路上の闘士

 

 デニス・クロウディアから吹き付ける風も、春の訪れと共に、その厳しい冷たさを失っていった。陰欝に空を覆っていた雲も、温かな日差しが蘇るにつれ、ウィドラ・ウルスの平原を渡ってきた東風に吹き払われていく。

 メリアセリアスに生活する者すべてが待ち望んでいた春が、再びめぐってきたのだ。エルフの戦士、アルファルファもそれを待ち続けたひとりだった。

 冬の始め、サリアノースでガルベールから受けた傷も、ようやく癒えた。昨日やっと、治療師から、肋骨を固定していた包帯を外すことが許されていた。折れた骨はつながっていたが、まだ患部には鈍い痛みが残っている。それでも、普通に旅をするには問題ないくらいには回復していた。

 治療師の許しが得られたことで、アルファルファは今日にでも、メリアセリアスを立つつもりでいた。この麗しき故郷は、余りに居心地が良すぎる。アルファルファは、一日経つ毎にここから離れがたく思うようになり、自分の決心が鈍りそうになるのを恐れていた。

 アルファルファの決心とは、クルディストリドの妖魔、ソルカム・ダカ・イーグラを倒すことであった。この名前は、昨年のフサ−メリアセリアス戦争から、アリアトリムの魔術師たちの間でよく囁かれるようになったものだ。

 ソルカムはレアクリースの各所で様々な陰謀を巡らしていた。メリアセリアスで過ごしていたこの二箇月の間でさえ、アルファルファの耳にも三度ほど、この妖魔に関する不穏な噂が届いていたのだ。

 彼の妖魔が“ダ=ライの右目”を持ち去って以来、“赤”の魔術師たちは執拗な捜索を行なってきたが、大きな成果を上げたことは一度もなかった。ソルカムの狡猾さは、戒律の守り手たちの力を完全にしのいでいる。

 もうこれ以上、アリアトリムに任せたままではいられない。自分の腕の中でダイアナが死んでゆくのをみた時から、アルファルファはこの手で、ソルカムを始末すると決心していた。

 アルファルファは、背嚢の中に、旅で必要になる装備を詰め込んでいった。水と食料は、出発するとき調理場から持ち出せばいい。そう思いながら、剣帯を手に取ろうとして、それが必要のない行為であるのに気がついた。剣はガルベールに折られてしまったのだ。折れた剣を腰に吊ったところで、戦闘には何の役にも立たない。

 どこかの街で、腕のいい刀鍛冶に打ち直してもらわなければ。もし可能ならば、だが。

 剣は馬の鞍に括り付けていくことにして、腰には短剣だけを吊った。石弓がちゃんと動くかどうか確認してから、背嚢の傍らに置いた。太矢の数を数え、矢じりの鋭さを確かめた後、それも床に置いた。

 そこまで終えた時、部屋の扉が叩かれた。アルファルファが、どうぞ、と言うと、扉が静かに開かれ、幼なじみのアルミラが部屋に入ってきた。

 彼女は床に置かれた背嚢や石弓に目を留めた後、口を開いた。

 「傷が治ったって聞いていたけど、本当のようね。また、旅に出るつもり」

 アルファルファはうなずいた。サンダルを脱ぎ、長靴に足を突っ込んでから、しっかりと紐を結ぶ。

 「一度目は、ソニアを守るため。二度目は、ソニアを忘れるため。そして今度は、妖魔に復讐するため。すべては、去年の春が発端よ……」

 「君には関係ない。これは、僕の問題だ。誰にも、口出ししてもらいたくないな」

 アルミラは顔を伏せた。右足の爪先で、床を擦っている。彼女は溜息をついてから、再びアルファルファを見つめて話しだした。

 「あなたは変わってしまったわ。サリアノースで何があったのか、私は知らない。でも、これだけは解かるのよ。あなたは血に餓えている。復讐と言う甘い香りに引き寄せられて、ソルカムの首筋に歯を立てることを望んでいるのよ。昔は、そんなじゃなかったわ。いったい、何があなたを変えてしまったの」

