戻りたかったら、いつでもいいのよ。男になんか、気を使う必要はないわ」

 「いいえ、ファラドーラス師。私、幸せですわ」

 そう言いながら、アンジェリウム夫人はメアリーの頭を優しく撫でていた。

 ファラドーラスはしゃがみ込むと、メアリーの顔をまっすぐのぞき込む。

 「これがあなたの娘ね。名前はなんというの」

 メアリーは少し戸惑っていたが、はっきりとした声で答えた。

 「メアリーです。あなたが、“青”の導師なんですか」

 「ええ、そうよ。もしあなたが召喚術を学ぶことにすれば、私はあなたの先生になるわ」

 ファラドーラスは立ち上がると、メアリーの短く切られた髪に触れた。

 「こういう髪形も素敵ね。私も、真似しようかしら。長い髪は、本を書くとき邪魔だし、夏になるとうっとうしいから。でも、アスニールは嫌がるかもね」

 アスニールはファラドーラスの夫の名だ。女性が短髪にすることは、人間にもエルフにも珍しいことだったから、アルファルファとアンジェリウム夫人は彼女の言葉を聞いて驚いた。もっとも、メアリーだけは、自分の髪形を褒められて喜んでいたが。

 「メアリー。あなたの入学は認められました。提出された書類に問題もないし、身元もしっかりしているから。これからは、あなたの努力次第よ。明日、あなたがどの方面に適性があるか判定します。その結果を考慮して、あなた自身が何を目指しているのか、考えるようにね。外に、“青”の師範がいますから、彼に部屋へ案内してもらいなさい。一人でも平気ね、メアリー」

 「はい、“青”の導師」

 ファラドーラスはメアリーに微笑んで見せた。

 「よろしい、魔術師見習。では、お母様に挨拶をして。夏の休暇までは会えませんからね」

 メアリーがうなずくと、アンジェリウム夫人はしゃがみ込んで、自分の娘を抱きしめた。メアリーは母親のほほに軽く接吻する。

 「メアリー、途中で投げ出しちゃだめよ。弱音を吐いても、迎えにはこないから」

 「ええ、お母様。でも、お父様のように素敵な人が見つかったら、私もついていってしまうかもしれないわ」

 アンジェリウム夫人は笑いながら、娘の額に口付けする。

 「よくよく考えてから。その時は手紙くらいだしてね」

 母親が抱擁を解くと、メアリーは“青”の導師に御辞儀をしてから部屋を出ていった。

 「ふう。これで、僕の役目も終わりましたね。ファラドーラス、妖魔担当の“赤”の魔術師と話しがしたいのですが。ソルカムは、クルカでまた、悪事を働いているようです」

 「知っているわ」

 アルファルファは眉をよせる。

 「僕が言おうとしている事もですか」

 「ええ。大体は。ひょっとしたら、それ以上かも」

 アルファルファは微笑んだ。

 「それなら、話しは早い。さっそく、取り次いでください」

 「その必要もないのよ。そろそろ、来るはずだわ。こちらに来る途中で、声をかけておいたから……」

 その時、部屋の扉が静かに開き、一人の魔術師が入ってきた。白髪交じりの黒い髪、謎めいた光を湛える漆黒の瞳。そして、彼の着ている長衣が、彼の身分を誇らかに語っていた。

 「こんにちは、メリアセリアスの勇者殿。私は、エドウィン・サクソール・オーウェル、“赤”の導師。お見知りおきを」

 「こちらこそ、“赤”の導師。お会いできて光栄です」

 アルファルファは少しためらったあと、右手を差し出した。“赤”の導師は微笑みながら、握手をする。

 「到着が遅れていたので、心配していた。ちょうど、捜索隊を編成しているところだったのだ」

 相手の言葉を考えた後、アルファルファは驚いて大声を出す。

 「ぼくたちがアリアトリムに向かっていることを知っていたのですか」

 “赤”の導師は口許に笑みを浮かべる。

 「妖魔たちのクルカにおける不穏な動きを捕えたのが、ちょうど十日前だった。奴らの目的を知ったのが、五日前。その時には、もう君たちはクルカを離れていたから、警告を与える暇がなかった」

 「なぜメアリーが狙われているのか、ご存じなのですね」

 「彼女は、“シャルビーナの指輪”の継承者なのだよ」

 アルファルファは、その指輪のことを知らなかった。ソルカムは、それを狙っているのか。いったい、どんなものなのだろう。

 アルファルファが“赤”の導師に質問をするよりも先に、ファラドーラスが話し始めた。

 「ジェシカ、あなたのお母様も、魔術師だったのでしょう」

 「はい、ファラドーラス師。“緑”の魔術師でした。それが何か」

 「あなたはお母様から、指輪を受け取ったはずよ。そして、それを娘のメアリーに譲った」

 「ええ。確かに。母からもらった指輪を、メアリーが五歳の誕生日を迎えたとき、プレゼントしました。でも、あの子には大きすぎて、指にははまりませんから、今でも私の縫ってあげた小さな袋にいれて、身に付けているはずです。でもあれは、ただのプラチナ台のアメジストの指輪で、なんの魔法もかかっていなかったはずです。台座には魔法文字が彫り込まれていましたけど」