 アルファルファは答えなかった。自分の中の何かが、変わってしまったのは知っている。自分は冷酷になったのかもしれない。ガルベールの咽を掻き切って以来、人の死にそれほど衝撃を受けなくなっていた。こういった感情の欠落は、戦士にとってはかなり有益なものだ。残忍な妖魔を追い求める猟犬になろうという今、この変化は歓迎すべき物といえる。彼女の言う通り、自分は復讐の香りに酔っているのだろう。

 それが、どうしたと言うのだ。この冷酷さが他人の目にどう映ろうと、構わないではないか。優しさが、妖魔を打ち倒すのに何の役に立つというのだろう。右のほほを打たれたから、左も出すなどという芸当は、自分には到底できないだろう。妖魔は最後に、命を含めたすべてを差し出すように命じるだろうから。それも、自分だけならまだ耐えられるかもしれない。だが、家族や友人にまで危害が及ぶとなれば、話しはまったく違うものになる。

 アルファルファは皮肉な笑みを口に浮かべた。今更、もとの自分に戻れはしない。どんな魔法を使ったとしても、過去の記憶は消せはしないだろう。それに、人の価値観は、積み重ねてきた経験によって形成されて行くのだから……。

 「君は、わざわざそんなことを言いにきたのかい、アルミラ」

 「……いいえ。私、アリアトリムに行くことになっているのよ。魔術師の承認試験を受けるためにね。もうすぐ迎えが来るの。それで、あなたのお母様、マリナス師補に出立のご挨拶を。あなたのことも心配だったから」

 マリナスと言うのは、アルファルファの母、ファリナの魔術師名だ。アルミラはこの村で、母から魔術師の基礎課程を学んでいたが、この冬の間に無事修業を終えた。魔術師として認められるには、導師の資格を持った試験官立会のもとでの、承認試験に合格する必要がある。それを受けるために、彼女はアリアトリムに出頭しなければならないのだ。

 「いよいよ、魔術師になれるのか。小さいころからの夢だったからね。頑張っておいで、アルミラ。健闘を祈っているよ」

 「ありがとう。でもね、アルファルファ。私の夢は、あなたと一緒にアリアトリムに行くことだったのよ。忘れてしまったかしら」

 アルファルファは顔をしかめた。

 「君まで、僕をそんな風に苦しめるのかい。ファラドーラスだけでも、僕にはかなりの重荷なんだよ」

 「苦しめるだなんて、そんなつもりはなかったわ。ただ、私の夢の半分は、永遠にかなうことはないんだなって……。笑ってちょうだい。子供じみた感傷だわ」

 アルファルファは、まだ自分が責められているような気がしていた。アルミラは無理に笑おうとしていたが、それがあまり成功していないため、余計にそう思ったのだ。

 「アリアトリムでは、素敵な男性が見つかるかもしれないよ。あそこには、レアクリース中のエリートたちが集まってくるんだ。君も、ずっと勉強ばかりしていて、気の抜く暇もなかっただろ。少し、肩の力を抜いてみたらどうかな」

 アルミラは、一瞬だけ酷く悲しそうな顔をしたが、すぐにいつもの無表情な仮面を被ってしまった。またうつ向いてから、そうね、と小声でつぶやいた。

 アルファルファは背嚢の紐を肩にかけ、石弓を肩にかついだ。

 「それじゃ、お別れだ。僕も、両親に挨拶をしてこなければ」

 「ねえ、アルファルファ。もう少し、出発を先に延ばせない。二週間もしたら、私はここへ戻ってこれるわ。私にも、何か手伝ってあげられることが、あるかもしれない」

 「いいや。もう待てないよ。動いていないと、気が滅入ってくるんだ。それに、君を危険な目に合わせるわけにはいかない。君のご両親も、そんなことを望んではいないだろう」

 この台詞は、アルミラを怒らせるのに十分な物だったらしい。彼女は目を細めてアルファルファを睨み付けると、冷たい声で彼を非難した。

 「自分だけが、大人になったのだと思い込んでいるの。それとも、女は親の言いなりにならねばならないと言う、暴力的な人間の考えに染まってしまったのかしら。まさか、あなたの口から、そんな言葉を聞くとは思ってもみなかったわ」

 アルファルファは即座に謝ろうとしたが、すぐに考えなおした。彼女を怒らせることで、自分についてこようという馬鹿な思い付きを捨てさせられるなら、結果的に自分が恨まれることになっても構わない。所詮、誰に対しても聖人でいることなど不可能なのだ。

 「さよなら、アルミラ。魔術師として成功することを、心から祈っているよ」

 彼女は答えなかった。アルファルファの顔を、じっと見つめている。アルファルファはいたたまれなくなり、逃げるようにして部屋を出ていった。

 アルファルファが彼女と、これほど後味の悪い別れ方をしたのは、後にも先にも、これ一度きりだった。

 

 アルファルファはクリムヒルトでの滞在を一日で切り上げると、さらに街道を東へ進み、クルカを目指していた。

 結局、クリムヒルトでは、折れた剣を直すことができなかった。刀鍛冶で尋ねたところ、使われていた鋼には特殊な焼きが入れられていたらしく、普通の打ち直し方では接合部の強度が落ちてしまうと言われたのだ。そこでアルファルファは、クルカのロジャー・ブラックスミスという鍛冶屋を紹介され、その人物を尋ねることにしたのだった。

 アルファルファは馬上でパンを齧りながら、剣を直した後の行動について考えていた。クルカからさらに足を延ばせばアリアトリムに達する。そこで“赤”の魔術師から、ダーク・エルフについての情報が得られるだろう。

 うまくすれば、組織へ忠誠心抜きで、アルファルファに手を貸してくれる魔術師が、一人位はいるかもしれない。今、是非とも必要なのは魔法の力だ。剣には剣で対抗できるが、魔法には手も足もでない。ソルカムが魔法を使えることは、追跡していた“赤”の魔術師が証言している。

 前方に小さく、土煙が舞っているのが見えた。よく目を凝らしてみると、金属が反射したような光が、ちかちかと瞬いて見える。

 アルファルファは手に持っていたパンを急いで口の中に押し込むと、手綱をきつく握り、馬速を上げてそちらに向かった。やがて、馬に乗った数人の男が見分けられるようになる。最初に想像した通り、そこで戦闘が行なわれていたのだ。

 アルファルファは口の中のものを飲み込んだ。右手を鞍の後ろにまわし、槍を結び付けていた紐を解いた。クリムヒルトで剣が直せないと解かったとき、アルファルファは数本の短めの槍を買い込み、馬の背中に括り付けておいたのだ。アルファルファは槍の中ほどをしっかりとつかむと、右脇に抱え込むようにして構えた。

 注意深く近寄りながら、争っている双方をよく観察してみた。人数は六人。三対三で争っていた。全員人間で、馬上戦闘の訓練を受けた者達のようだった。ひょっとしたら、どこかの貴族に仕えている騎士なのかもしれない。

 突然、乱戦の中から一騎だけ飛び出して、アルファルファの方へ走りだした。その馬には、小さな子供が乗せられているのに気がついた。その時、乱戦の中の一人の男が、大声で叫ぶ。

 「あの不埒者が逃げるぞ。取り逃がしてはならん。メアリー嬢をお救いするのだ」

 その声で、アルファルファにも、この争いの原因が解かった。どうやら、自分は誘拐の現場に出くわしてしまったらしい。

 アルファルファは、逃げようとする男の進路を塞ぐように、馬を操った。男はそれに気がつき、右に進路を変えながら、さらに速度を上げた。アルファルファもそれを追っていく。