 「あの指輪の製作者についての記録は残っていないわ。指輪の構造を研究した“紫”の魔術師は、あの指輪が“ダ=ライの両目”に酷似していることを発見したの。恐らく、製作者が同じなのでしょう。二つには構造のほかにも共通点があるの」

 アルファルファはその共通点に思い当たり、小声でつぶやく。

 「常態で、魔力を発しない……」

 ファラドーラスは口許に笑みを浮かべ、妙な目つきでアルファルファをみる。

 「当たりよ。やっぱりあなた、職を間違えたのよ」

 「もうよしてくださいよ。たまたま、覚えていただけなんですから」

 「そうでしょうね。でも、その記憶力が、魔術師には大事なの……、はいはい、もう言わないから睨まないでちょうだい、坊や」

 アルファルファは、大きな溜息を付いた。彼女が今の約束を、何時間覚えていられるか見物だ……。

 「つまり、あなたがあれをただの指輪だと思いこんだのも無理はないわけ」

 「でも、ソルカムはそれをどうやって知ったのです」

 アルファルファの質問に、二人の導師は顔を見合わせた。無言で何らかのやり取りがあったあと、“赤”の導師が答えた。

 「サリアノースの事件を、君は知っているだろう。あれは君の手柄だったからな。あの盗賊団が盗んだ物の中に、“紫”の魔術師の書いた重要な研究報告書が含まれていたのだ」

 「それは……市場に出回るものではありませんね。被害を受けたのは、ほとんど全部、商人でしたよ。そういう大事な書類が、どうして組合の外に出回るんですか」

 “赤”の導師は顔をしかめた。なにやら、口にするのをためらっている様子。“青”の導師に促されて、ようやく口を開いた。

 「……内輪の恥をさらすようで、心苦しいのだが。組合のサリアノース支部で、書物の横流しがあったのだ。事件が発覚した後、全力で回収につとめたのだが……。行方知れずになった書物も多い。奪われた研究報告書には、魔術師の力を高める類の媒体について、かなり克明に記されていたらしい」

 力を高める。ソルカムの狙いはそれなのか。アルファルファはにやりと笑う。自分はそれと知らずに、ソルカムの邪魔をしていたらしい。結局、今回は、ソルカムの目的は達せなかったわけだ。この事実は、アルファルファの気分を大いに沸き立たせた。

 しかし、これで、ソルカムが本気でダ=ライを復活させようとしているのが解かった。処女の血、そして、“シャルビーナの指輪”。いずれも、魔力を増幅するために使われる。今回は、確かに相手を出し抜いたのかもしれない。だが、もし、他にもこの指輪のように魔力を高めるような魔法の品があったとしたら……。

 「指輪は、これひとつなのですか。それとも……」

 「“シャルビーナの指輪”は、ひとつだけではないわ。記録では、同じ形、構造、働きを持つものが七つ、確認されているの。ひとつひとつは、それほど強力ではないのよ。でも、六つ以上がひとつの場所に集まると、突然、強力な魔力を得られるようになるらしいの。いったい、どうしたらそんなことになるのか、“紫”の魔術師にも解からないらしいわ」

 「他の指輪の所在は解かりますか」

 ファラドーラスは、首を横に振る。

 「まったく解からないわ。どうも、全国に散ってしまっているらしいのよ。さっきも言った通り、魔力を放たない物だから、宝石商の間を行ったり来たりというのが現状よ。メアリーの指輪を妖魔が見つけだせたのが不思議なくらいだわ」

 つまり、指輪集めは運次第、そう言うことなのだろうか。“シャルビーナの指輪”は、メアリーのを除いてあと六つ。力を発揮するには六つで十分らしい。

 すると、本気でソルカムを邪魔するなら、少なくてもあと一つは、指輪を見つけなくてはならないのだろう。

 「何か手掛かりはありませんか。指輪を見つけるための」

 「指輪を探すつもりね、アルファルファ。アルミラから聞いたわよ。あなたが、復讐心で凝り固まっているって」

 「止めるつもりでしたら、先に言っておきますよ、ファラドーラス。僕に何を言っても無駄ですからね。いくらあなたの言葉でも、このことだけは譲れません」

 ファラドーラスは、むきになるアルファルファを見て、おかしそうに笑った。

 「止めやしないわよ、アルファルファ。男の子は、それくらい元気がなくちゃいけないものね。けど、女の子に優しくするくらいの余裕がなくちゃ。アルミラは、可哀相に、とてもふさぎ込んでいたわよ」

 「……確かに、彼女には言い過ぎたのかも知れません。でも、彼女を危険なめに会わすわけにはいかないんだ……」

 ファラドーラスは少し真剣な顔をして、アルファルファに忠告する。

 「なんでも一人でやるわけにもいかないでしょ。二人でやったほうが容易いことだってあるのよ。助けを求めることを恥ちゃいけないわ。一人でやせ我慢して、挙げ句の果てに自滅するほうが、よっぽど愚かだもの」