 男の乗馬技術は、なかなかのものだったが、暴れる子供を余計に乗せているため、アルファルファを振り切ることができなかった。アルファルファは男に近づいたところで、相手に降伏を呼びかけた。

 「その子供を放してやれ。僕を振り切れやしない。無駄な抵抗はよすんだ」

 すぐに攻撃してこない相手をいぶかしく思ったのか、男は振り返ってアルファの顔をみた。相手がエルフだと知ると、男はアルファルファが聞いたこともないような悪態を次々と吐く。

 「なんで、エルフが邪魔をするんだ。お前にゃ、関係ないだろうが。とっとと、森に帰っちまえよ」

 「それは聞けない相談だな。子供がさらわれるのを、黙ってみてはいられない。しつこいようだが、降伏しないと痛い思いをすることになるぞ」

 男は馬速を少し弛めてアルファルファと並ぶと、右手で剣を振るい、アルファルファに切り付けた。アルファルファは上体を寝かしてそれをかわす。

 男はアルファルファが体制を立て直すすきに、速度を上げて少し距離を開いた。だがそれもアルファルファにすぐに詰められてしまい、中途半端な悪あがきに終わる。

 アルファルファは槍を構えると、相手の右肩を狙って巧みに突き出した。それは狙いたがわず男の肩を捕え、皮製の鎧を突き破る。男は苦痛に呻きながら持っていた剣を取り落とした。

 「今度は首筋を狙うぞ。さあ、死にたくなかったら止るんだ」

 男は観念したようだ。馬の手綱を引いて、馬を止めた。アルファルファは槍を突き付けながら男に命じた。

 「左手を手綱から放すな。少しでも、短剣に近づけたら、容赦なく殺す。子供に触れるのも厳禁だ。ゆっくりと、馬から降りろ。それから、手綱を放せ」

 男はアルファルファの指示通り動いた。男が馬を降りたところで、アルファルファは相手の馬の手綱を取り、男との距離を少し離した。

 男が一挙動で襲いかかれない距離まで来ると、アルファルファは馬を降り、子供も馬から抱え下ろした。

 「もう安心だよ。すぐに、お家に帰してあげる。怪我はないかい」

 少女は、アルファルファの顔を見て、少し驚いたような表情をしてから、ゆっくりとうなずいた。

 アルファルファは男を睨み付け、少女を背後に隠しながら、男に近づいていった。男は左手で、刺された右肩の傷を押さえていた。にくにくしげにアルファルファを睨んでいたが、反抗するつもりはないようだ。

 「アンジェリウム卿の雇った傭兵か。私は騎士だ。ハビヌニス条約に基づいた、捕虜の扱いを要求する」

 「その条約は知っているが、僕には約束できない。僕は、誰にも雇われていないんだ」

 男は苛立たしげに叫んだ。

 「なんだと。なら、なんで邪魔をするんだ」

 アルファルファは口許に笑みを浮かべた。

 「さっきも言っただろうに。子供をさらうなんて許せない。それだけのことさ。騎士の誓いや、怪しげな忠誠に比べれば、短純で健康的な動機だとは思わないかい」

 「お前は、馬鹿か」

 アルファルファは肩をすくめてみせた。

 先ほどの乱戦があったほうから、騎馬が一騎走ってきた。アルファルファは槍を構えて、馬がやってくるのを待つ。走ってくる男が、少女の名前を呼んだ。

 「メアリー様」

 どうやら、少女をさらおうとした男の味方ではないらしい。アルファルファは槍を下げると、少女と向き合った。

 「あの人は、君の知っている人だね」

 「ケストニック卿。お父様の、騎士の一人なの。あなたは、だあれ」

 「メリアセリアスのアルファルファ。クルカに向かう途中の旅人だよ。そうか。君の父上の騎士なら、安心だね」

 ケストニック卿は、アルファルファの傍らまで来ると、馬を降りた。怪我をしている騎士を睨むと、今度はアルファルファを見つめた。

 「ご助力、かたじけない。私は、ウォルター・ケストニック。アンジェリウム家に忠誠を誓うものだ。貴卿の名を、お聞かせ願えぬか」

 「メリアセリアスのアルファルファ。自由市民」

 「アルファルファ。確か、メリアセリアス軍総指令官の名もアルファルファだったと聞いている。もしや、貴卿があの」

 「終戦後、私は解任されました。再び戦が起こるまで、私の身分は自由市民です」

 アルファルファはそれだけ言うと、自分の馬に戻り、手に持っていた槍をもう一度、馬の背中に括り付けた。

 「できれば、クルカのアンジェリウム家の屋敷まで、ご同道願えぬか。それ相応のお礼もできると存ずるが」

 アルファルファは顔をしかめた。これ以上、貴族間の争いに巻き込まれるのはごめんだった。

 「残念ですが、私も旅の途中ですので……」

 アルファルファのその言葉も、突然、少女の大きな声に遮られた。

 「だめよ、一緒に来てくれなくては。あなたもクルカに行く途中だって言ったじゃない」

 「ぜひ、力をお貸し願いたい。私一人で、メアリー様の護衛と、この男の護送ができるとは、とても思えぬ。連れてきた部下二人は、先ほどの戦闘で命を落としてしまったのだ」

 アルファルファは溜息を付いた。このまま立ち去れば、捕まえた男がまた機会を見付けだし、誘拐を試みないとも限らない。それではもとの木阿弥と言うものだ。

 「解かりました。クルカまでの護衛、引き受けましょう」

 少女が嬉しそうに笑った。彼女をクルカまで送って行けばいい。簡単なことではないか。始めから、そこが目的地であったわけだし、何が変わるわけでもない。アルファルファはそう思うことで、厄介事に巻き込まれそうな予感を、むりやり押し殺していた。

 

 「あなたは、エルフなのね。あの男は、そう言ってたもの。でもあなたは、全然怖くないわ。どうしてなの」

 アルファルファの前に座っていたメアリーが、彼の顔を見上げるようにして、無邪気に尋ねた。

 ケストニック卿は彼女を自分の馬に乗せるつもりでいたのだが、メアリー本人がどうしてもアルファルファの馬に乗ると言って聞かず、仕方なく、彼女の思う通りにさせていた。アルファルファにしてみても、これは甚だ迷惑なことであったが、少女を誰の馬に乗せるかという些細な問題で時間を潰したくはなかったので、渋々、彼女のわがままに従ったのだ。

 「エルフについて、何を聞いていたのですか、メアリー様」

 「言うことを聞かない子供たちをさらっていって、かまどの掃除をさせるとか。子供を脅すための、くだらないお話しよ」

 彼女がまるで、自分は子供ではないというような話し方をするので、アルファルファはにやりと笑った。

 「おかしいわよね。でも、さっきあなたが現われたとき、それがほんとのことだったって、信じかけたのよ。ケストニック卿の言うことを聞かなかったから、私はエルフにさらわれてしまうのだって」

 アルファルファは顔をしかめた。

 「エルフが子供をさらうなんて、嘘ですよ。子供が親に隠れてお菓子を食べるたびに、その子をさらっていたとしたら、メリアセリアスの森は人間の子供で溢れかえってしまいます」

 この言葉に、メアリーは子供らしい高い声で笑った。

 「そうよね。森の中に、そんなにたくさんのかまどがあるとは思えないわ」

 アルファルファは微笑んだ。メアリーの言葉の中には、子供らしくない、すばらしい機知が、ふんだんに詰め込まれている。この子は本当に頭の良い子なのだろう。こんな少女が、薄暗い貴族同士の争いに巻き込まれているなんて。