 「……年長者の意見は聞くものですよね」

 ファラドーラスはアルファルファの皮肉に顔をしかめる。

 「年長者はよけいよ、アルファルファ。高々七十年の違い、一世紀にも満たないわ」

 アルファルファが佗びを言うと、ひとくさり嫌味を言ったあと、ファラドーラスは微笑んだ。

 「指輪を探すのは、いい手だと思うわ。けど、魔法を学んでいない者に、見分けはつかないでしょうね。だから、有能な助手を付けてあげるわ。これも魔法を学ばなかった報いだから、観念するのね」

 ファラドーラスは、部屋の外で待っていた人物に、入って来るように声をかけた。

 アルファルファが彼女の言葉の意味を考える暇もなく、扉は開かれ、紫の長衣を着た女性が一人、部屋に入ってくる。

 「……アルミラ……」

 「そう、アルミラ・リジュアス、“紫”の魔術師。魔法の品々を扱わせたら、メリアセリアスでニ番手位ね。もちろん、一番手はあなたの母さん、ファリナよ。さあ、アルミラ、こっちにいらっしゃい」

 アルミラはゆっくり、部屋の中央にやってくる。そして、挑むように、アルファルファを見つめた。

 アルファルファが口を開きかけると、彼女はそれを遮った。

 「謝らないで。私も、謝らないから。お互い忘れましょう。あの時は、感情的になり過ぎてたわ。二人とも……冷静じゃなかったのよ」

 「僕は……」

 今度はその言葉を、ファラドーラスが遮った。

 「だめよ、アルファルファ。あなたには彼女の助けが必要だわ。彼女は一人前の魔術師で、一人の大人の女性よ。あなたの考えを強制することはできないわ。もし、彼女を連れていかないつもりなら、ソルカムは諦めるのね。他の魔術師たちは、あなたに手を貸さないわよ。多分ね」

 そう言って彼女は、“赤”の導師に目配せする。“赤”の導師がうなずくのを見て、アルファルファは絶望的な気分になった。

 まったく馬鹿げている。他人に考えを押しつけているのは、ファラドーラスの方ではないか。アルファルファは内心そう思ったが、口には出さなかった。長年の経験から、このような抗議が彼女に受け入れられないのを知っていたからだ。

 「……よろしく頼むよ、“紫”の魔術師」

 アルファルファが差し出した右手を、アルミラは溢れるような笑みを浮かべながら、握り返す。

 「こちらこそ、メリアセリアスのアルファルファ」

 

 翌朝、アルファルファとアルミラ、アンジェリウム夫人の三人は、クルカへの帰路についた。

 アルファルファは、アルミラの横に馬を運ばせ、彼女の美しい横顔に見入っていた。突然、その顔が、サリアノースで死なせてしまった女性、ダイアナの物に重なり、アルファルファは息を飲む。

 アルファルファは激しく頭を振り、その幻影を振り払う。彼女を死なせやしない。これ以上、親しい人を失うのはたくさんだ。

 そう思ったものの、アルファルファにはアルミラを守りきる自信はなかった。いくら、指輪探しに必要だからと言って、彼女を危険な目にあわせるわけにはいかない……。

 アルミラはアルファルファのほうを向き、目を細めて彼の顔を見つめる。

 「また、考えても仕方のないことで悩んでいるのね。笑ってごらんなさい。その方があなたの顔は見栄えがいいの、あなた自身も知っているでしょ、アルファルファ」

 「……やっぱりだめだ、アルミラ。君はアリアトリムに戻るんだ。わざわざ、争いごとの中に跳びこむ必要はない。それは、愚か者のすることだよ」

 アルミラは笑いながら首を横に振る。

 「あなたは解かっていないわ、アルファルファ。いつか私、あなたに言ったことがあるわよね。私は幸せになりたいのよ。私にとっての幸せというのは、私を必要としている場所に、私がちゃんと存在していることなの。その場所と言うのが、今はたまたま、あなたの側なのよ。あなたは、私の幸せを奪うつもりなの」

 「そんなつもりはない。だけど、僕は……君のことが心配なんだ」

 アルミラはこれを聞き、少し真剣な顔つきになる。

 「それはお互い様よ、アルファルファ。あなたはひとつのことを考えだすと、途端に視野が狭くなるんですもの。あなたには助手が必要よ。二つの目で見るより、四つの目で見る方が視界は広がるわ。一つの頭で考えるより、二つの頭で考えるほうが、新しい手段を見つけやすいの。それに……一つの心で悩むより、二つの心で悩んだほうが苦痛は少ないと思うわ。だから……帰れなんていわないで」

 アルファルファはもう何も言うことができなかった。彼女の決心は硬く、どんな脅威も彼女を挫けさすことはできないだろう。そう思うとアルファルファは、アルミラの心の強さが羨ましくなっていた。

 アルファルファは彼女の顔から目をそらすと、まっすぐに西に延びる街道を目で追った。この先に、ソルカムがいるのかと思うと、不思議と心が高ぶってくる。

 ソルカムとて全能ではない。一度はソルカムを出し抜けたのだ。うまく立ち回れば、この次も。そして、いつかは……。