 アルファルファは、この少女の境遇の中に引き込まれてしまいそうになる自分を、必死になって押さえていた。彼女には、まわりの人間が放っておけなくなるような、そんな魅力があったのだ。

 「クルカには、なんの御用で」

 「折れてしまった剣を直しに。腕のいい鍛冶屋がいると聞いたので」

 メアリーはこれを聞き、また嬉しそうに笑った。

 「竜と戦って折ってしまったのね。竜というのは、とても大きい生き物なのでしょう」

 少女の言葉が、余りに意表を付いた物だったので、アルファルファにはしばらくの間、言うべき言葉が見つからなかった。

 「……竜ですか。見たことがないので解かりませんが。剣は、盗賊と戦っているときに、不注意で折ってしまったのです」

 「えーっ、メリアセリアスには、竜が棲んでいるって聞いていたのに。……本当に、見たことがないの」

 「残念ですけど。美しい声で鳴く小鳥たち、彼らだけがあの森の、空の住人です」

 「そう……。ほんとに残念ね。小鳥に乗って、空は飛べないわ」

 アルファルファは幼い頃、母に話してもらった童話のひとつを思いだした。

 「クロメトリアの竜騎士の話しをご存じですか、メアリー様」

 彼女の目が輝くのを、アルファルファは見逃さなかった。

 「ええ、知っているわ。私の一番、好きなお話しよ。青竜ステイリアスと、騎士クレモンドのお話。私も空を飛びたくなることがあるわ。リーナのおこごとを聞かなきゃならない時とかね」

 そう言って微笑む彼女の顔が、妙に大人びて見えた。彼女も幼いながらに、貴族の責任に縛られているのだろう。常に束縛されながらも、彼女にはひねたところがまったくみあたらないのに、アルファルファは感心していた。

 「竜に乗るだけが、空を飛ぶ方法ではありませんよ。そうですね……、例えば、魔法のかかった箒に乗るとか。私の母も、そういう箒を一本だけ、持っていました。いくらねだっても、飛んでいるところは見せてくれませんでしたけどね」

 「まあ、あなたのお母様は、魔女なのね」

 「魔女、というより、魔術師ですよ。アリアトリムで魔術を学んだそうです」

 メアリーは難しい顔をして、何か考え込んでいた。

 「空飛ぶ箒かぁ。ねえ、私もアリアトリムで修業したら、あなたのお母様のように魔術師になれるかしら」

 「そうですね。きっとなれますよ」

 問題は、彼女の両親がそれを許すかどうかだ。アルファルファはそう思っていたが、口には出さなかった。こんな子供に現実の厳しさを教えて、夢を奪ってしまう必要がどこにある。

 アルファルファは、嬉しそうに笑うメアリーの瞳を見て、魔術師を夢見ていたもう一人の女性のことを思いだしていた。アルミラも幼いとき、やはりアルファルファの母に触発されて、魔術師になろうと決心したのだ。

 彼女は今ごろ、どうしているだろう。承認試験はうまく行っているだろうか。あんな別れ方をしたことを、彼女が気にしていないといいが。

 アルファルファは東の空を見上げながら、アルミラの幸運を祈っていた。

 

 アルファルファは、メアリーが安心しきった顔で寝ている横に腰をかけ、小枝で焚火をかき混ぜていた。ぱちぱちと音を立てている焚火の温かさが、まだ夜風の冷たいこの時期には、とてもありがたかった。

 「なぜ、このような事件が起きたのか、お尋ねにならんのか」

 アルファルファは、小枝を握っている右手を止め、ケストニック卿の顔を見つめた。彼は、アルファルファと、メアリーを隔てて腰をかけている。昼間取り押さえた男は、後ろ手に縛られて、焚火の向こうに横たわっている。この位置では、ちょうど顔が影になっているので、起きているか寝ているかは、はっきりとしなかった。武器は取り上げてあるので、逃げられる心配は無いと思われたが。

 「聞いてどうなるものでもないでしょう、ケストニック卿。それに、部外者に知られてはならないことだって、貴族には多いのではありませんか」

 「その口ぶりでは、人間の貴族がどんなものか、よく知っているようだな」

 「私を疑っているのですか。立ち去れと言われれば、そうしますし、拘束したいのでしたら、どうぞお好きなように。抵抗はしませんよ」

 ケストニック卿は首を振った。

 「疑っているわけではない。ただ、普通の神経なら、こんな厄介事に巻き込まれた理由を、知りたがるのではないかと思ったのだ。しかし君は、何事もないかのように、平然としている」

 「なるほど。どこか、おかしいのかもしれませんね。……本当のことを言わせていただければ、これ以上係わりたくはないのです。あなたがた貴族とは、どうも相性が悪いらしくて」

 「フサの貴族たちが、君たちの森にどんな野心を持っていたのかは、風の便りで聞いているよ。しかし、それだけで、すべての貴族を判断するのは軽率すぎるのではないか。私の主のように、良識を持ち合わせている貴族もいるのだ」

 ケストニック卿の言葉に、アルファルファは皮肉な笑みを浮かべて答えた。

 「そうでしょうね。だから、狙われるんだ。この場合、狙った方と狙われた方、どちらが異端なんでしょうかね、ケストニック卿」

 「……確かに、邪な欲望のために、権力を振り翳す貴族もいる。アンジェリウム卿はそんな、今の支配者たちの状態に心を痛めておられるのだ。卿は、クルカの領主に改革を求めて、他の貴族から反感をかってしまわれた。今度の事件も、貴族会議で大きな力を持っている、ブランダッツ侯の仕業であろう」

 「ケストニック卿、気を付けなさい。私は、そのブランダッツ侯のまわし者かも知れませんよ」

 ケストニック卿は、アルファルファの顔を見ると大声で笑いだした。アルファルファが眠っているメアリーを指差すと、ケストニック卿は慌てて口を押さえた。それでもまだ、押し殺した笑い声を出していた。

 「そのことは、まったく心配しておらんよ。ブランダッツ侯のエルフ嫌いは、広く知られていることだ。なんでも若い頃に、エルフの女魔術師に言い寄って、手酷いやり方でふられたんだそうだ。それ以来、金髪の女には近づくこともできんとか」

 アルファルファは口笛を吹いた。そのエルフの女魔術師とは、いったい誰だろう。“青”の導師なみに、気の強い女性に違いない。いつか、ファラドーラスが、彼女に手を出そうとした不届き者に、どんな方法で仕打ちをしたのか彼女自身の口から聞いてたので、アルファルファはブランダッツ侯に同情しそうになった。

 「まあ、そんなことがなかったとしても、君の人格は信用に足る。私はそう思うが」

 「人は見かけによらぬもの。ブランダッツ侯にしても、エルフ嫌いは芝居なのかも知れませんよ。現に、あなたはなんの疑いも持たれていない」

 「そうなのかな……。では、今度、侯に会ったとき、尋ねてみるとしよう。妃から、妾、侍女に至るまで、どうして金髪の女性がいないのか」

 ケストニック卿は、眠っている赤毛の少女の顔をのぞき込むと、優しい笑顔を浮かべた。

 「気丈なお子だ。今日の出来事も、かなりショックであっただろうに。泣き事ひとつ、言われなんだ」

 「それに、賢いお嬢さんですね。アリアトリムに連れていかれたら。あそこなら安心できますよ。メアリー嬢も、それをお望みのようでした」

 「奥方様は、そうお考えだと聞いているがな。アンジェリウム卿は、メアリー様を手放したがらなかったのだ。我等とて、その気持ちは解からぬでもない。お嬢様がいなくなれば、館は酷く寂しいものになるであろうから」

 アルファルファは少し驚いていた。彼女を魔術師にするという意見は、猛烈な反対に会うと考えていたのだ。ところが、彼女の母親は、それを以前から望んでいたのだという。政略結婚という醜悪な行為が公然と行なわれている貴族の間にあって、これはほとんど奇跡に近いような気がする。

 「奥方様は、彼女を魔術師にしたかったのですか」

 「そうであろうな。奥方様は、結婚なさる前まで、見習の魔術師であられたのだ。見習期間中にお館様に見初められ、魔術師になるのを断念なされた。自分の夢を娘に、とお考えになるのを、誰も咎めることはできまいに。アンジェリウム卿にしたところで、今回の事件があった後とあっては、この案を真剣に考えなければならぬかもしれぬな」

 「奥方様は、貴族の出ではないのですか」

 「驚いたか。確かに、奥方様は平民の出だ。ご両親が、ロラスで貿易商を営んでいるとか。詳しいことは知らぬが」

 聞くかぎり、アンジェリウム卿は、かなり革新的な考え方の持ち主のようだ。まわりの貴族たちが煙たがるのも無理はない。アルファルファは自分が騎士になった時のまわりの反応を思いだし、独り納得していた。

 「メアリー様は、えらく君のことを気に入ったようだな」

 「エルフが物珍しいのでしょう。三日も経てば飽きてしまいます」

 ケストニック卿の顔が、酷く真剣な物に変わった。

 「冷めているな。私は、そうは思わんよ。子供は、本能的に善人と悪人を見分けると言うではないか。アルファルファ殿、考えてみてはくださらぬか。アンジェリウム卿には、何にも増して、信頼できる部下が必要なのだ」

 アルファルファはケストニック卿の言葉を吟味し、その裏に込められた意味を読み取った。

 「……ケストニック卿。あなたは、アンジェリウム卿の部下の中に、敵方との内通者がいると、そうお考えなのですね」

 「さすがに、鋭い」

 アルファルファは口許に笑みを浮かべた。

 「それほど、難しい推理ではありませんよ。本当なら、この上なく怪しく、信頼できそうもないエルフの流れ者を、どうして仲間にしたがるのか。あなたは愚か者には見えませんから、単なる襲撃によってメアリー嬢をさらわれたとは思えない。そして、先ほどのあなたの言葉」

 「そこまでお解かりなら……、苦しい立場を理解してはもらえぬか」

 アルファルファは、真剣に見つめてくるケストニック卿の顔から目をそらした。メアリーの可愛らしい寝顔が目に入る。安心し切った彼女の顔……。

 アルファルファは、無慈悲でいるのがこれほど難しいものだとは思ってもいなかった。いずれ、この甘さから、自分は命を落とすかもしれない。それまでにせめて、妖魔の件だけでも決着を付けておきたいものだ。

 「……最後まで、お付き合いできないかもしれませんよ。私にも、心に思うところがあるのです。クルカで済せておきたい用も、しばらく時間がかかるでしょうから……、できるかぎり、力はお貸しします」

 「ありがたい。報酬に関しては、私からアンジェリウム卿に言って、善処するようにしよう」

 アルファルファは首を振った。

 「報酬なんていりませんよ。お金のためにするのではありません。お気を悪くなさるかもしれませんが、これは成り行きです」

 「だが、それでは余りにも……」

 「どうしても、とおっしゃるなら、そうですね、クルカでの宿を見つけてくだされば。エルフが安心して宿泊できる宿屋は少ないんですよ。仕事の都合を考えれば、館に泊めていただければ、うれしいのですが」

 この台詞を聞いて、ケストニック卿はあっけにとられていた。もともと、アルファルファには館に留まってもらうつもりでいたので、これでは報酬にもなにもならない。

 アルファルファは驚いたケストニック卿の顔を見ると、にこっと笑ってこう言った。

 「異存ないですね。では、あなたは先に休んでください。交代の時間が来たら、起こしますから、見張りを変わっていただけるとありがたいですね」